第8話:パーティ
分かれ道で折れ、角を曲がり、入り組んだ石造りの迷宮をどれほど進んだだろうか。
「この中だ」
マズルカが息を潜めて足を止めたのは、通路の行き止まりだった。右手には鉄鋲を打たれた木の扉が、ひっそりと僕たちを待ち構えている。
記憶が正しければ、ここは第6階層でも端。第7階層へ続く階段とは反対の、迷宮のはずれの隅のはずだ。以前探索したとき扉の向こうには、やはり行き止まりの、広間がひとつあるばかりだった。いまはゴブリンのねぐらになっているらしい。
「結構数が多いな。十匹はいそうだ」
扉に耳を近づけたマズルカが、中の気配を探って苦い顔をする。
「よくわかるね。僕にはさっぱりだ」
「氏族じゃ狩りもしてたんだ。このくらいできなきゃ話にならないよ」
ルーパスの氏族、奴隷になる前の話ということか。マズルカがどんな生活をしていたのかも気になるところだが、いまはそれどころではない。
「どう攻めようか?」
道中で倒したゴブリンもゾンビにしておけばよかったかな、と小さく後悔するが、あとの祭りだ。それに、決して倒せない戦力差ではない。
「さっきまでと一緒でいいだろ。アタシが突っ込んで先制を取って、お前のゾンビ犬が続く。黒魔術師のあんたは後ろから魔術で攻撃。数が多くても同じだ」
「んー。方針はそれでいいけど、頭数が違うから、マズルカにはとにかく動き回ってもらって、オオカミゾンビに討ち漏らしを拾わせる形で、とにかく戦線を維持した方がいいかな」
「……いいよ、じゃあそれで」
「ウリエラもそれでいい?」
「は、はい。じゃあ私は、なるべく多く巻き込める、雷の魔術を使いますね」
作戦は決まった。扉の罠を警戒しなければならないのは第16階層より先だから、蹴破ってしまって問題ない。
マズルカが扉に張り付き、タイミングを計る。
「よし、行くぞ!」
わざと勢いをつけて扉を蹴破り、マズルカが室内に躍り込む。動揺するゴブリンたちの輪に向けて突撃し、敵を一挙に混乱の渦に叩き込む。
そのはずだった。
「マズルカ? なにしてるの、マズルカ!」
部屋の中に入った途端、マズルカの動きが止まってしまった。立ち尽くし、身体を震わせ、部屋の中を凝視している。
いったいなにを。
遅れて部屋に入り、マズルカの脇から覗いた光景に、僕も足を止める。
差し渡し二十歩ほどの室内の真ん中で、ゴブリンたちが車座になって焚火を囲んでいる。ついいましがたまで、ご機嫌に騒いでいたのだろうゴブリンたちは、突然現れた僕らを見て動きを止めていた。
そのゴブリンたちが握っているのは、こん棒や、冒険者からもぎ取ったなまくら剣ではなく。
ああ、あれは。やっぱり。
「あ、ああ……ああぁ……」
手足だ。目の前の光景に戦慄くマズルカと同じ、灰色の毛皮に包まれた、細い手足。何匹かは、口元を赤く汚しながら、血の滴る生肉に齧りついたまま固まっている。彼らは食事の真っ最中だったのだ。
ぎゃいぎゃいとやかましい声が聞こえる。マズルカが動き出せずにいる間に、我に返ったゴブリンたちが、握っていた手足や肉を放り出し、各々の粗末な武器を手にする。
戦闘態勢を整えたゴブリンたちが、押し寄せてくる。
「マズルカさん!」
悲鳴のようなウリエラの声に、マズルカの肩が跳ねた。
「ああぁあああぁぁぁぁぁ!」
雄たけびとも慟哭ともつかない声を上げ、マズルカが疾駆する。がむしゃらに腕を振るい、爪をゴブリンたちに叩きつける。
だがゴブリンたちも得物で爪をしのぎ、数を活かしてマズルカを取り囲んでいく。不意を打った時のような、一方的な展開にはならない。手斧が足を抉り、短剣が脇腹に突き立てられる。
がむしゃらで、後先を考えない暴れっぷりだった。どうにか数匹を仕留めるが、掴まれた腕に錆びた剣を振るわれ、腕を引きちぎりながら、なおも目に付くゴブリンたちに襲い掛かっている。
「うわ、マズい」
ゴブリンが3匹、僕らの存在にも気付いた。マズルカはこちらの様子など見もしない。
僕は向かってきたゴブリンたちに、慌ててオオカミゾンビをけしかける。2匹は足を止めた。けれどそれが限界だ。
もう一匹。ゴブリンが剣を振り上げながら、目の前に迫る。マズい。僕に止める手段は、ない。
「マイロさん!」
剣は、振り下ろされなかった。黒い影が、僕とゴブリンの間に割り込んで、長い杖をゴブリンの口にねじ込んでいる。
「燃え……て……ェ!」
杖を突きつけられた身体から炎が噴き上がり、ゴブリンは為す術もなく身悶えて崩れ落ちた。
「マイロさん、大丈夫ですか……!」
「うん……助かったよウリエラ、ありがとう」
ウリエラは上目遣いに僕を見上げる。咄嗟に杖でゴブリンの動きを止めるなんて、すごい判断だ。
「わ、私、マイロさんのお役に立てましたか?」
「もちろんだよ。それに」
室内を見回す。
オオカミゾンビは、もう駄目だ。一匹に食らいついて仕留めたが、もう一匹に首を切り落とされてしまった。あれでは戦えない。
マズルカは片腕を失い、満身創痍になりながら戦っている。残りは二匹。
「まだいける?」
「はい!」
ウリエラはゴブリンたちに向き直り、大きく身振りをつけて杖を振う。杖の先端が青白く光り、ぱちぱちと紫電をほとばしらせる。
「マズルカさん、避けて!」
声はギリギリで、マズルカに届いた。
ウリエラが杖を突きだす。
轟音。刹那、視界が白く染まる。光を灯した杖の先端から、稲光が走るのがかすかに見えた。
薄暗がりが戻った時には、直線状にいたゴブリンたちは身体を真っ黒に焦げ付かせ、もう動くものは一匹もいない。
マズルカは、無事だ。すんでのところで横に飛び、難を逃れたようだ。
ゴブリンたちの身体が崩れ落ちる音を最後に、広間に静寂が訪れる。戦闘は終わった。損耗してはいるが、三人と一匹でゴブリン十匹を相手したにしては、軽微なものだろう。僕やウリエラは無傷だし。
さて、しかし。
ウリエラを引き連れ、部屋の中へ進んで行く。途中でオオカミゾンビは、術式を解いて死体に戻した。修復できなくはないが、いずれにせよ単体ではここから下の階層では戦力不足だったのだ。第6階層に入ってからは、主にマズルカの補助として使っていたし。
そのマズルカはと言えば。
部屋の中央、ゴブリンたちが取り囲んでいた焚火のそば、散らばった肉片の中にいた。地面に膝をつき、片腕でなにかを抱え、俯いて肩を震わせている。
近寄りながら僕は、落ちていた毛皮を纏った右腕を拾い上げる。似たような腕が他にもあって少し悩んだが、一番大きいこれがマズルカから切り落とされたものだろう。
「マズルカ、傷の修復をしようか?」
声をかけても、返事はない。
ひどい有様だった。
身体中、どこもかしこも切り傷だらけ。サラシは千切れ、血で張り付いているだけで、左の後ろ腰には短剣が突き刺さったままだ。右腕は僕が持っているし、なにより灰色だった毛並みは、ゴブリンの返り血で赤黒く染まっている。
だが、彼女はゾンビだ。僕が目覚めさせたリビングデッドだ。その程度の損傷はいくらでも修復が利く。完全に壊れてしまうことはない……少なくとも肉体は。
問題があるとすれば、むしろ。
「マズルカ」
膝をつくルーパスの少女の傍らに立ち、肩に手を置く。
マズルカの左腕に抱えられていたのは、彼女と同じ灰色の毛と、ぴんと立つ獣の耳を持った、幼い少女の、切り落とされた首だった。
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