32.決勝トーナメントⅡ(4)

「ジャンク?」

 ハウスに戻った間嶋の提案を聞いた無田は、「おっと」と手袋をはめた両手で口を抑えた。シート脇で待っているLOLzをちらりと見るが、どうやらそこまでは聞こえなかったようだ。

 同点でむかえた最終の第8エンド。

 リードが投げ終えた後、セカンドの1投目に入った時点でチーム無田は5分間のタイムアウトをとっている。ハウスの中央やや前寄りにLOLzの赤いストーンが1つと、手前の縁に半分ほどかかる位置に黄色いストーンが1つ。ハウスの前には左のコーナーに黄色いストーン、センターラインの右隣に赤いストーンがある。センターに置いたこちらのストーンを、高坂が2投目でウィックして端にずらしたのだった。

「ジャンクって、ハウスの前に散らばったストーンのことを言ってるんだよね」

「そうだ」

 頷いたのは間嶋ではなく、ずっと彼の相談相手をしていた忍部である。

「LOLzはテイクアウトが得意なチームだ。早いうちからハウスに入れてもガードストーンごと外される。だから、ジャンクに偽装して得点源になるストーンをあらかじめハウスの前に設置しておく。幸い、これまでのゲーム展開を見るとあちらが後攻の時はそれほど神経質にガードストーンを外そうとはしてこない。さすがにセンターは空けてくるが、コーナーはほぼ放置してる」

「大丈夫かな。ばれない?」

 懐疑的な無田に、LOLzのいる方向に背を向けている間嶋が言った。

「これはサードが抜けて3人しかいないのを逆手にとった作戦だ」

「逆手?」

 間嶋が頷く。

「第5エンド以降、無田のドローはほぼ全てショートしている。これはガードストーンの設置とその後ろに隠すカムアラウンド以外のショットに慣れていないことと、スイーパーが1人減ったせいでいつもの加減ではストーンの距離を伸ばしづらいことが原因だ。どうせショートしてハウスに届かないなら、最初からハウスの外を狙えばいい」

「――まさか」

 無田の目が眼鏡越しに見開かれた。

「俺にガードストーンを置く要領でハウスの前にストーンを置きにいけってこと?」

 もう一度、間嶋が頷く。

「相手チームに勘づかれないように、俺はブラシをフェイクの場所に置く。目標地点は口で伝えるから、目印なしで投げろ」

 絶句する無田に彼は続けて言った。

「目をつぶってでも投げられるんだろ?」

 無田は観念したかのようなため息をつき、被っていた帽子を脱ぐと癖の強い髪を指先でかき回してからぐっ、と深くかぶり直した。

「……絶対に決めろよ」

 間嶋はまたしても頷いた。

 その様子を遠巻きに眺めていた友安は、手慰みに掴んだブラシの柄をバトンのようにくるくると回している。

「変なタイミングでタイムとったな」

「何か仕掛けてくるかもしれない。気を抜くなよ」

「わかってるって。ようやく眠気も覚めてきたし、本領発揮の時間だ」

「もうそんな時間か」

 腕時計を見た桔梗が目を細める。既に15:30を過ぎていた。隣のシートから拍手が聞こえたので目を向けると、熟年チームの八つ手が4:3で試合を終えたようだ。

「縄張りのボスが決勝の相手か。不足なし」

 宙に放ったブラシをキャッチして、友安はシートに足を踏み入れる。チーム無田のタイムアウトが終了し、忍部セカンドの投げたストーンは左サイドにあるコーナーガードの後ろへかなり長めに入った。陣口は前にあるストーンから飛ばしてこれに当てようとするがラインを外し、投げたストーンのみがハウスの右サイド手前に滑っていった。幸いとばかりに忍部は2投目をそのストーンの後ろへ隠してしまう。

「…………」

 杷は食い入るように一連の流れを見ていた。

 確かにガードからの距離が離れれば離れるほど、後ろのストーンを弾き出すのは容易でなくなる。だが、同時に距離が開くことで前に回り込まれやすくなるのも確かだ。

 杞憂通り、友安は連続で左右のハウス後方に置かれた黄色いストーンを押し出しにかかった。まずは陣口が左のストーンにヒットアンドロールしてNo.1の後ろに隠すと、次の桔梗が右のストーンの前に当てて自分のストーンをその場に残す。

(一気にストーンが入れ替わっちゃった)

 杷の代わりにデリバリーする忍部が右サイドの赤いストーンにつけにいくも、僅かに浮いたところをやはり上から軽く押されてハウスの外に出されてしまう。

 これがティーラインよりも上に置かれていれば上から押されても出されにくいのだが、と身じろいだ杷は腿の上に汗ばんだ手のひらをこすりつけた。

「間嶋……」

 活路が見いだせないままに、残りは2投ずつ。

 気づけばシートを取り囲む人々の視線はただひとり、無表情でセットに入った間嶋斗馬というフォースに注目している。さきほど隣の試合が終わったため、観戦の目がこの試合に集まっているのだ。

 だが、1人だけ彼を見ていない者がいるのに杷は気づいた。

「…………」

 LOLzのサード兼バイススキップである桔梗はデリバリーの準備に入った友安の代わりにエンドラインの後ろに立ち、ハウスの状況を眺めていた。

 やがて、高坂がセンターガードをウィックした際にセンターライン近くの右サイドに留まっていた赤いストーンの後ろ、No.1ストーンよりもやや外側の位置に間嶋の投げたストーンが止まるのを待ってから友安を呼び寄せた。

「サードの1投目で置かれたストーン?」

 友安は怪訝な顔でハウスの前に足を運ぶ。それは陣口と桔梗が相次いで相手のストーンを押し出したさなか、無田がNo.1ストーンにつけようとして失敗ショートしたストーンだ。

「これがどうかしたのか? ただのよくあるジャンクだろ」

「よく配置を見てくれ。現在、このハウスにかかっている黄色いストーンの真上には僅かだが俺たちのストーンが進路に入っているため、上から真っすぐに当てて中のNo.1を押し出しつつレイズしたストーンをその場に残すのはほぼ不可能だ」

 ハウスの手前に膝をついた桔梗は上半身を屈めてブラシを伸ばし、2つのストーンの距離を見た。するとやはり、前にある赤いストーンが5分の1ほど黄色いストーンまでのラインに被さっている。この赤いストーンを避けて後ろの黄色いストーンに当てようとすれば遅いウェイトで投げるか、薄く当てるかしかない。前者ではNo.1を弾き出すにはいきおいが足りず、後者ではラインに角度がついてしまうため、投げたストーンをその場に残して得点にすることは難しい。

「だが、左サイドにあるこの黄色いストーン。これを角度をつけて弾き出すと――右サイドにある赤いストーンに当たる。当然、弾き出した方のストーンは90度の方向に向きを変えるため、そこにあるのは――」

 とん、とセンターに置かれた黄色いストーンを桔梗のブラシが指し示すのと友安の両目が見開かれるのが同時だった。

「ばかな、じゃあ計算してわざとそこに置いたっていうのか? 偶然だろ」

「確かにあの時、代理のバイススキップである間嶋のブラシはNo.1ストーンへのフリーズを指示していた。だが、思い出せ。怪我で抜けたサードの代わりに投げたのは相手チームのリード兼スキップだ。まっさらなハウスに向かってガードストーンを置く練習を何百回と積んでいるリードなら不可能じゃない」

「――――」

 友安がごくりと喉を鳴らし、素知らぬ顔で自分の番を待っている間嶋に目を向けた。

「……確かに理論上、このジャンクを使ってNo.1ストーンを入れ替えることは可能かもしれない。けど、そんなプレーができるとしたらそいつは間違いなく世界トップレベルのカーラーだ。あいつにそれができると?」

「正直、このまま放っておいてその真偽をこの目で確かめたい気持ちもあるな。だが、気づいてしまったからにはこのストーンを取り除く」

 桔梗はブラシの先を左サイドにあるジャンクストーンの前にぴたりと示した。


「――気づかれた!」

 無田が押し殺した悲鳴をもらす。

 ハックについた友安がゆっくりと体を後ろへ引き、勢いをつけてストーンを送り出した。無事に目標のストーンをピールした友安は大きな息をつき、肩をゆっくりと回す。勝負はついたとでも言いたげな雰囲気だ。

彼は間嶋が無言でハックを蹴り出し、大きく空いた左サイドからやや強めのドローショットでNo.1を押し下げにいくのを見送った。これは問題なく成功し、元No.1があった場所からストーン1個分斜め上になる位置に新しいNo.1ストーンが置かれている。あれをレイズし返してNo.1を取り返せば終わりだ。

「?」

 だが、そんな簡単な指示がなかなか出ない。

「大典!」

 呼んでも返事がないのでおかしく思いながらハウスに戻った友安は、呆然と立ち尽くす桔梗の見下ろす先に視線を向けるなり言葉を失った。

 黄色いストーンが30cmほどの距離を空けて2つ並んでいる。

 それも、ぴったり平行の高さに。寸分の狂いもなく、それらは双子のように隣り合っていた。

「なんだこれ?」

 思いもよらない配置に、友安は愕然とつぶやいた。

 左側は先ほど間嶋がNO.1を押し出して作った新しいNo.1ストーン。右側はこれも間嶋の投げたストーンだ。1投目で赤いストーンの後ろに隠したのを確かに見ていた。

「いや、でもあの時はまだこんな形にはなってなかった。No.1よりも外側に止まったからノーマークで――なのになんでいま、No.1と同じ高さに」

 友安の表情が見る間に青ざめていく。

 その瞳が、行儀よくシートの脇に並んでいるチーム無田のスキップを見た。

視線を受けた無田は居心地悪く身じろいだ。まるで詐欺師になった気分でも味わっているかのように。

「なんかすっごいこっち見てるんだけど……」

「そりゃあ、まさかラストストーンを投げようとしたらあんな形になってるとは思わないだろうな」

 忍部が苦笑う。

相手に策を見透かされた時のためにあそこへストーンを仕込んでおくのは彼と間嶋のふたりで念入りに検討した仕掛けだった。

「間嶋が2投目をデリバリーする前にあの形になってなかったのは当たり前だ。あのストーンはと平行になるよう、あらかじめ元NO.1ストーンよりストーン1つ分上の位置に止めておいたんだから。ぶっつけ本番であそこまできっちり決められるお前が俺はおそろしいよ、間嶋」

 当の本人は両手をズボンのポケットに突っ込み、物言わぬ横顔をさらしている。

一方、動揺する友安を憐れむように無田が言った。

「2つは出せないよね」

「まず無理だな。ティーラインより前だし、勢いのあるテイクショットはジャンクが邪魔になって打てない。どちらか一方だけならレイズで押し出せても、その投げたストーンは残るもう片方のストーンよりも前にしか止まらない。となると、残された道はひとつのみ」

「直接ハウスの中心を狙うドローショットだね」

「そう。友安選手の苦手なドローだよ」

 ハックについた友安はストーンのハンドルを掴んだ手をいったん離し、手の汗を服でぬぐった。スイーパーとして両脇についた高坂と陣口の表情も硬い。観客たちも息をひそめ、彼が最後のストーンを投げるのを待っている。静まる会場の不気味な沈黙の中、ようやく友安が動いた。

(――短い)

 ストーンが手を離れた直後、友安選手が「イェップ!!」と叫んで駆けるのを杷は見た。ハウスを出た桔梗もスイーピングに加わり、4人でストーンの前を掃く。しかし、ストーンは手前にあった黄色いストーンに当たって軌道を変え、ハウスの斜め上で停止。

 どっ、と会場が一斉にわいた。

「ここで2点スチール……!?」

 怒号のような歓声と絶え間なく降り注ぐ拍手の渦の中、人目をはばかることなく叫んだのは鶴見を連れ戻しに来たはずの梅垣だった。呆然自失の友安は、ストーンを片付けるのも忘れてハウスを見下ろす。

 外側から2つめの円、センターラインを挟んだ両脇にある2つの黄色いストーン。その周囲を取り囲むように5つの赤いストーンが散らばっていた。どれだけハウスにストーンがあろうと、得点は最も内側にあるストーンを持つチームにしか与えられないのだ。

「決して難しいショットじゃなかったのに……」

 友安はスコアボードに向かう間嶋に気づき、自分から道を譲った。

「…………」

 その時、間嶋を見る友安の怯えと妬みの混ざり合った表情は杷の脳裏にくっきりと焼きついた。

会場の全てが沸き立つただなかで、勝負を決めた本人である間嶋だけが平然とした素振りでスコアボードに歩み寄り、点数を書き入れて戻ってきた。

「5:3」

「……勝った」

 信じられない思いでつぶやく杷に、間嶋は首を傾げてたずねる。

「なのになんで泣いてるんだ?」

 言われてはじめて、杷は手の甲で頬をぬぐった。とめどなくこぼれ落ちてくる。間嶋は何かを言いかけて唇を閉ざすと、その場に膝をついた。

「氷、もう溶けてるから新しいのに代えて――」

 氷嚢を取り替えようとする間嶋を無視して、杷は彼の肩をきつく抱きしめる。

「ごめん」

濡れた声でささやくと、間嶋は本当に微かな吐息をついた。それは仕方のなさと満足がないまぜになったような、ひどく複雑な響きをしていた。

「いいよ」

 間嶋の手が背をたたき、「うん」と杷は頷いた。

 隣の天樹が何か言いたげな顔になるが、さらに抱きついてきた無田にさえぎられる形でその機会を失った。バランスをくずしたパイプ椅子が倒れそうになるのを忍部がささえる。

「よかったね」

 振り返ると、鶴見が梅垣と壬生に引っ張られて隣のリンクに戻っていくところだった。わざわざ試合後の握手にきてくれたLOLzの選手たちと挨拶を交わしていた矢先、「さっちゃん!」と呼ばれた杷はびくっと顔を上げた先に祖母の姿を見つけて青くなった。

「怪我したならすぐに呼ばなきゃだめでしょ」

「ごめんなさい、でもあと決勝戦だけだから――」

「いけません。すぐに帰る支度をしなさい!」

 観戦に来ていた近所の知り合いから孫が怪我をしたことを聞いて駆け付けた祖母の車へ無理やり乗せられた杷は日曜でも受診している総合病院に運ばれ、一方、3人で決勝戦を行うことを許可されたチーム無田は八つ手を5:4で降して優勝してしまったのだった。

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