33.後日

『ごちそうさまでした』

 心底から呆れきった天樹の声色に杷は恥ずかしいやら居たたまれないやらで、スマートフォンを耳に当てるのとは逆の手で赤面した顔を覆い隠した。

(またやってしまった……) 

 杷が泣きながら間嶋を抱きしめた瞬間の映像は地元テレビのニュースで何度も流された上に、かつてライバルと並び称されていた天樹の四大陸選手権2位の結果と絡ませる形でネットの記事でも詳しく取り上げられたのだった。

『よかったな、優勝して』

「いや、あそこまで強いと俺、いなくてもよかったんじゃないかなって思わないでもないんだけど……」

『そんなことないだろ』

 最後は投げやりに言ってくる天樹に杷はひたすら申し訳ない気持ちで祝辞を返した。

「……お前も銀メダルおめでとう」

『ああ、ありがとう』

 天樹はあまり嬉しくなさそうだったが、とりあえずはそう答えた。

『けど、もし優勝できてたとしてもあんな記事が載っちまったらカーリングを辞めろなんて言えなくなってたな』

「そう? ていうか、お前が優勝しててもカーリングを辞めるつもりなんかなかったけど」

 すると天樹はちょっと黙ってから――いや、結構な沈黙を置いてから――『そっか』とだけ言った。

『なあ、俺たちって5年? 6年? 一緒にフィギュアやってきたけどさ。お前が勝って泣くのは初めて見たよ』

「そうだっけ?」

『そうだよ』

 その点について天樹は相当な自信があるようだった。

『お前、負けた時は悔しそうにするけど勝った時は安心したように笑うだけだった。ずっと、勝つのが当たり前になってたもんな』

 それは、確かにそうだったかもしれない。

 杷がどう答えたものが考えていると、会話の達者な天樹の方が先に言葉を発した。

『お前も、泣くほど勝ちたいと思えるものを見つけたんだな』

「天樹……」

『俺もお前を倒して、あんな風に嬉し泣きする気分を味わいたかったな』

「それは、別に……俺に勝ちたいならフィギュアでなくともいいんじゃないか。いろいろあるだろ、他にも。勝負ごとなんて」

『他にって、たとえば?』

「え?」

 突っ込まれた杷は、「えっと」と時間を稼いだ。

「……どっちが先に彼女ができるか、とか」

 苦し紛れに言うと、天樹は黙った後で腹を抱えて笑い出したようだった。

『く、――っだらないな! でもそうだな、そんなのでもいいよな。久世、フィギュアを辞めてもお前は俺のライバルだよ』


 杷は腰かけていた縁側から松葉杖で立ち上がり、雪化粧した中庭を横切って離れの直販所に戻った。代わりに店番をしていてくれた間嶋が木片の上へ置いた酒瓶にラベルを当て、指先でこすりつけている。

「話はついたのか?」

「うん。この和菓子の包み紙は?」

「手伝いありがとうって、お祖母さんがくれた」

「これ、材木町にある老舗店のじゃん。俺にだって滅多に出してくれないのに」

 学校帰りに立ち寄った間嶋は制服姿だ。無田たちが5時からアイスリンクで練習を行うので、杷も見学するつもりだった。松葉杖で両手がふさがってしまうので、間嶋はその荷物持ちである。

 時計を見ると、まだ時間がある。

 間嶋の隣に腰を下ろした杷は、意を決して口を開いた。

「あのさ、よだかがどうこうって話なんだけど」

 間嶋の手が止まり、ちら、とこちらを見た。

「ああ」

「俺の名前、『昴』になるかもしれなかったって話したことあったっけ」

「知らない」

「そうなんだよ。じいちゃんが『昴』か『サライ』にするって決めて、俺の顔見たらこれは『サライ』だなって感じたからこの名前になったんだって」

「……あの人らしい」

「うん。でさ、『昴』って星の名前じゃん? 俺も星になりそこねたんだなって」

 杷の手が無意識に膝をさすった。

「だから、お前が星になれないなら俺もそう。……なんだよその顔、言葉遊びなのはわかってるよ」

「いや、そうじゃなくて」

 めずらしく、間嶋が言葉を噛んだ。

「名前の話なら、俺は――」

 彼は何かをごまかすように、手にしたラベルをもてあそぶ。ひさかた酒造。久世という苗字にかけた屋号が間嶋の指にもまれてくしゃくしゃになっていく。杷が促しても、何を言いかけたのかは教えてくれなかった。

「そうだ。あとで女の子紹介してくれない?」

 話題を変えるだけのつもりがあまりにも唐突過ぎたようで、間嶋の眉が見る間にひそまり、作業をする手がぴたりと止まる。

「なんで」

「お前、女友達が多そうだから」

「そうじゃない。なんで女が欲しいんだ」

「天樹と競争。どっちが先に彼女できるか」

 くだらないと呆れられるかと思ったが、間嶋は検討するように一呼吸を置いてから、「いいけど」とのたまった。

「え?」

 驚いて身を乗り出す杷へと、作業に戻りながら告げる。

「俺よりカーリングがうまくなったらな」

「それじゃ一生無理だろ」

 手元のラベルがなくなった間嶋に新しい束を差し出してやる。この分なら出かけるまでに終わりそうだ。あのストーンの弾ける快い音が早く聞きたくて、杷は彼の器用な指先がラベルをはり終えるのを待ちどおしげに眺めていた。


 参考文献 

 公益社団法人 日本カーリング協会 オフィシャルブック『新 みんなのカーリング』(学研、二〇一四年)

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