眼鏡のいい女

シンカー・ワン

Dear WOMAN

「……三十分か」

 ケータイで現在時刻を確かめつつ、待ち合わせ場所へと歩を進める。けど急いだりはしない。

 遅れてしまうことを伝えた際、返って来たのは、

「了解。着くまで本読んでるから、慌てなくていいよ」

 言葉通りに受け取るのはどうなんだって意見もあるだろう、けど心配は無用。

 僕の彼女は本の虫。本が読めれば幸せというタイプ。

 きっと僕の到着を待っている間も何か読んでいることだろう。

 

 出会った時もそうだったなと思い出す。 

 人数合わせに駆り出された合コン、場の空気に馴染めず居心地の悪さを感じて逃れた隅に居た。

 ワイワイと盛り上がる周り、我関せずと本を読みふける女性。

 眼鏡にかかるソフトウェーブの髪の毛を無造作に払い、ひたすら読むことに没頭していた。

 本以外視界に入れず、粛々と文字に視線を送るその佇まいは明らかに異質で。

 実際に彼女の周りは避けているかのように人が寄っておらず、放置されているというよりはあえて係わらないようにしているみたいだった。

 だのに僕はなぜか吸い寄せられるように彼女の隣りに座り、乱痴気騒ぎが退けるまで一緒にいたのである。

 もちろん彼女が僕の存在を意識することなんかなかったが。

 酒宴が終わりをつげ上手く行ったペアやそうでなかったソロがパラパラと去って行っても、本から目を離さず場にとどまっていた彼女へなんとなく合コンが終わったことを告げたのがきっかけ。

 反応が返るまでどれくらい時間がかかったのかは……言わないでおこう。

 お店の店員さんがにこやかに早く出て行けって空気をまとわせていたのはよく覚えてる。

 なんとなく最寄り駅まで一緒に歩いて、なんとなく噛み合わない会話して、なんとなく連絡先教え合って、なんとなく顔を合わせるようになって、なんとなく今に至ってる。

 付き合っているのは確かだ。けど明確に彼氏彼女恋人同士なのかは、今もよく分かっていない。

 彼女に言わせると、

「本読むの邪魔しないし、ほっといてくれるし、嫌な顔しないでいてくれるし。なんか居心地よいのよね、君」

 だ、そうだ。

 彼女としてはかなりの高評価……なのだと思う。

 ま、僕にしても彼女といる時間は楽しい。特に何かする訳でなく――だいたいは彼女が本を読んでいるのを眺めてるだけ――ただ一緒にいるだけだったりするだけなんだけど、『』ってだけで何か落ち着くし穏やかでいられる。

 彼女が僕に持つ好意が男女間のそういうものなのかは謎だけど、僕は女性として彼女が好きだ。

 健全な成人男子だから、いつか彼女と……って気持ちはある。

 けど無理にそうなりたいとは思っていない。彼女と一緒に居て同じ時間を過ごす。

 それが何よりも大切に思えるから。


 待ち合わせ場所に着いた。オープンテラス席の中で彼女を探す。

 ……居た。片手にドリンクボトルを持ったまま、もう片方の手の中の文庫本に視線を落としてる。

 想像していた通りの姿に頬がゆるむのがわかる。

 彼女がとても彼女らしくて、そんな姿が何だか愛しい。

 きっと声かけても気がつきはしないだろう。

 めくられているページから、読み切るまではあと少し時間がかかりそうだ。

 なら、本を読む彼女を見ていようか。読み終えて僕に気がついてくれるまで、眺めていよう。

 僕の存在に気がついたとき、きっと君はこう言うはず、

「着いたのなら、声かけてくれればよかったのに」

 って。

 その言葉に僕は笑い、笑う僕を見て君は不可解な顔をするんだろうね。

 少し先の時間のやり取りを夢想しつつ、君の向かいの席に腰かける。

 ほら、やっぱり気づかない。

 君らしくていいけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

眼鏡のいい女 シンカー・ワン @sinker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ