第23話:呪詛

 第13階層。


 階段を下りて、獣道を右へ左へと曲がり、細い一本道からわき道に入り、歩数にして十歩ばかりの小川を渡った向こう側に、目的の広場はあった。


 以前来たときと変わらない様子の広場の手前まで来ると、立ち並ぶ木々が唐突に姿を消し、視界が広がり、枝葉の天蓋もくり抜かれたように丸く穴を開け、空らしきものから明るい光が差し込んでいる。


 広場に生えているのは、取り残されたような三本の木だけで、あとは閑散とした空間が広がっている。


 いや、実際には、木など一本も生えていない。僕らの倍近くありそうな背丈の木に見えているのは、どれもトレントだ。目の前の広場に、三匹のトレントが待ち構えている。


「アタシはトレントを相手にするのは初めてなんだが……木、なんだよな?」


「木だね。動いて殴ってくるけど、樹皮も幹も枝も完全に木だよ」


「となると、アタシは少し戦いにくいな。トオボエは枝を噛み砕けるだろうが」


 引っ掻くのが主な攻撃手段のバグ・ナウや、マズルカ生来の爪は、確かにトレントのような相手には効果が薄い。硬い木を相手にするならば、やはり斧が一番有効だ。


「わ、私も、有効な魔術が使いにくいです……その、燃やしたくない、ので」


 植物系のモンスターが相手であれば、ウリエラの黒魔術で最も有効なのはやはり炎だ。だが今回に限っては、トレントを木材として利用したいという目的もある。雷撃も同様に損傷が大きいので、風の刃が主な攻撃手段になるだろう。


 ということは、ここで一番有効打となりうるのは、僕の死霊術ってことか。


「それじゃ、僕も攻撃できるよってところをお見せしますか」


 ローブの懐から取り出したるは、骨で装飾した右手用の革手袋。装着して、手を握ったり開いたりして感触を確かめる。使うのは久しぶりだけど、問題なさそうだ。


「あの、それは……?」


「なんか嫌な気配のする手袋だな……」


 手袋を取り出した途端、ウリエラもマズルカも、トオボエまで嫌そうな顔をして距離を取ろうとする。ポラッカだけが逃げることも出来ず、僕に抱えられている。


 やっぱりみんなゾンビだからか、察しが良い。


「縛り首になった罪人の皮と骨で作られた、怨念の籠った手袋だよ。死霊術師の一番オーソドックスな攻撃手段なんだ」


 みんなに距離を取られてしまった。


「マイロおにいちゃん……それでわたしのこと触らないでね」


 ポラッカまでこの言い草である。だから出したくなかったんだ。


「えーと。とにかくマズルカとトオボエは、トレントの攻撃を引き付けて、僕らに近寄らせないことに徹して。相手の体力は僕とウリエラで削っていく。いままでとそう動きは変わらないけど、前衛は無理に攻撃しようとせず、長く持ちこたえることを意識するようにしてね」


「わかっている」


「はぃ……」


「おにいちゃんもおねえちゃんも、それにトオボエも、気を付けてね」


 ポラッカの声援を受け、身支度を整えたマズルカはトオボエと共に駆け出していく。僕とウリエラは、後方で術式を準備しながら待機だ。


 獲物の接近に気付いたのだろう、木々がざわざわと蠢き、にわかに広場が騒がしくなる。地面がぼこぼこと動いてひび割れ、姿を現したのは、鞭のようなトレントの根だ。


「しっ、はッ!」


 起用に飛び越え、肉薄したマズルカがバグ・ナウを振うが、トレントの幹にわずかなひっかき傷を残すばかりだ。


 マズルカはすぐさま横に飛ぶ。別のトレントが振るった枝が、瞬きの前までマズルカがいた場所を叩きつける。その枝にトオボエが噛みつき、頭を振う勢いでへし折った。トオボエを狙う根にマズルカが切りかかり、その隙にトオボエが飛び退く。


 一呼吸の間に目まぐるしく位置を入れ替え、マズルカとトオボエは見事に互いをカバーしながら戦っている。だがいかんせん、三匹のトレントが相手では、手数に差がありすぎる。


 だから、前衛が作ってくれた隙を、僕たちが使うんだ。


 荒れた地面に足を取られ、マズルカの動きが一瞬遅れた。そこに、振り上げられた枝が襲い掛からんとする。


「引き裂いて……ッ!」


 すんでのところで、ウリエラの術式が完成した。振われた杖が元素を操り、空気の断裂を作る。引き裂かれた大気が、同時にマズルカを狙った枝を切り落とした。


 だが枝葉は切り落とせても、幹を切断するには威力が足りない。決定打にはなりえない。それは僕の役目だ。


 右手の手袋で虚空を掴み、霊魂を捕まえる。モンスターだろうか、死んだ誰かだろうか。わからないが、構わない。捕まえた霊魂に、呪詛を吹き込んでいく。


「思い出せ、思い出せ、怒りを、憎しみを、痛みを思い出せ。食らわせろ。お前の痛みを食らわせろ、お前の憎しみを食らわせろ、お前の怒りを食らわせろ。お前の死を、食らわせろ」


 手の中で可視化された霊魂が青白く光り、啼いた。


「ひ……ッ!」


 左手に抱えているポラッカが、小さく悲鳴を上げた。


「行け」


 右手をトレントに向け、呪詛を纏った霊魂を放つ。呪霊と化した魂は、真っ直ぐにトレントに向かって飛ぶ。幹に呪霊が飛び込む。途端にトレントは暴れ狂い、すぐに沈黙する。トレントは切り倒された樹木のようにその場に倒れ、二度と動き出すことはなかった。


「マ、マイロさん、なんですか、いまのは……」


「ウリエラ、まだ敵が残ってるよ」


「す、すみません……!」


 なにをしたのかと言えば、そこらに漂っている霊魂の恨み妬み嫉みを煽り、呪霊としてぶつけ、相手の魂を攻撃させただけだ。そんなに難しい話ではない。


 霊魂を操る死霊術の、初歩の初歩だ。


 ただ、この呪霊術には、大きな難点がある。この術を使うと、呪霊とした魂も、攻撃に耐えきれず食い破られた魂も、いずれも消失してしまい二度と呼び出すことが出来なくなる。


 この消失した魂がどうなるのか、いまだにわかっていない。原初の混沌に帰ったというものもいれば、急速に漂白が進んで新たな命になるというものもいる。あるいは、本当に無に消えてしまうというものも。


 いずれにしろ、死者の魂と向き合うことを旨とする死霊術師にとって、魂の消失を伴う術は本懐に反する。有用な攻撃手段ではあるが、誰も積極的には使いたがらない術なのである。


 それに、呪霊にする魂は、誰のものかわからないのだ。可能な限り濫用は避けたい。


 という説明を、無事にトレントを倒し終えたあとでみんなにしたら、頼むからめったなことでは使わないでくれと懇願され、ポラッカを怖がらせやがってとマズルカには怒られた。


 だから使いたくなかったんだってば。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る