31.決勝トーナメントⅡ(3)

「間嶋」

 第6エンドで2点を取り、2:3と逆転したLOLzの先攻で始まる第7エンド。高坂リードが投げる間に無田は間嶋を呼び寄せた。

「このエンド、流れによってはブランクにして最終エンドの後攻を取る。同点で先攻よりは後攻で1点を追いかける方がいいと思うんだ」

「ああ」

 無田はちょっとためらってから、やはり言おうと口を開いた。

「久世くんの膝の痣、知ってたんでしょ?」

 無言は肯定と受け取り、無田はため息をついた。

「なんで黙ってたの、って言っても仕方ないか。俺が知ってたら絶対に休ませてたもんね。言えるわけがない。だから嫌がってたバイススキップを引き受けた。違う?」

 間嶋は何も言わない。

 だが、無田はやはり肯定だと受け取ったようだ。疲れたように大きなため息をつき、ハックを蹴って滑走する高坂の手元を見つめる。

「俺さ、怪我して泣きそうになってる久世くん見てたらこの大会で優勝して軽井沢で行われるマスターズに出場したいっていうのどうでもよくなっちゃったよ」

 間嶋は何も言わないので、無田の独り言が続いていく。

「見た? あの膝。痣の方じゃなくて、たぶん手術の痕。あんな足でずっと俺たちのためにカーリング付き合ってくれてたんだよ。久世くんは無理してないって言ってたけど、でも、それはきっと本人も気づいてなかっただけでやっぱり負担がかかってたんだ。あんなになるまで頑張ってくれてたんだって思ったら、俺、胸がいっぱいになっちゃったよ」

「じゃあ、やめるか? コンシードするなら早い方がいい」

 空気の読めない間嶋に無田はもう一度ため息をついた。

「人が感動してるのにこれだよ。お前と話してるとむなしさしか感じない……逆だろ、逆。もし負けたら久世くんは絶対に自分を責めるからね? 『俺のせいで負けた』って、背負わなくていい罪悪感を与えちゃうんだよ。俺たちが! 負けたら!」

 間嶋は何かを言いかけたが、口をつぐんでしまう。

「あ、そんなのただの思い込みだって顔してる。言っとくけど、人間は思い込みで何だってしちゃう生き物なんだからね。久世くんが責任を感じてチーム辞めたらどうしてくれるんだよ」

「あいつはそんなに弱くない」

「ッ……」

 無田は一瞬、奥歯を強く噛みしめた。

「でも、そんなに強くもないからこんなことになってるんじゃないか。ここで負けたら久世くんがかわいそうだ」

 ぼそりとつぶやいた無田は無言で立ちつくす間嶋の脇をすり抜け、忍部の待つハックに向かう。

「何を話してた?」

「不毛なことって世の中にあるんだなって学んでる最中」

「手厳しいな。あいつも何も感じてないわけじゃないと思うけどね」

 そこで無田がデリバリーに入り、会話がとぎれた。1投目でハウス中央に入れた自分たちのストーンの真上に被せてきたのを見て、友安は中にある赤いストーンの前をブラシで示した。

(積んでくる)

 LOLzはこのエンドをブランクにはしないつもりだ、と杷は直観する。

 鶴見も同じ見解を示した。

「ハウスに自分たちのストーンを残して、同点にしてでも相手に1点をとらせていくつもりだね。それくらい最終エンドの後攻は欲しいものだから」

「――鶴見さん」

 壬生とは違う低いうなり声が背後からしたので、彼はぎくりと首をすくめた。抜け出したまま戻らない2人を探しに来た梅垣だ。

「俺ら給料もらってやってんですから、さぼるのはほどほどにしてもらえませんかね……」

「あとちょっとだから! この試合が終わるまで見逃してよ」

「いま何エンドなんです?」

 答えたのは壬生だ。

「第7エンド。後攻のリードの2投目に入るところです」

 無田の2投目。つけにいくもハウスの中まで届かず、代わりに陣口の1投目が3つめのストーンとなってセンターラインを軸に積みあがる。

(忍部だけのスイーピングじゃ、今までなら調整できていたはずの距離も合わせられないんだ)

 膝の上で手を握り締め、杷は最初に無田が言っていた言葉を思い出した。

 ――だから、カーリングは4人要るんだ。 

 1人が指示し、1人が投げ、2人が掃く。互いに情報を伝達し合い、コミュニケーションを密にとることで刻々と変わりゆく氷の状況を把握し、ストーンを目標の位置まで運ぶのだ。

(なのに俺、どうしてこんなとこで他人事みたいに眺めてるんだろ)

 観客たちの心配そうな視線が肌に突き刺さる。隣のシートからはひっきりなしに「ヤップ!」がかかり、テイクアウトが決まる度に歓声が上がった。地元テレビの取材章をつけた撮影グループが1組、準決勝の模様をカメラに収めている。杷は彼らと同じ、ゲームの蚊帳の外にいた。

 目の前のシートでは忍部の放ったレイズテイクショットが相手のストーンの山をばらしたところだ。1つはテイクアウト、1つは少し左に位置を変え、もう1つはあと少しでハウスを出る手前まで押し出されていく。投げたストーンは運よくガードの後ろにもぐり込んだ。

友安は陣口にドローでセンターガードの後ろにカムアラウンドするストーンを求めるが、これを陣口は長めに入れてしまう。好機を逃さず、忍部はその真上につけた。

「数センチ浮いてる」

 ストーンはぴったりとつけるほど出しづらくなる。友安は屈みこんで2つのストーンの間に隙間があるのを確認して、桔梗に11時方向にある赤いストーンから飛ばすように言った。これが見事に決まり、黄色いストーンは弾き出されて投げた赤いストーンが2時方向、6の位置に停止。

「出せるか?」

 忍部の問いに無田が首を振る。

「こんなことならテイクショットの練習もしておくんだったな」

 カッ、と小気味のよい音を立て、下の赤いストーンだけが弾き出されていった。一緒に出したかった上の赤いストーンはその場にステイ。

 桔梗の投げたストーンについた高坂が快哉を上げた。

「いける。陣ちゃん、ハリー!」

「うおおッ」

 止まりかけていたストーンが粘り腰をみせ、2時方向に留まっていた無田の投げたストーンの上にぴたりとはりつく。

 ハウスの前には黄色いストーンがセンターとその左後ろに1つずつ。後者のストーンに隠れる4の位置に黄色いストーン、9の位置に赤いストーン。そして逆サイド、ちょうどセンターラインとハウスの右端の中間地点に3つのストーンがややばらつきはあるものの縦に並んでいる。上から赤いストーン、それとぴったりくっつくようにして3分の1ほど重なる形で黄色いストーン。そして、逆サイドと同じ9の位置にこちらも赤いストーン。

「これだけストーンが溜まればブランクはほぼなくなった。あとはどちらが得点するかだ」

 鶴見のつぶやき通り、相手よりもハウスの中心に近い位置の取り合いが始まった。

「く……!」

 左側の赤いストーンの前につけようとしてストーン2個分足りなかった忍部は悔しげに額の汗をぬぐい、次のスイーピングに備える。

 息も整わないうちに投げるのは相当きついはずで、それは冷えた氷の上でプレイしているはずの彼の背中がぐっしょりと汗で濡れていることからも伝わってくる。

 友安は得意の連続レイズテイクショットで二重のガードをものともせずに忍部の投げたストーンを弾き出し、2投目では間嶋が忍部のつけられなかった赤いストーンに再挑戦して僅かに浮いたストーンに、1投目でハウスの外でステイしていたストーンを飛ばして超ロングショットで取り除くという荒業を見せた。

(――なんで)

 ラストストーンを持った間嶋が真っすぐに放り、センターガードを飛ばして中へ入れる。取らされた1点のため、タッチする3人のテンションは決して高くない。

(俺はあそこにいないんだろう)

 いつしか、杷は最終エンドに突入する試合の様子ではなくて手術の痕が残る自分の膝を見つめていた。どうしようもない情けなさがこみ上げ、目頭が熱くなる。

(泣くな。自分が悪いんだろ。カメラだって回ってるのに)

 誰もが心配して杷に言っていたことなのだ。

 祖母も、無田も、忍部も――あの間嶋すら、だ。気にも留めなかったのは自分だけだ。

(カーリングを舐めてたのは、俺だったんじゃないか?)

 最初に祖母が気をつけなさいと言った時、なんと答えたのだったか。そう、たいして深く考えもせずに「大丈夫」と言った。そんなに激しい動きをする競技ではないからと、たかをくくっていたのだ。

 ――あれだけフィギュアに愛されてたお前が他の競技をやるなんて、許されないんだよ久世杷。

 脳裏に天樹の冷えきった声が再生された途端、こらえきれない涙があふれ出す。これじゃフィギュアを辞めた時と同じだ。みっともなく泣いて、リンクに背を向けたあの時と何も変わっていない。

「怪我したのか?」

 それは、脳裏をよぎった記憶の中の天樹ではなくて、はっきりとした肉声をもって杷の耳に届いた。

 呆気にとられ、杷は振り返る。

 天樹がいた。

「なんで……」

「表彰式が終わってすぐ飛行機に乗った。残念だけど、俺は2位。そっちは?」

 杷が答えられないでいると、彼はスコアボードに目をやって憐れむように言った。

「同点で最終エンドか。しかも先攻じゃ負けは決まったな」

 次第に、観客たちが天樹の存在に気づきはじめる。ここにいるはずのないフィギュアスケート選手の存在は明らかに浮いていた。

「天樹……」

「そらみろ。泣きべそかいてみじめな思いをするはめになってる。まあ、俺も優勝できなかったからお互いさまだけど――」

 天樹が言葉をきって、別の方向へ視線をむける。

 同時に、杷の頭に何かがおおい被さった。誰かが脱いだばかりのジャケットだ。目の前に立つ同じユニフォームのズボンを履いた足が誰のものか考えをめぐらせようとした杷の耳に、やけに通るあの声が届いた。

「ここで負けたら、どんな気分になるんだろうな」

 杷は目を瞬き、きゅっと拳を握る。

「恥ずかしくて逃げ出したくなる。『頑張った』の拍手に救われると同時にすごくみじめでいろんな後悔が押し寄せて」

「じゃあ、勝ったら?」

「……知らない。あの時は負けたから」

「味わわせてやろうか」

「どっちを?」

「その目で見てろ」

 顔を上げると、頭に乗せられていたジャケットが肩まですべり落ちる。天樹が間嶋を見て、間嶋も天樹を見た。

 交わされる言葉はなく、間嶋の方が先に視線を外してシートに戻っていく。

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