30.決勝トーナメントⅡ(2)

「3人で再開するみたいですね」

 ようやくハウスに選手が戻り、しかしその人数が通常よりも1人少ないままである状況を確かめた壬生が鶴見に話しかけた。

 鶴見は「ああ」と頷き、規則の該当部分をそらんじる。

「エンドが始まり自分の投球順が来たとき、競技者が自分のストーンの両方をデリバリー出来ない場合、エンドが終わるまで以下の手順を採用する。選手が3人目であれば、1人目が3人目の第1投、2人目が3人目の第2投、4人目が最後の2投をデリバリーする。ルールでは確かにそうなってるけど、実際に試合で見たのは初めてだね。もちろんゼロではないけど、カーリングの試合中に怪我をすることはめったにないから」

 もの珍しげにつぶやいた鶴見は、続けて思い出したようにあごを撫でた。

「下がったサードの子は確か、フィギュアスケートを怪我で辞めたって言ってたね。古傷でもやっちゃったのかな」

「久世杷なら結構有名なスケーターでしたよ。同じ冬季スポーツをやってたのに知らなかったんですか?」

「そりゃもう全然」

「興味のないことにはうといですよね、鶴見さんは」

「仕方ないね。ずっとカーリング一筋だったから。あの子もそうだったのかな」

 並んだ2つのカーリングシートを挟んで差し向けられた鶴見の視線に気づく余裕など、シート脇に置かれたパイプ椅子に所在なく座り込んだ杷にあるはずもない。

右足の下にはタオルを敷いたバッグが置かれ、怪我をした右足を伸ばしておけるようにしてある。アイシングが効き、既に患部の痛みは引きつつあった。もう大丈夫なのではないかと思って少し力を入れると、途端に激痛が走る。

 現在、第5エンドの終盤。

 こちらのNo.1ストーンにヒットアンドロールした桔梗のストーンはうまくセンターガードの後ろに入り込んで前からは見えない。杷の代わりにデリバリーを行う無田はシートの右端に放置された赤いストーンを使ってNo.1に当てに行こうと考えて具合を見に行ったが、さすがに届かないと諦めてすぐにハウスまで戻ってきた。

代わりにハウスの少し手前左サイドにある方の黄色いストーンから飛ばす作戦を試みるが、慣れないサードの1投目という状況と仲間の怪我という事態が彼の手元を狂わせたのか、ストーンは目標のNO.1の下をくぐり抜けてハウスの外にスルーしてしまう。

 逆にLOLzはハウスの10時方向にあったこちらの黄色いストーンにヒットアンドロールしてNo.2を作りに来る。このストーンに忍部がヒットアンドステイを決めてNo.2を奪うも、桔梗がその後ろにストーンを回り込ませて再びNo.2を獲得。

 いつの間にか、状況はLOLzの有利だ。

「3人相手の高校生に勝っても自慢になんないけどな」

 ぼやく友安の膝裏に桔梗が後ろから自分の膝を当て、かっくんと抜いた。

「おっとっとっ」

「油断して3人しかいない高校生チームに負けたやつら、なんて笑われたくないなら気を引き締めないか」

「心配性だな。1人減った相手に負けるわけない」

 友安は不敵に笑い、ブラシを腰の後ろに当ててストレッチする。

「根拠は?」

「勘」

 胡乱な目を向ける桔梗にシグナルレッドの赤いユニフォームが似合う男は何の答えにもならないことを言った。

「あるいは運命ってやつ。いずれにしても負傷者が出た時点であいつらはここまでだよ。悪いけど、決勝に進むのは俺たちだ」

 ハウスの後ろに立つ友安たちに向かって放たれた間嶋のストーンは、No.3になった黄色いストーンからNo.1に当てるレイズテイクショット。僅かにガードストーンからはみ出したそれを友安がヒットアンドステイで弾き出して同時に中央への道をふさぐ壁をつくる。こうなると、ラストストーンを持っている間嶋は2つのストーンの間をかいくぐってドローショットをハウスの中央に投げ込む他ない。

(2点とれそうだったのに)

 結局、1点取らされる形になった間嶋のラストストーンを杷は愕然と見つめる。

 こちらの先攻で幕を開けた第6エンドは初手から無田のガードストーンがセンターから大きくコーナーに寄ってしまい、すぐさまウィックでハウスの端まで追いやられた。

次の第2投で無田が投げ込んだストーンはティーラインよりやや下で止まり、高坂はその前へと無難につけてくる。忍部の1投目はめずらしく中まで届かず、前の赤いストーンに当たってハウスの前に留まった。

「陣ちゃん、バンパー!」

 前が開いたことで友安は弱めのテイクショットを指示。

 陣口のショットを受け止めた2つのストーンはばらけ、下にあったこちらの黄色いストーンだけがハウスの外へと流されていく。

 対する忍部も同じようにくっついた赤いストーンにまとめて当てていき、右に合ったのをハウスの外へ、左にあったのを9の位置まで押しやった。

 投げたストーンはハウスの外側へと緩く動きかけたものの、その場でカールしてNo.1の位置に留まる。

「スプリットの要領で――」

 陣口はハウス右前方にある赤いストーンにひっかけるようなショットで大きく角度をつけて送り出し、そのNO.1をティーラインに乗るくらいまで押し下げた。投げた方のストーンは長く伸び、3時と4時の間、ハウスの外周に3分の1ほどかかる位置で停止。

 その後は1投ずつハウス左下にある赤いストーンの上につけあい、忍部の2投目が短く入ってその流れが途絶えると桔梗は左サイドで孤立していた黄色いストーンにヒットアンドロールさせて強いNO.2を確保。

「このNo.1、No.2はやっかいだな」

 鶴見の宣言通り、前者はバックガード、後者はセンターガードに守られ手が出しづらい。

だが、間嶋は強めのテイクショットでこれを同時に狙いにいった。杷は固唾を飲んでストーンの行方を見守る。

「さっき忍部が投げてショートしたストーンを使い、まずはNO.2を弾き出す――」

 軌道を変えたストーンはまっすぐにNo.1に当たり、3つのストーンが集まっていた塊を緩く解きほぐした。待機していた無田がブラシを使い、1番下にあった赤いストーンをハウスの外へ掃き出す。間にあった黄色いストーンは上下からの反発を受けてほとんど同じ場所に留まり、上にあったNo.1ストーンは8時方向にストーン2個分ほど移動していた。

「――」

 悪くない形だ。

 だが――。

「友安選手のテイクショット成功率は9割を超えてる」

 鶴見のつぶやき通り、彼はためらいなくハウス中ほどに留まっていた黄色いストーン――間嶋が投げたばかりのそれを弾き出し、センターライン側へとストーンをロールさせてガードの後ろに隠した。これでハウスの中にLOLzのストーンがNo.1を含めて3つ。

「完璧」

「鶴見さんはLOLzとやったことあるんですか?」

「昔ね。でもその頃はこんなに強いチームじゃなかった。彼らの本拠地である神宮のリンクにはカーリング専用シートがないんだ。そういう不利な環境で数年をかけて腕を磨いてきた。いまのLOLzは確実に国内で上位10本の指に入るだろう」

「じゃあ、それと3人で互角にやってるあの高校生たちはなんなんです? 特にフォースの間嶋斗馬。高校2年生であれって化け物ですよ」

「そう? 俺には彼が手加減してるように見えるんだけどね」

 しれっと鶴見が言うので、壬生は困惑して彼の横顔をうかがった。

「ちょっと言ってる意味がわからないんですが……」

「予選で対戦した後、本人に聞いてみたんだけどね。手加減か手抜きしてない? って。自覚はないようだったな。でも、『初めて言われた』って言ってたよ。普段はむしろもっとまわりに合わせろって言われるって」

「自覚がない?」

「だからさ、常識の壁なんだよ。高校生であれだけ強かったら化け物? それはいったい誰が決めたんだ?」

「誰って、誰が見てもそうでしょう。彼ならいますぐ日本代表クラスのチームに混ざっても遜色なくプレイできると思いますよ」

「やれやれ。その程度で化け物呼ばわりされるなら無意識に手を抜くのも仕方ない、か」

「鶴見さん?」

 ちょうど壬生の問いかけとストーンのぶつかりあう音が重なった。ハウスを見ると、赤と黄のストーンが8時方向と6時方向に1つずつ残っている。

「さすがにトリプルテイクアウトとはいかなかったか。黄色いストーンを出してLOLzが2点だな」

「鶴見さん、さっきの話なんですが」

 つまり、と壬生は歯に物が挟まったような言い方をした。

「人間が本当の力を発揮するには、常識を疑う必要があるということですか?」

「疑う? どうせならもっと徹底的にいこうよ」

 鶴見はくだけた笑みを浮かべ、物騒な主張を口にする。

「本気で勝ちたかったら、そんなものは殺すんだ。それをできる人間のことを化け物って言うんだよ」

「具体的にはどうやって?」

「諦めるしかないね」

 壬生の疑問に答える鶴見の横顔はどこか物寂しい。

「自分は殺す側の人間なんだと受け入れて、その手を汚す覚悟さえあればできないことなんか何もありはしないんだよ」 

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