第22話:緑の迷宮

 階段を下りた先には、別の世界が広がっていた。


 視界を埋め尽くすように立ち並ぶ木々の茶色に、足元を覆う下生えの緑。その間を貫く獣道が、土色の地肌を覗かせている。頭上を覆う枝葉の天蓋は、上の階層の天井よりずっと高いところにあり、明かりの差し込む隙間の向こうに、白くぼやけた空らしきものが覗いている。風が揺らす葉擦れの音、枯れ枝を踏み折る小動物の足音。


 地下深くにあるとは思えない鬱蒼とした樹海が、目の前に広がっている。この辺りの階層まで来ると、広さは地上にあるガストニアの街を優に超える。モンスターに阻まれ、誰も探索できていない場所も増えるほどに、深い森なのだ。


 常識外れな眼前の景色に、マズルカもポラッカも、あんぐりと口が開いてしまっていた。


「信じられん……本当にダンジョンの中に森があるとは」


「ふわぁ……すごいね、おねえちゃん」


「僕も初めて来たときは、すっかり度肝を抜かれてたよ。ね、ウリエラ」


「は、話には聞いていましたが、実際目の当たりにすると、頭が混乱しました……」


 すっかり樹海の風景に意識を奪われている僕らの脇で、トオボエは興味津々で木々の匂いを嗅いだりしている。そのうちマーキングとかし始めそうだ。


「いつまでも見惚れているわけにもいかないし、先に進むとしようか」


 うっかりトオボエが粗相をし始める前に、さっさと前進を再開する。


「まずはどうするんだ? 拠点を見繕うのか、トレントだかを狙うのか」


「実は前に来たときに、目星を付けてた場所があるんだよね。ここなら家を建てれば暮らせそうだな、って広場があってさ。しかもそこには、トレントがいた」


 獣道の突き当りの広場だ。そういう場所は、えてしてトレントの住処になりがちだ。


「なるほど、一石二鳥だな」


「そういうこと。ただ、ここから二つ下の階層になるから、少し進まないといけないんだけどね」


 今回拠点を設けるのは、第13階層。ちょうど樹海ゾーンの真ん中だ。なので、さくさく進んで行かなければ。


 僕らはマズルカを先頭にして、僕と(僕の抱えるポラッカと)ウリエラを挟み、最後尾をトオボエに任せ、樹海を進み始める。


 閉塞感のある洞窟や石造りの建物の中に比べれば、木々は鬱蒼としているものの、屋外を歩いているような開放感にあふれ、自然と足取りも軽くなる。吹き抜ける風も爽やかで、まるで本当に森の中を歩いているような気分になる。


 木々はダンジョンの構築物らしく伐採することは出来ないが、木の実や果実も生るし、これらを食べる小動物もいる。彼らはモンスター特有の、人に対する異常なまでの攻撃行動が見られないため、モンスターとしては扱われておらず、学者の間ではどこからか入り込んだ外の動物説が有力だ。


 だが当然のことながら、決して通常の森林ではあり得ない。


 獣道を離れ、木々と藪の間を無理やり抜けて進むことも、出来なくはない。ただし、三人に一人が行方不明になるという調査結果が出て以来、誰もやらなくなった。


 さらには、出現するモンスターもやはり動物型が多いが、その行動は動物の域からは到底外れてしまっている。


 いままさにマズルカが馬乗りになって拳を叩きこんでいる、エイプのように。


「はあッ!」


 鋼鉄の爪ではらわたを抉られ、ギイギイと悲鳴を上げるエイプは、見てくれは成人男性ほどもある猿のようで、こん棒や岩を手に殴り掛かってくる乱暴者だ。群れで行動することが多く、囲まれると厄介なことになる。いまもマズルカの足下に、先に倒された二匹のエイプが転がっている。


 まだ他にもいる。


「やれ、トオボエ!」


 マズルカに突撃しようとしていたワイルドボアに、横合いからトオボエが飛び掛かり、首の骨を噛み砕く。


 トオボエといい勝負な大きさの荒イノシシは、文字通り猪突猛進だ。突撃をまともに食らえば、反り返った牙も相まって、腹を引き裂かれてしまうだろう。


「マズルカさん!」


 ウリエラの掛け声に合わせ、マズルカがエイプから飛び退く。ウリエラの杖から一直線に走った稲妻が、後方で羽音を立てる二匹のイエロージャケットを貫いた。


 黄色と黒で彩られた、巨大なスズメバチだ。それ以上に説明するべきこともない。刺されたらとんでもないことになるなんて、子供でも分かる。


「んー……もう、いないかな?」


 僕の腕の中でポラッカが呟いて、第12階層に下りたところでの戦闘は、無事終了となった。


 外の世界じゃ絶対に群れるはずのない生き物が、こうして一緒に襲ってくるのも、やはりダンジョンの異常さだろう。


 常々思っていたけれど、いったいここはなんなのだろう。


「常々思っていたことなんだが、ひとつ言ってもいいか」


 エイプの死体の脇に屈み、ダンジョンに思いを馳せていた僕に、バグ・ナウに付いた血を拭いながら、マズルカが近づいてくる。


「いいけど、どうかしたの?」


「マイロ、お前は戦わないのか?」


 途端にウリエラが、すごい剣幕で僕とマズルカの間に割り込んできた。


「マ、マ、マ、マイロさんがなにもしていないみたいに言わないでください! わ、私たちはマイロさんのゾンビなんですから、私たちが戦うのはマイロさんが戦っているのと同じことなんです!」


「暴論が過ぎるだろうそれは! というか、そんな慌てて口を挟むなんて、ウリエラも同じことを考えていたんじゃないのか!?」


「考えてません! そんなこと絶対これっぽっちも欠片だって考えたことありませんから! ほんとですからねマイロさん!」


「前線で身体張ってるアタシの顔を見て言ってみろ!」


 二人とも僕のために争わないでおくれ。


 しかしまあ、樹海ゾーンに入ってからというもの、いまので三回目の戦闘だが、僕がポラッカと一緒にずっと傍観者になっていたのは事実だ。上の方の階層で連れていた操り人形ゾンビも、いまは作っていない。


 ぶっちゃけ、前衛を務めてくれているマズルカとトオボエの動きが速すぎて、ゾンビを連れていたところで、指示が追っつかないのだ。


「マイロおにいちゃんは、ウリエラおねえちゃんみたいな攻撃魔術、使えないの?」


「んー……」


 ポラッカの無邪気な瞳に見上げられ、僕は口ごもった。


 元素を操る黒魔術は専門外だが、代替できる遠隔攻撃用の死霊術も、なくはない。ただ、あんまり使いたくなかったのだ。


「けどなんにも出来ないと思われるのも癪だしなあ。いいよ、じゃあトレントとの戦闘では、僕も攻撃役として参加するから」


 そう約束をして、まだ言い争っているウリエラとマズルカを仲裁し、僕たちは先へと進んで行った。

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