第18話:獣狩り

 やっと見つけた。


 第7階層の奥。ダイアウルフは通路の突き当り、扉のない小部屋のような空間で、尾と鼻をつけるように床に丸まっていた。


 褐色の毛並みに、細く引き締まった体躯。鋭く伸びた耳と鼻に、ふさふさとしたしっぽ。見てくればかりは、地上にいる狼や犬と大差ないものの、身体の大きさがまるで違う。


 以前戦ったこともあるが、四つ足で立ち上がった背は、僕の胸元を軽く超え、後ろ脚で立てば間違いなくマズルカよりも長身になるのだ。そのサイズはもはやトラやライオンのようで、僕らのことなんて、簡単に背に乗せて駆け回れるだろう巨獣だ。


 一方で、狼は群れを作るものだが、ダイアウルフは単身、その部屋の主のように悠々と寝転がっている。


「さて、どうやって攻めようか」


 通路の暗がりに息を潜めながら、僕はマズルカに尋ねる。するとマズルカは、首を横に振りながら立ち上がってしまった。


「もうあいつはアタシたちに気付いてる。隠れても意味がない」


「え、ほんとに?」


 言われてみると、ダイアウルフの三角の耳が、文字通り聞き耳を立てるように、ぴたりとこちらに向けられている気がする。


「じゃあ奇襲は無理か。居場所はわかったから、引き返してゴブリンゾンビをもっと用意しようか。前衛だけだと頭数が必要だろうし」


 だがマズルカは、首を横に振った。


「マイロ、あいつはアタシひとりで相手させてくれないか」


 思いがけない提案に、僕はぎょっとしてマズルカを見返した。


 ダイアウルフは、前衛後衛の揃った冒険者が、数人がかりで動きを封じて討伐する相手だ。いくらマズルカがゾンビで壊れにくいからと言って、単独で戦えるとは思えない。


 だがマズルカの表情は、彼女は至極冷静だった。自棄や慢心でもない。乱暴で大胆だが、勝算あっての発言だ。


「……言っておくけど、食べられちゃったら、またゾンビ化させるのは難しいよ?」


「もちろん、そんな下手は打たない」


 だったら僕から言うことはない。土台、近接戦闘において僕から口を出せることなんて、まったくもって皆無なわけだし。


「そこまで言うなら任せようかな。気を付けてね、マズルカ」


「ああ、後ろの警戒は頼むぞ」


 そう言ってマズルカは、バグ・ナウを手に握り、堂々と通路を進んで行く。僕は言われた通り、背後を強襲されないよう、ゴブリンゾンビを通路の見張りに立たせ、両者の邂逅を見守った。


 マズルカが小部屋の入り口に立つと、ダイアウルフは顔を上げる。


「逃げようともしないか。ダイアウルフは狼と同じ、群れを組んで強い警戒心を持っているはずだが、お前は一匹でアタシたちを待ち構えていたな。やはりダンジョンに歪められているのか」


 淡々とした口ぶりでマズルカが話しかけると、ダイアウルフはさもそれに応じるかのように、悠然と立ち上がる。思っていた以上に大きい。たぶん上背は、僕を超えている。


「すまないが、こちらもこのダンジョンで暮らすために、お前の死体が必要なんだ。狩らせてもらうぞ」


 マズルカはマズルカで、狼に近い種であるダイアウルフに思うところがあるのか、わざわざ宣言をしてバグ・ナウを構える。ダイアウルフは、わずかに背を屈めた。


 さながら決闘めいた緊迫した空気に、僕は傍観者でありながら緊張に息を呑む。


 やがて。


「はぁッ!」


 先に動いたのはマズルカ、だったように見えた。


 ゴブリンにそうしたように、弾かれたように飛び上がり、鋼鉄の爪を振りかぶってダイアウルフに叩きつける。だが、爪は空を切り、マズルカは着地の瞬間に前方に転がる。真横からダイアウルフが、牙でマズルカを捉えようと噛みついてきていた。


 速い。ダイアウルフはその体格を支える筋力で、ばねのように駆け回り、繰り返しマズルカに食らいつこうとする。マズルカもまた、ルーパスゆえの強靭な脚力で応じようとするが、体格差がありすぎる。噛みつき攻撃をすんでのところで避けるが、


「ぁがッ!」


 牙を避けたとしても、巨体に弾かれ吹き飛ばされ、そこに再び牙が襲い掛かる。マズルカは転がるように躱すが、今度はしっぽがその身体を打ち据えた。


 後方に弾き飛ばされたマズルカは、バグ・ナウを床に突き立て制動をかける。立ち上がった彼女の鋼鉄の爪から、赤い雫が垂れる。


 僕は首を傾げた。いつの間にか、ダイアウルフの脇腹に赤い筋が走っている。それも二か所、いや三か所だろうか。防戦一方だと、僕の目にはそう見えていた。だが、マズルカはダイアウルフの攻撃をすんでのところで躱しながら、着実に反撃を入れていたのだ。


 間合いを切り、再びにらみ合いに入る二匹の獣。マズルカはにやりと笑った。


「どうした、アタシを食らいたいんじゃないのか? アタシの爪はお前の血の味を知ったぞ。お前はどうだ?」


 挑発を理解しているわけでもあるまいに、ダイアウルフが唸る。マズルカは腰を落とす。


 どう出る。どう動く。どちらが仕掛ける。僕はただ、見ていることしかできない。再び張り詰めた空気に、無意識に地面を踏みしめた。足元でじゃり、と音が鳴った。


 ダイアウルフが、飛んだ。マズルカに向かい、真正面から大口を開け食らいつきに行く。


「来たな、バカめ!」


 マズルカは、避けなかった。真っ向から飛び込み、ダイアウルフの口が最大まで開ききったその瞬間、あろうことかその口の中に右腕を突っ込んだのだ。


 ダイアウルフの突進を片腕で止められるはずもなく、そのままマズルカは後方に引っ張られ……ダイアウルフと共に、壁に激突して動きを止めた。


「マズルカ!」


 僕は思わず叫んでいた。両者は壁にぶつかり、そのまま崩れ落ちた。いったい、どうなったんだ?


 固唾を飲んで見守る僕の前で、ダイアウルフがもぞりと動く。僕は身構える。


 だが、ダイアウルフの口から腕を引き抜きながら、その巨体を押しのけて立ち上がったのは、マズルカだった。


「お前たちの口と牙は強力な武器だが、最大の弱点でもある。真正面から仕掛けた時点で、お前の負けだった」


 牙にずたずたに引き裂かれ、根元から千切れかけているマズルカの右手に握られているのは、引き千切られたダイアウルフの舌だった。

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