第20話:引っ越し
トレントは、早い話が生きた木だ。
普段は森や林の中で、ただの立木に扮しているが、人間や野生動物といった獲物が近づいた途端に動き出し、根を足に、枝を腕のように操り、襲い掛かる。そして、相手の血を啜って養分にするのだ。
マンドラゴラが成長した姿だとか、血を吸うから吸血鬼によって作られたのだとか、いろいろと憶測が飛び交っているが、いまいち正確な由来は判然としていない。
さて、つまりトレントが出現するのは、当然木々の生い茂る場所だ。このダンジョンの中では、当然第11階層から第15階層にかけての、樹海ゾーンということになる。現在踏破されている階層のちょうど中間地点であり、僕が本拠点として見込んでいた場所でもある。
と、いうわけなので。
「お引越しをしよう!」
「は、はい!」
「わああ」
「また唐突な……」
いよいよこの仮拠点を引き払い、本拠点の建築に臨むときが来たのだ。
そうと決めたなら、行動は早い方がいい。
ウリエラの提案を受けた翌日。僕らはさっそく、簡易テントを片付け、防腐剤やその材料、それにポラッカの手足などを荷物としてまとめていく。
「だが性急ではないのか? まだトオボエの訓練も万全ではないぞ」
「もちろん承知してるけど、トオボエとの連携を取れるようにしようって話だから、一朝一夕にとはいかないでしょ? それにこの階層のモンスターじゃ、もうトレーニング相手としては有効じゃなさそうだし」
「む、それはそうだが」
もともとこの近辺は、装備を整えたマズルカなら、ひとりで制圧できてしまう程度の相手しか出ない場所なのだ。トオボエは命令をよく聞くので、一緒に戦おうものなら連携がどうのという前に相手を倒してしまい、あまり練習にならない。
かといって、敵の強さが変わる第11階層以降にまでいちいち足を伸ばすのは、それこそ非効率的だ。
「しかしせめて、引っ越し場所の見当をつけてからでもいいのではないか?」
「第11階層以降の探索は、さすがに全員で行きたいからさ。ここを空にしちゃうと、戻ってきたときにモンスターの根城になってた、ってことにもなりかねない。だったらもう、手早く場所を見定めて引っ越ししちゃったほうが安全でしょ」
それにだ。実のところ、戦力的にはもう必要十分にはあると踏んでいる。
僕やウリエラは、第29階層まで足を踏み入れたことのあるミスリル級冒険者。マズルカについても、痛みを無視して戦えるゾンビ故の耐久力を加味すれば、おそらくシルバー級。トオボエと共に戦えば、ゴールド級相当はあるのではないだろうか。
前衛より後衛が多いというバランス故に足を止めていたが、僕が適当なゾンビで補充すれば、パーティとしては固い編成になる。第11階層を目指すのに、これ以上足踏みする必要はないだろう。
「ふむ……そこまで考えているなら、アタシから言うことはないな」
「ううん、慎重な意見ありがとね」
納得してくれたマズルカは、まとめた荷物をトオボエに括りつけていく。こうして荷物運搬も簡単になったのは、非常にありがたい話だ。
「ねえ、ねえ、おねえちゃん。わたしもトオボエに乗せてね」
「……気持ち悪くなっても知らないぞ?」
「あ、あの、マイロさん」
ポラッカをどこに括り……乗せるかで話し込んでいるルーパス姉妹の脇をすり抜け、ウリエラが近づいてきた。なんだか気まずそうだけれど、どうしたんだろう。
「ほ、本当によかったんでしょうか。そんな簡単に、引っ越しなんて……」
「えっ? ウリエラまでどうしたの?」
「い、いえ、その……わ、私なんかがわがままを言ったせいで、マイロさんが予定を変更してしまっていたらと、思って」
なんて、少し猫背になって顔を俯かせ、目だけが僕を見上げている。ああもう、相変わらず心配性なんだからこの子は。
「もともと、ここは遅かれ早かれ引き払うつもりでいたところだし、むしろウリエラの提案がいい切っ掛けになってくれたんだよ。たとえそうじゃなくっても、僕がウリエラの意見をないがしろにするはずがないでしょ?」
ついでに言えば、僕も新拠点建設のための仕込みが、あらかた終わったところだった。懐に入れている袋がじゃらじゃらと音を立てる。本当に、いいタイミングなのだ。
「だからそんなに不安そうな顔をしないで、ウリエラ」
胸の前で硬く握りしめている手を取って、両手で包み込む。冷たくて、すべすべした、白くて細い手。握られた手を見つめ、ウリエラは少しだけ目を細めた。
「え、えへへ……はい……!」
はにかむウリエラの後ろで、なんでかマズルカが呆れた顔をして、ポラッカがにまにまと微笑んでいる。
ともかくこうして、僕らは第6階層の仮拠点をあとにし、さらに下層へと前進を開始したのである。
◆
イルムガルトの大監獄は、綿密で膨大で理解不能な魔術の力が働く、一般的な建築物とは法則を異にする空間だ。内部には生態系を無視したモンスターが現れるし、構築物の損壊はできず、人を誘い込むかのように宝箱や、あるいは罠が設置されていたりする。
荒唐無稽に思えるダンジョン内の異常現象だが、そこにはいくつかのルールが発見されている。
ダンジョンの内部構造そのものは変わらないこと。5階層ごとにモンスターの強さが大きく変わること。モンスターや罠、宝箱は、排除されても再出現するが、配置は不定であること。そしてこれらの再配置は、人のいる空間では行われないこと。
だから階段の前には人が集まり、中には商売を始める者も出てくるのだ。
そうやって集まった冒険者たちからぎょっとした視線を集めながら、僕らはダンジョンを下へ下へと進んで行く。道順はわかっているし、時折現れるモンスターも脅威ではないので、順調なものだ。
ちなみに協議の結果、ポラッカをトオボエに乗せる案は却下され、僕が抱えて運ぶことになった。安全な空間ならともかく、戦闘に突入したら面倒なことになる、という結論に至ったためだ。ポラッカは不満げだったが、致し方ない。
さておき。
道中目立ったトラブルもなく、僕らは第10階層にある、下へ続く階段前の広間まで進んできた。
広間にはやはりいくつかキャンプが開かれ、それぞれ数人の冒険者たちが囲んでいる。探索難易度の上がる階なので、他の階に比べ人数は多いが、第5階層によりは圧倒的に少ない。
そしてやはり僕らを……というよりも、トオボエの姿にぎょっとする。この階層で散々苦労させられたダイアウルフの姿なのだ、当然だろう。それから僕の顔を見て、納得と嫌悪を露わにするのだ。
いい加減慣れたものではあるが、煩わしさは変わらない。だから階段前の空間は苦手だ。冒険者を護衛につけた行商人だけは、いてくれる分には便利なんだけれど。
「どうしようか、ここで一息入れていく?」
一応みんなに確認してみるが、ウリエラもマズルカも首を横に振る。ローブの下に隠しているポラッカも同様だ。
だったらこのまま進んでしまうか。僕もほとんど歩いているだけで、疲れもたいしたことないし。
そう決めて、キャンプをしている冒険者たちの間をすり抜け階段へ向かう、つもりだったのだが。
「ちょっと、あなたたち」
おもむろに声をかけられる。いったいなんなんだ通りすがりに。
ため息をつきながら振り返った僕が、どんな表情だったか、自分でもちょっと想像がつかない。
背後にいたのは、嫌悪感を露わにした少女だったが、それは別にいい。
彼女の髪は、感嘆を覚えるほど見事な銀色に輝いていて。
彼女が纏っているのは、死霊術師の天敵ともいえる、聖騎士の鎧だったのだ。
「あなた、死霊術師ね。汚らわしい不浄の魔術師が、こんなところでなにしてるの」
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