第9話:死

 少女の生首は、目を堅く瞑り、口を限界まで開き、最期の瞬間に襲われていたであろう苦痛に固まって、目鼻立ちの造形はマズルカとよく似ているというのに、まるで違う生き物だったかのように歪んでしまっている。


 整えてあげたいな。僕はわけもなくそう思った。


「ポラッカ……そんな、嘘だろうポラッカ……ああ……」


 それを抱えるマズルカは、魂を呼び戻して目覚めたリビングデッドだというのに、表情からも、胡乱に呟く言葉からも色というものが抜け落ち、まるで魂が抜けてしまったかのようだ。


 これはこれで、無性に腹が立つ。そんな顔をさせるためにゾンビにしたわけじゃないのに。


「覚悟はしていると思ってたんだけど」


 はっきり言おう。マズルカの妹がもう死んでいるなんて、とっくにわかっていたことだ。


 ゴブリンたちが、攫った相手をいつまでも生かしておく連中じゃないなんて、誰だって知っている。ましてや隷属の刻印が与える苦痛に、年端も行かない少女がいつまでも耐えられるはずがあるだろうか。


 ここはダンジョンだ。どんな些細な出来事だって死に直結する場所だ。


 マズルカがここへ来たのは、妹の亡骸を確認して、気持ちの整理をつけるため。僕はそう考えていたのだけれど。


「覚悟? 覚悟だと……ああ、薄々考えてはいたさ。きっとポラッカは、もう生きてはいないかもしれない。どれほど耳を澄ませても、この子の声はちっとも聞こえなかった。恐ろしい苦しみに襲われているはずなのに」


 獣じみた青い瞳が、僕をぎっと睨む。


「だが、こんなむごい殺され方をした姿を見る覚悟など、どうしてできるんだ! 食われたんだぞ、血を分けた実の妹が、ゴブリンどもに! ばらばらに引きちぎられて、穢れた化け物どもの餌食にされたんだ! どうしてこの子が、そんな死に方をしなければならない!」


 ああ、色が戻った。


 マズルカは腹の底から、魂の底から慟哭する。悲哀と、憎悪と、絶望がないまぜになった顔で、誰に向ければいいのかもわかっていない怒りをぶつけてくる。


「それを! そんな簡単に呑み込めって言うのか、お前は!」


 ひとつも取り繕わない、マズルカ自身の、素直な叫びだ。死体は、人を素直にさせる。


「マズルカはつらいんだね、いま」


「決まってるだろ、たったひとりの家族だったんだぞ! アタシは……こんな姿を見るためにこんなところまで来たんじゃない!」


 そっか。そうだったんだ。


 僕はいままで誰かに対して、その死を嘆いたことなんてなかったから、よくわかっていなかった。


「ごめん、無神経だったみたい。僕からすると、死んだ後の方が一緒にいられると思っちゃうもんだから」


 生家は墓守で、初めて会う人はみな死体だったし、なによりいまの僕は死霊術師だし。


「お前はそうかもしれないけどな……いや、待て」


 マズルカが剣呑な表情から一転、怪訝そうに僕を見上げる。


「蘇らせられるのか? ポラッカを、こんな状態でも?」


「蘇らせるのは無理だよ。僕にできるのはリビングデッドにすることだけで」


「どっちでもいい! 目覚めさせられるのか? ポラッカともう一度話せるのか?」


 思わず目を見開いてマズルカを見返してしまった。


「そりゃ、出来るけど……でも、やる?」


 てっきりマズルカは、死霊術には否定的な立場だと思っていたから言わなかったのだけれど。


 マズルカは押し黙り、じっと苦し気な妹の顔を見つめている。やはり抵抗があるのだろう。だが、やがて決意を固めたように、ひとつ頷いた。


「アタシたちにとって、命は巡るものだ。肉体は大地に帰り、生けるものの糧となって、いずれまた新たな生を得る。けど!」


 マズルカは吠える。


「アタシはポラッカの命を、こんな薄汚れた地の底で、ゴブリンなんかの食い物になって終わるのを許すことなんてできない! この子にもっといろんな世界を見せて、美味しいものを食べさせて、笑って過ごさせてやりたい! お前なら、そのチャンスを作れるんだろう? 頼む、なんだって言うことを聞く、だから」


 参ったな。こんなにもリビングデッドを作れと懇願されたことなんて、なかった。


 世間にとって、死霊術は忌むべき力だ。死後の魂を縛るのは、刑罰だとされている。誰もが僕らの入れ墨を見れば、顔を顰め、避けて通る。


 僕にとって死は始まりで、解放だった。マズルカと彼女の妹にとっても、そうなるのだろうか。


「マズルカさん」


 僕が答えあぐねいていると、ウリエラがそばに寄ってきて、いつになく真剣な声で呼びかけた。


「マイロさんにリビングデッドにしてもらうということは、マイロさんの仲間になるということです。マイロさんの言葉に従って行動して、さっきみたいにマイロさんを危険に晒すようなことは、許されません。その意味が解りますか?」


「それは……」


「いや、僕は別にそんな、」


「マズルカさんだけじゃなくて、妹さんもです。それに、私たちはこれから、ダンジョンの中に根を下ろして暮らしていこうとしているんです。自由にダンジョンから出たり、街の外に出たりもできません。それでもいいんですか?」


 な、なんだか妙に鬼気迫ってるなあ、ウリエラ。もしかして先輩風みたいなものだろうか。僕は仲間になってほしいだけで、絶対服従とかそんなこと言うつもり、これっぽっちもないのに。


 マズルカは僕らの顔と、妹の顔を見比べ、やがてもう一度頷いた。


「……ポラッカに、喜びを知るチャンスがあげられるなら」


「そっか、わかった」


 ここまで言われたら、断る理由もない。マズルカがこのまま手放すには惜しい戦力なのも、間違いないし。


 ただ、ひとつだけ心配なこともあるんだけど……まあ、やってみるか。


 僕は魔導書を開き、マズルカが抱える生首の上に手をかざす。術式を引用し、魔力を流し込む。エンバーミング、そしてアニメイト・リビングデッド。痛覚は切っておくのがいいだろう。


 彼女の魂は、やはりすぐそばにいた。さあ、おいでポラッカ、君も僕の仲間になって。


 魂が、生首に入っていく。少女が、目を見開き、唇を震わせる。そして。


「あああああぁぁあぁあぁぁぁぁぁ……ぁれ?」


「ポ、ポラッカ、ポラッカ! アタシだ、わかるかポラッカ!」


 状況が呑み込めないのだろう、ポラッカはきょろきょろと目を動かし、マズルカの顔で視線を止めた。


「……おねえちゃん?」


「ポラッカ……ッ!」


 マズルカはポラッカの首を、ギュッと抱きしめた。

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