第5話:襲撃の跡
たびたび現れるモンスターと戦闘しつつ、僕とウリエラ、ついでにオオカミゾンビは、暗いダンジョンの洞窟を無事に第5階層まで下りてきた。
モンスターに遭遇したら、まずオオカミゾンビを突撃させる。機動力のあるオオカミが相手をけん制している隙に、ウリエラが呪文を唱えて攻撃魔術で仕留める。
前衛がゾンビではあるが、パーティでの基本に則った戦い方だ。
この辺りで出てくるのは、モンスターと言ってもせいぜいオオカミやコウモリ、オオトカゲといった、ダンジョンに棲みついた獣が精々。一番危険な相手が、未熟ながら知能を持つゴブリンといったところだが、今日はまだ遭遇していない。
第6階層から下には、同じ獣でも、よりダンジョンに適合したダイアウルフや、バシリスク、亜人ではトロールなんかの厄介なモンスターが現れ始める。仮に、この先も僕とウリエラだけで戦うとして、安全に対処できるのはこの辺りまでだろう。
なので、さっさと第6階層まで下りて、新しいゾンビを補充しようかと考えていたのだけれど。
下へ降りる階段のある広間まで、あともう少しというところだった。
「あれ、この先になにかいるみたい」
モンスターの気配を察知したら唸れ、そう指示を出していたオオカミゾンビが、また唸り声を上げ始めた。
「え、でも、この先にですか……?」
ウリエラが首を傾げるが、僕も同じ気持ちだ。
下層へ降りるフロアには、たいていいつも冒険者がいる。下へ降りる前に休憩を取るもの、上へ戻る途中で休憩を取るもの。
だからモンスター側も、人間の群れには近づかないようにするものなのだが。
「なにかあったのかもしれない。とにかく、行ってみようか」
「は、はい」
僕らは警戒しながら、慎重に洞窟を進んで行く。そのうち、オオカミゾンビが唸るのをやめた。同時に僕にも、異変が伝わってくる。鼻をつく鉄さびのような臭い。ダンジョンでも学院でも嗅ぎなれた、血の臭いだ。
そろそろと歩みを進め、階段のある広間へ足を踏み入れると、そこはずいぶんと酷い有様になっていた。
広間の中には、数組の冒険者パーティがいたが、揃いも揃って満身創痍だ。酷い怪我を負って横たわった仲間に、白魔術師たちが慌てて治癒の魔術をかけている。ある者は肩で息をしながら壁に寄りかかり、あるものは険しい顔で、階下へ続く階段を睨んでいる。
装備を見る限り、皆駆け出しの冒険者のようだ。
そのうちの何人かが僕を見て、表情を歪めた。「げ、死霊術師だ」「クソ、不吉な」なんて声まで聞こえてくる。
「な、なにがあったんでしょうか……」
「モンスターの襲撃かな。誰かに聞いてみようか」
適当に、比較的怪我の軽そうな戦士を捕まえると、彼は疲れ切った顔をしたものの、ことの次第を教えてくれる。
「下の階で返り討ちにあって、逃げてきた連中がいたんだ。たぶん、まだ俺らとそう変わらない駆け出しパーティだったと思うけど」
「あー、その子たちがモンスターを引き連れて来ちゃったの?」
「大量のゴブリンをな。二十匹はいたんじゃないか」
うわあ。あまりに悲惨な状況に、僕は思わず天を仰ぐ。
ゴブリンは確かに徒党を組んでダンジョン内を徘徊している。だが、1組はせいぜい5匹程度だ。つまりトレインしたんだ。初心者がやりがちな失敗である。
モンスターに勝てそうになくて逃げだすのは、別にいい。ただそれで逃げ切れなかったうえに、道中で別のモンスターまで巻き込んでしまうと、雪だるま式に追ってくる敵の数は増えていく。そのままうっかり階段を上ってしまうと、こういうことが起きるのだ。
「で、撃退したの?」
「まあ、どうにか追い返したって感じだけど。ただ……」
「ただ?」
「どうも、誰か攫われたみたいなんだ」
あらら。それはまた、ご愁傷さまだ。
「おそらくこの人の仲間だと思います」
横から声をかけてきたのは、うつ伏せに倒れている怪我人の治療をしていた白魔術師だ。いや、怪我人というより……。
「誰も彼女のことを治療しようとしないので、様子を見に来たのですが」
「もう死んでるね……ああ」
怪我人の容貌を見て、納得する。
倒れていたのは、僕より少し背の高そうな少女だった。申し訳程度の胸のサラシと、腰巻を身に付けるばかりの貧相な出で立ち。血の付いた手には鋭い爪。手足を覆う灰色の毛皮に、腰から伸びるしっぽ。やっぱり灰色の頭髪からは、三角形の耳がぴんと立って天を突いている。
狼の獣人だ。そのうえ。
「あ、ちょっと」
しゃがみ込んで身体をひっくり返して、確信する。胸元に、鎖を巻いたような入れ墨が彫られている。
「やっぱり、奴隷だったんだ」
普通、ダンジョンにこんな軽装で入ってくる冒険者はいない。彼女は誰かの奴隷として、ここに送り込まれていたのだろう。当然、パーティメンバーなんておらず、誰もが自分の仲間の治療を優先する中で、放置され、息絶えたというわけか。
なんにしても、運のない話だ。
「ゴブリン引き連れてきた連中はさっさと逃げていくし、踏んだり蹴ったりだ」
「災難だったね。でもまあ、ダンジョンじゃよくある話だよ」
ここは命のやり取りをする場所だ。冒険者であっても、中に踏み込んで生き延びていく力を得られるのは、ほんの一握りなのだ。
事情もわかったし、さっさと先に進もうかなと思ったのだが。
「あ、あの、マイロさん。この人をゾンビには、しないんですか? このままは、なんだか可哀相ですし……」
と、ウリエラに裾を引かれてしまった。
「彼女を? うーん、でもなあ」
見ず知らずの相手をいきなりゾンビにするというのも、いささか気が引ける。
「も、もしかしたら、仲間になってくれるかもしれませんし」
ウリエラはそう囁く。
確かに彼女は、種族的にも身体能力の高い狼の獣人だし、手の返り血を見るに、腕っぷしも弱くはなさそうだ。
とはいえ。
ちらりと隣にいる戦士を見る。彼は僕の視線に気づくと、肩をすくめた。
「死霊術師は、死者の魂を下ろせるんだったか。いいんじゃないか? 彼女もなにか思い残したことがあるなら、訴えもしたいだろうし。それに……」
戦士は僕とウリエラ、足元にいるオオカミゾンビの姿を眺める。
「あんたたちがなにしようが、俺たちには止められなさそうだしな」
階級差を感じ取ったのだろう。戦士は両手を挙げて後ずさった。
そういうことであれば、試しにやってみるとしようか。
僕は獣人少女の傍らに膝をつき、腰に吊るしていた魔導書を開いた。人皮で装丁された、由緒正しき死者の書を。
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