第3話:引きこもり準備

 さて、ダンジョンにせよどこにせよ、引きこもるのであれば相応の準備というものがある。食料や衣類、寝具、そのほか生活用品等々。


 かといって、いきなり大荷物を抱えてダンジョンに入るわけにもいかない。一度潜ったら数日出てこないこともあるとはいえ、本気でダンジョン内で暮らそうとすれば、普通に衛兵に止められるだろう。


 まずは数日過ごせるだけの準備をして、拠点を選定。それから徐々に荷物を運びこんでいくとしよう。


「というわけで、とりあえずは普段通りにダンジョン潜る準備の延長って感じかな。保存食にシュラフに着替え……ああ、簡易テントも持って行こうか」


「は、はい、わかりました」


「あと僕は、最低限仕事道具も持っていくけど、ウリエラも取り急ぎ必要なものは持って行ってね」


「はい……あの、すみません」


 と、引っ越しの段取りを伝えていただけなのに、どうしてかウリエラは申し訳なさそうに頭を下げる。


「え、なになに、どうして謝るの?」


「だって、その、私が転移魔術を使えれば、もっと簡単だったじゃないですか」


 あー。


 確かにウリエラは、高位の黒魔術である転移を使うことが出来ない。僕らと同じパーティにいた、ミスリル級冒険者であるにも関わらず。


 けれどそれは、別に彼女が悪いわけではない。


「それはしょうがないよ。君はカッパー級の頃に死んじゃったわけだし」


 死体は、成長しない。


 当然の話だ。成長って言うのは、生ける肉体だけに適用される法則なのだ。すでに死を迎え、死霊術によって肉体に魂を結び付けているだけの彼女が、成長することはない。


 学習はできる。記憶という、魂の領域の話だから。高位の魔術を覚えることも出来る。けれど、学んだ呪文を実践する魔力が、ウリエラにはないのだ。


「よく考えたら、ケインたちもなにも疑問に思わなかったのかな。思わなかったか。ウリエラどころか、自分たちの手足が死んでたことすら、気付いてなかったもんね」


 彼らは魔術師を、『ちょっと便利な術が使える荷物持ち』程度に考えていた節がある。ほかのパーティで魔術師がどんな魔術を使っていたのか、どれほどの猛威を振るっていたのかも、まったく興味を示さなかったのだろう。


 ウリエラの場合、ダンジョンの中で手に入れた装備で、一応魔術の威力は上がっていたことも一因かもしれない。


「ないものねだりしても仕方ないさ。でも、魔力を高める手段も考えていないわけじゃないんだ。上手くいけば、ウリエラも高位の魔術が使えるようになるかも」


「ほ、本当ですか?」


「すぐに実践はできないけどね。引っ越しが落ち着いたら、それも考えていこうか」


「はい!」


 さて、あまりおしゃべりで時間を浪費しても仕方がない。早いところ買い物を済ませて、ダンジョンへ向かわなければ。





 寝具や衣類はいままで使っていたものを持ち出すだけなので、まず買うのは食料。


 僕とウリエラは市場に向かい、干し肉や硬パン、乾燥果物などの保存食を買い込んでいく。本格的にダンジョン生活を始めるなら、基本は自給自足だ。なのでこの辺は、当面の繋ぎでしかなく、あんまりバリエーションとかは考えない。


 しかし、市場を歩いているだけで、いくつもの視線が刺さる。嫌悪、忌避、侮蔑を孕んだ視線。ひそひそと囁き声も聞こえる。


 当然のことながら、原因は僕だ。僕が、死霊術師だからに他ならない。


 僕は、装いこそウリエラとお揃いの黒いローブだが、顔の左側に、黒い太陽の入れ墨が刻まれている。死者を眠りから覚ます、黒陽の紋。死霊術師の証が。


 自分で選んだ道だし、覚悟もしていたのだが、正直こうもいつもいつもだと、煩わしいことこの上ない。肉屋の店主なんか露骨に舌打ちしてきたし。


 まったく、これだから嫌なんだ。


「あの、マイロさん……?」


 おっと、今更な嫌悪感に顔を顰めていたら、ウリエラを心配させてしまった。ケインたちの態度は、思ってたより僕の精神に負荷をかけていたのかもしれない。


「ごめんごめん、じゃあ次に行こうか」


 荷物を抱えてさっさと市場をあとにし、次に向かうのは薬屋だ。ここでは僕の仕事道具を見繕う。それに、ちょっと息もつける。


「おじさん、マツにオオバコ、それにミントと、いくつかハーブが欲しいんだけど」


 店主は黙って棚を指さす。その視線に、僕への興味はほとんどない。


 この店はここガストニアでも一番の、魔術学院御用達の薬屋なのだ。黒魔術師も白魔術師も、もちろん死霊術師も、学院の生徒なら誰でも一度はお世話になる。死霊術師が買い物に来ることを、いちいち気にしたりしない。


 僕は棚から、お目当ての薬草を見繕っていく。


「あの、マイロさん。それは、なにに使うんですか……?」


「これ? 死体を保存するための防腐剤を作るんだよ」


「防腐剤、ですか? も、もしかして……」


 ウリエラは自分の身体を見下ろしている。確かに彼女の身体も死体ではあるが、もちろん腐敗なんてしていない。


「あはは、大丈夫、ウリエラは腐ったりしないよ。ちゃんとエンバーミングの魔術をかけてあるから」


「エンバーミング……」


「うん、死体の傷や腐敗状況を生前の状態に修復して、保護する術。死霊術の基本だよ。ちなみに、五感や生理的反応を調整して、再現もできる。ウリエラの場合は、人並みの感覚、食事や排せつのサイクルも残すようにしてあったと思うけど」


「ぅ、あ……あの、はい……お、おなかすいたり、トイレも、行ってました……」


 どうしてかウリエラは俯いてしまったけれど、ようは生きた人間の真似事をさせられるということだ。これは、なまじ生前に近い状態の死体に魂を定着させたとき、感覚のずれが精神崩壊に繋がるリスクを生むためである。


 ウリエラのように、長期的な活動を前提としたリビングデッドには、必要な措置だ。もちろん、痛みや空腹を覚えても、それで死ぬことはない。なんせとっくに死んでいるわけだし。


「で、でも、ずっとその魔術をかけてたんですか? 私や、他の人にも、何年もずっと……?」


「エンバーミングは、一度かけてリビングデッドにしてしまえば、あとは本人の持ってる魔力で維持されるんだ。だから僕が使ったのは、最初だけ」


 エンバーミング自体は割と低コストだ。魂を定着させるほうが、よっぽど魔力を消費する。


「ただ、すぐリビングデッドにするならともかく、そうじゃないなら結局腐敗が進んでしまう。だからあとで使う死体は、こういう防腐剤や、薬液を使って保存しておくんだ。ダンジョンの中でいろいろ研究もしてみたいからね、下準備は欠かせないよ」


 本当は、魔術学院の研究室から調達できれば早いんだけど、死霊術科はいつも予算不足で喘いでいるので、同期たちに申し訳ない。だから自腹で用意するのだ。


「さて、僕の方はこんなもんかな。ウリエラはなにか準備しておくもの、ある?」


「わ、私は大丈夫、です。普段から、全部持ち歩いてたので……」


「そっか。なら、ひとまず準備完了かな」


 ようし、それじゃあさっそく、ダンジョンでお部屋探しと行こうじゃないか。

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