第13話:初めの一夜

 皆と今後の予定を話し終えたあと、僕はテントの前でローブを脱ぎ、ウリエラに出してもらった水と手ぬぐいで身体を拭っていた。石造りのこのエリアは、洞窟よりは過ごしやすいが、どうしても埃っぽくて仕方がない。


 考えてみると、僕以外は全員、本来的な生理現象というものがない。ウリエラもマズルカも、汗もかかなければ飢えもないし、なんなら眠る必要すらない。長期ダンジョンに籠るうえで一番厄介な排せつに関しては、本人たちの希望でその機能を切っている。ポラッカはそもそも、首から下がない。


 僕だけが、どうしても生きた人間の身体に縛られてしまう。身体を動かせば汗をかくし、戦闘になれば緊張で脂汗が滲む。致し方ないのだけれど、どうにも煩わしい。ゾンビの身体に、羨ましさすら覚える。かといって、僕が死んでしまっては元も子もない。


 生理現象と言えば、本拠点を作るとき、トイレはどんなふうに設えようか。というか、ここでも安全に用を足せる設備を作った方がいいかもしれない。さっきもウリエラが一緒についてこようとして大変だったし。


 そんなことを考えながら、埃を払い落したローブを着ると、僕からは離れて身体を拭っていたマズルカと、その手に抱えられ、耳をぱたぱたと動かすポラッカが戻ってくる。


「はあ、やっとさっぱりした。毛がごわごわして気持ち悪いったらなかったよ」


「ふふ。おねえちゃん、不器用なんだもの。もっと丁寧に洗わないと」


「構わないだろう、別に。アタシの髪なんて、誰も気にしやしない」


 思わず僕は、二人の姿をまじまじと眺めてしまった。


 マズルカもポラッカも、出会ってからずっと、自分たちの血やゴブリンの返り血に染まって、髪と言わず身体と言わず、どこもかしこもどろどろの有様だった。


 だからこうして、汚れを拭った姿を見るのは初めてなのだが。


「二人とも、毛は灰色というより、青灰色だったんだね。すごくきれいだよ」


 身を清めてこざっぱりとしたルーパスの姉妹は、粗暴さがなくなり、生来の美しさを取り戻している。水で拭っただけなのでまだ毛にごわつきが残っているが、それでも先ほどまでよりもずっと綺麗だ。


「えへへ、ありがとう、おにいちゃん。ほら、見てくれてるよおねえちゃん」


「ぐ……そりゃどうも」


 見事に愛想というものが正反対な姉妹である。でもマズルカのしっぽがちょっとだけ横に振れているのが見えた。


「ところで、僕はそろそろ寝るけど、二人はどうする? 三人……じゃなくて、四人だとちょっと手狭だけど、テントで一緒に寝る?」


「いや、アタシとポラッカは外でいい。今夜は寝ずの番をするさ」


 確かに二人に睡眠は必要ないけど。


「ゴブリンゾンビもいるし、寝ても平気だよ?」


「念のためだ。言い換えれば、見張りはゴブリン程度しかいないんだからな」


 そう言われてしまうと反論できない。ゴブリンゾンビは、ただの警報でしかない。万一僕らが気付かなければ何の意味もないし、とりわけ感覚が鋭いというわけではないので、不意をつこうと思えばいくらでも方法はある。


「そっか。ならお願いするね。おやすみ、二人とも」


「おやすみなさい、マイロおにいちゃん」


「ああ……あ、ちょっと待て、いまは」


 簡易テントの幕を開けて入ると、中にはウリエラがいた。


 ローブもシャツも脱ぎ、上半身を晒して、濡らした布で身体を拭っている。脱いだ服が丁寧にたたまれているのが、いかにも彼女らしい。


 ほっそりとした手に握られた布が、透き通るような白い肌を拭って清めていく。黒い髪と相まって、血色の薄いウリエラの色白さが、一層際立っていた。


 いつもはローブに包まれて目立たない、肉付きの薄い身体に見惚れていると、彼女の赤い瞳と目が合った。


「え、きゃっ!」


 僕の存在に気づくと、ウリエラは慌てて服をかき抱いて胸元を隠し、背中を向けてしまう。真っ白な背中しか見えなくなってしまった。


「マ、ママ、マイロさん!?」


「ごめんねウリエラ。驚かしちゃった?」


「い、いえ、あのでも、その……」


 ウリエラは僕に背中を向けたまま、もじもじとしている。あ、いけない。


「あ、ごめん、ついじろじろ見ちゃった。ウリエラが脱いでるところ、初めて見た気がしたから」


 あんまり見るのも良くなかったかな、と反省しながら、自分の寝床を準備する。


 毛布を敷いて、その上に寝袋を広げる。荷物を詰めていたバッグは枕代わりだ。ぜいたくを言えばクッションが欲しいところだが、ないものは仕方がないので、今夜はこれで我慢だ。


「す、すみません……お見苦しくて……」


 思いがけない言葉に振り返ると、ウリエラは俯いたまま、ごそごそと服を着ようとしている。


「え? どうして、すごくきれいなのに」


「で、でも、ケインさんたちは、なまっちろくて気色悪いって……」


「まさか」


 思わず立ち上がり、ウリエラに歩み寄る。ウリエラは顔を伏せ、背中を丸めて縮こまってしまったが、僕はその背中に、そっと触れた。


「ひゃっ……!」


 白くて、冷たくて、傷のひとつもない、すべすべとした美しい肌。


「ウリエラはきれいだよ、とってもきれいだ。胸を張って言い切れる」


「ほ、ほんとう、ですか?」


「うん。職業柄いろんな死体を見てきたけれど、ウリエラほど美しくて、きれいに死んだ死体は見たことがない」


 ウリエラはゴーストによって、心臓を止められて死んだ。一瞬だった。たったいままで生きていた彼女が、瞬きの間に死んでいたのだ。


 だからウリエラの身体には、傷がひとつもない。なにひとつ傷つくことなく、彼女は死体になった。


 まるで芸術のように。


「君はもっと自信を持っていいんだ。魔力が低くても魔術の腕は確かだし、よく気も利かせてくれるし、僕を守ろうと飛び出してくれる勇気もある」


 ウリエラの身体から硬さが抜け、丸まっていた背中が少しずつ伸びてくる。


「わた、私はもっと、もっとマイロさんのお役に立ちたいです。この先もずっと、マイロさんに仲間だって、思ってもらえるように」


「ふふ。ありがとう、ウリエラ。そんな風に言ってくれて嬉しいな。やっぱり君は、僕の一番の仲間だ。僕の一番のリビングデッド」


「……えへへ」


「ねえウリエラ。よかったら、手ぬぐいを貸してもえらないかな。汚れを拭いてあげるから。君の身体をもっときれいにさせて」


「は、はい……!」


 濡らしてよく絞った布を受け取り、僕はウリエラの身体を拭っていった。くまなく、ゆっくりと、丁寧に、間違っても傷なんてつけないように。


 死化粧を施すように。

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