第19話:提案

「行けトオボエ、かかれ!」


 指示を出したマズルカの声に、バウ! と、褐色のダイアウルフ……の身体を持つ子犬のゾンビが、勇ましくゴブリンゾンビに飛び掛かる。もちろん、正面から襲うような愚は犯さず、横合いからの攻撃だ。これは、そういう訓練なのだ。


 心臓だけを子犬のそれと付け替えたダイアウルフの死体には、無事に子犬の魂を憑依させることに成功し、強靭な肉体と人懐こさを持つゾンビ犬が完成した。


 マズルカはそれをトオボエと名付け、この数日は熱心に調教に取り組んでいる。トオボエはマズルカによく懐き、物覚えも早い。なにより、ダイアウルフの身体は強い。実のところ、この階層のゴブリン五匹を相手に、マズルカとのコンビで快勝してしまうほどだ。


「よし、いいぞトオボエ、よくやった!」


 マズルカが呼びかけると、トオボエは嬉々としてマズルカにすり寄っていく。ゴブリンゾンビの首根っこを咥えて引きずったまま。


 いまは戦闘訓練の次の段階として、マズルカとの連携をトレーニングしている最中だ。僕の用意したゴブリンゾンビを相手に、マズルカの指示に従い、効果的な攻撃というものを覚えさせている。らしい。


 第6階層にある仮拠点は、幸いなことに多少広さのある空間だ。こうして拠点の前で、思う存分に動き回って訓練できる程度には。


「今日はここまでにしておこう。マイロ、標的はどうすればいい」


「お疲れ様。こっちに持ってきてくれる? 修復して、また見張りに立たせるから」


「わかった」


 マズルカが軽くトオボエの身体を叩くと、トオボエは僕のほうに歩み寄って、咥えていたゴブリンゾンビをぼとりと落としてくれる。


 さすが、柔軟で頭がいい。雑霊を入れた操り人形ゾンビとは、大違いだ。


「ありがとうトオボエ。わっ、あはは」


 訓練の成果を労って鼻筋を撫でてあげると、べろりと大きな(一度マズルカに引き千切られた)舌で舐めてくれる。


「トオボエ、わたしもわたしもっ。ふふっ、いいこいいこ」


 トオボエは人懐っこい。一番言うことを聞くのはマズルカだが、僕やポラッカにもこうして愛想よく振舞ってくれる。


「ト、トオボエ、私も……」


 唯一、ウリエラに対してを除いて。


 ウリエラが近づこうとすると、トオボエは途端に耳を伏せ、しっぽを丸め、マズルカの後ろに隠れてしまうのだ。もっとも、身体が大きすぎてちっとも隠れられてはいないのだが。


 マズルカに窘められても、どうしてもウリエラには近寄ろうとしない。


「うう……」


「やっぱりウリエラだけは苦手なんだね。どうしてだろう」


「おやつをあげたりしたら、ウリエラおねえちゃんにも懐かないかなあ?」


 僕もポラッカも首をひねる。


 ちなみにトオボエは食欲旺盛だ。はじめは訓練で倒したゴブリンを食べようとして、マズルカに怒られていたし、特訓のご褒美には街で買ってきた干し肉をあげたりしている。


 それでトオボエが、ウリエラにも懐いてくれればいいのだけど。


「い、いえ、私なんて、もともと誰にも好かれない人間なので……」


 ほら、ウリエラはナイーブなんだから。


「そんなこと言わないでウリエラ。君は僕の大切な仲間なんだから」


「そうだよ、わたしもウリエラおねえちゃんのこと、大好きだよ」


 ポラッカと二人で慰め、背中を撫でてあげると、ウリエラはふにゃりと顔をほころばせてくれた。


「でも……装備も整って、トオボエも鍛えて……マズルカさんは、ますます強くなりますね」


 トオボエのおなかを撫でてじゃらしているマズルカを見ながら、ウリエラはぽつりと零した。


「うん。前衛として、すごく頼もしいよね」


 マズルカとトオボエのコンビネーションは、僕たち後衛を守る厚い壁になってくれるだろうし、ゴブリンよりもずっと鋭敏な感覚を持つダイアウルフの身体は、拠点の番犬としても期待できる。


 だがマズルカたちを見るウリエラの赤い目には、どこか焦りの色が浮かんでいるようだった。ウリエラはその目のまま、僕に振り返る。


「あ、あの、マイロさん。私も、もっとマイロさんのお役に立てるように、強い魔術師になりたいって、考えていて」


「うん? ウリエラの気持ちは嬉しいけれど、いますぐには難しいからなあ」


 ウリエラは魔術師として、多くの知識を蓄えているが、いかんせん彼女の身体は成長しない。肉体に依存する魔力は、ゾンビとなった時点で成長を止めるのだ。


 もちろん、ウリエラを強くする手段はある。方法は単純で、実証もできた。ただ、そのための素材が手元に揃っていないのだ。


「は、はい、それはもちろんわかっています。ですので、新しい杖が手に入れば、と……」


「杖かあ」


 それもやっぱり難しい。なにせウリエラがいま装備しているのは、ミスリル級冒険者として稼いだお金で買った、最高級の杖だ。さらに強力な杖というのも、おいそれと手に入るものではない。


「実は、ひとつ思いついた方法があるんです。もしかすると、いままでにない強力な杖を手に入れられるかもしれません。た、ただその、どうしてもマイロさんのお力が必要になってしまうのですが……」


「僕の力が必要な方法?」


 それも、いままでにない強力な杖が手に入るかもしれない? 興味を引かれて身を乗り出すと、ウリエラも顔を寄せてくる。


「魔術師の杖は、深い森の奥深くで育った、霊樹の枝を加工して作られるものです。それ自体が高密度の魔力構造体で、術式を通すことで魔術の効力を増幅させてくれる……な、なんて話は、マイロさんもご存じかと思いますが」


「うん。採取した枝を霊薬に浸して、魔力密度を維持できるよう加工するんだったっけ。ウリエラの杖は、青の森のグレートオークの枝だったよね」


 死霊術師は杖を使わないが、そのくらいは学院で習った。


「そうです。重要なのは、杖は魔力密度を維持する加工をした枝、という点です。じ、実はひとつ、超高密度の魔力構造体でありながら、この加工ができないため杖にすることが不可能だとされている木材があるんです」


「加工ができず、杖にできなかった木材……?」


 知らなかった。いったい何だろう。


 いつになく饒舌なウリエラは、そっと僕の耳に口を寄せ、内緒話のように囁く。


「そ、それが、トレントの枝なんです」


 彼女の言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中では、第11階層へ下りるための算段が立て始められていた。

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