29.決勝トーナメントⅡ(1)
「ん?」
ブレイクタイム後のエンドは試合が動くと言われる。これまで通り、
「ガードストーンにしては指示がおかしくないか?」
「ああ、あれじゃまるで――」
センターガードを置きたいみたいだ、と桔梗が首を傾げる。普通、後攻はセンターではなくてコーナーにガードを置くものだからだ。
観戦に居合わせた他の選手たちの間からもざわめきが上がった。
「後攻がセンターガード?」
Gいわての壬生も目を見開く。ミニゲームがひと段落ついた隙にこっそりと持ち場を抜け出そうとしていた鶴見にくっついてきたのだ。
「どう思います、鶴見さん」
「おもしろいことを考えたね」
鶴見は腕を組み、異様に点数の少ないスコアボードとハウスの状況を見比べた。その間に無田は一部の隙も無いセンターガードをセンターライン上に設置する。
「常にハウスを綺麗にしてテイクゲームをしかけてくる相手への奇策だね。ほら、LOLzの方も困ってる。定石なら自分たちに有利な形だからね。それをどうして相手チームがやってくるのか腑に落ちないって顔だ」
彼の指摘通り、友安はハウスの前に鎮座する黄色いストーンを前にバイススキップの桔梗を呼び寄せる。
「なんだあれ? どかすか?」
「だが、センターにあるガードをウィックするとコーナーにいくぞ。そうすると後攻に有利な形になってしまう」
「……とりあえず中に入れていくか」
いくらハウスを
「ガードストーンには触ってこなかった」
無田はほっと胸を撫で下ろし、ストーンを手元に引き寄せながら自嘲する。
「自分で言うのもなんだけど、普通やんないよ、こんなの。試合を見た人にあとでたたかれそう」
だが、とにもかくにもハウスの中にストーンは溜まった。それが相手のストーンだろうとなにもないよりはましなのだ。無田はいつもよりも時間をかけ、慎重にタイミングをはかってストーンをつけにいく。だが、またしてもやや弱い。
「ああもうッ! ヤップヤップヤ――ップ!!」
とっさに杷もハウスを飛び出し、3人がかりでストーンを運ぶ。手元とハウスを交互に何度も見やりながら、伸ばしに伸ばしまくってなんとか相手のストーンまで数センチの至近距離へ到達。これで両チームのリードが投げ終わり、ガードストーンを外せるようになる。
「陣ちゃん、いいからガード壊しちゃって!」
友安がセンターガードを示しながら声を張り上げた。
だが、ここで陣口にもミスが出る。
「外れた!?」
「迷いが出たな」
ラインがずれ、投げたストーンだけがバンパーに当たって跳ね返る。会場に壬生を含めた無数のため息がもれる中で鶴見が口を開いた。
「迷い?」
「うまく伝わるといいんだけど」
彼は控えめな前置きの後、手を顔の前にもっていくとパントマイムのように動かした。
「常識っていう見えない壁だよ。自分のやっていることはおかしいんじゃないかという無意識の疑いが緊張を生み、脳に潜在的なブレーキをかける。本当にこのガードストーンを壊してしまっていいのか? たとえ相手のチームのストーンだとしても、定石で考えれば残しておいた方が自分たちの有利になるかもしれない。しかも、いまハウスの中にあるのはLOLzのストーンの方が多いからね。あれを守りにいってもいいんじゃないか、という選択肢も頭をよぎっただろう」
「梅垣さんもチーム無田戦で同じようなことをやりましたね。攻めるタイミングをずらして、相手のリズムを狂わせた」
壬生の言葉に鶴見は鷹揚に頷き、ハウスで指示をする無田とその後方で腕を組み、考え込んでいる様子の友安を見た。
「カーリングには対戦もののスポーツにおいてあまりない持ち時間というルールが存在する。10エンドの場合は各73分間。つまり1エンドで7.3分、さらに8投で割ると1投に使えるのは平均でたった55秒しかない。だからスキップという司令塔が重要なんだ。1人だけ常にハウスの側に立ち、スイーピングにも回らずに自分の番が回ってくる最後の最後までずっと戦術を考えるのに専念できるポジションの人間が」
「つまり、さっきのセカンドのミスはスキップの責任?」
「そういうこと。きちんとあのガードを外す理由をスキップが説明して、セカンドが納得していれば結果は違ったはずだ。実際、あの黄色いガードストーンは精神的な揺さぶりをかけるだけに留まらず、残しておくとやっかいなことになる」
鶴見の言う通り、忍部は相手のミスを逃さずガードストーンの後ろにストーンを積んでいく。下2つが赤いストーン、上2つが黄色いストーンというめずらしい形だ。
「これじゃ分が悪い」
友安がほぞを噛む。
通常、交互に積まれるはずのストーンが上下で分かれてしまっている。当然、上からショットを当てた時にハウスから出ていきやすいのは下にある方のストーンだ。桔梗が友安に歩み寄り、耳元でささやいた。
「いくら陣口でもガードストーンから飛ばして4つ全てを出すのは難しいぞ。しかも、ガードの色が相手のストーンだ。最悪、ハウスの中に相手のストーンだけ3つ残る可能性もある」
「わかってる。No.1とNo.2はこっちのストーンなんだ。慌ててブレイクしにいく必要はない。ここは定石通り、相手のストーンにつけて様子を見る」
友安と桔梗はハウスの両端に分かれ、デリバリーに入った陣口の2投目がその手を離れた。だが、無事に積みあがったストーンの脇を歩いてハウスから出た無田のブラシが、自分で置いたガードストーンを指した。
「ッ――」
ぎょっとして友安が組んでいた腕を解き、鶴見が感心したように言った。
「うまい。相手が嫌がって避けた手をすかさずやろうとしている」
「ガードストーンを飛ばして中の形を変えるんですね。あれだけ積みあがってガードまでの距離が短くなれば、陣口選手ほどのパワーがなくとも十分に狙いはつけられる」
同じセカンドの壬生にはその成功率が決して低くないことがすぐにわかった。杷と間嶋の両スイーパーを従えた忍部は体格を生かした安定感のあるフォームで滑走し、勢いをつけたままストーンを手放す。
「――ウォー!」
十分なスピードを保ったストーンはスイーピングを必要とせず、真っすぐにガードストーンと衝突。直後、ハウスに向かって送り出されたストーンが他のストーンへと数珠繋ぎにぶつかっていく爽快な音がシートに響いた。
「ハウスの状況は?」
壬生が身を乗り出すようにして目を凝らす。
まず、ハウスの手前にはガードストーンに当たってヒットアンドステイした黄色いストーンがセンターライン沿いに1つ。そして、元ガードストーンだったものがハウスのすぐ手前センターラインよりやや左側に止まっている。積まれたストーンの1番上にあった赤いストーンはほとんどバンパーに近いシートの右端まで移動しており、これはもうゲームに関係することはないだろうと思われた。
一方、ハウスの中ほどで受け皿となっていた赤いストーンは1つがハウス外に弾き出され、もう1つは8時の方向、1番外側の円の中におさまり、黄色いストーンは1つが10時方向、5の位置に。残る1つは2時と3時の間――6と7の中間に止まっていた。
「完全にやられた」
友安はため息をつき、悔しげに髪をかきあげた。
「大典、このNo.1にヒットアンドロールして――」
だが、言いかけて怪訝な顔つきになる。
ハウスの前に引いてあるホッグラインのあたりにチーム無田のメンバーが集まっているのに気づいた友安は、コーテシーラインに立って見ていた高坂にたずねた。
「どうしたんだ?」
「相手チームのサードが倒れてる」
「なんで」
「わからない。ストーンを追う途中で転んだように見えたけど」
要領を得ない説明に首を傾げた友安の近づいた先で、真っ青な顔で右足首のすねの辺りを押さえた杷がうずくまっている。
「怪我か?」
「あ、はい。すみません、すぐに移動します」
スキップの無田がはっとして友安を振り返った。カーリングのストーンは髪の毛1本、服の小さな繊維ひとつで軌道が変わってしまう繊細な道具だ。競技の際はできるだけ氷に触らないように心がけなければならない。
「久世くん、立てる?」
「もちろん――」
慌てて頷き、立ち上がろうとするが足を着いた瞬間に再び右足に激痛が走る。杷は青ざめたまま、力の入らない自分の足を愕然と見下ろした。
(すね?)
痛めていた膝ならともかく、全く心当たりのない場所に激痛が走ったのはブラシを構えてストーンを追っていた矢先のことだった。
無田の「ウォー!」がかかったのでスイーピングの必要はないとブラシを引いて体重を右足にかけた瞬間、びりっと電流が走ったような衝撃を受けてその場に倒れ込んでしまったのである。
「どうしました?」
駆け付けてきたスタッフの声かけにどきっとして、杷は制止する無田の手を振り払って再び立ち上がろうとした。
「なんでもありません。すぐに立てます」
「久世くん、無理しなくていいから――!」
「だって、こんなところで棄権なんて。優勝目指そうって約束したのに」
「心配ない」
「間嶋――」
「お前がプレイを続けられなくても棄権にはならない」
間嶋はそう前置きした後で治療のためのテクニカルタイムアウトを要求する。了承したスタッフが時計を止め、力が抜けてへたり込む杷には忍部が肩を貸してくれた。
「つかまって」
「ッ……」
怪我をしている右側から腰に腕を回して支える忍部にすがりつき、左脚だけで立ち上がる。シートの外に連れ出され、スタッフの用意したパイプ椅子に腰を下ろすと間嶋が杷の倒れていた場所にブラシをかけているのが見えた。
「裾をあげてもらえますか?」
言われた通りにズボンをまくってサポーターを外すと、横で見ていた無田が息を呑むのがわかった。杷は途端に居心地の悪さを感じて、そこを隠してしまいたい気分におそわれる。
「その痣、最近のだよね。いつ?」
無田の疑問に答えられないでいると、緩んでいたテーピングをスタッフがいったん外しにかかった。その下から、膝の周りを囲むようにくさびのような傷跡が現れたのを見て無田が再び黙り込む。半月板を内視鏡で除去した時の手術痕だった。
「打撲は新しいようですが、手術痕の方は時間が経ってますね?」
「そっちは去年の春に半月板をとりました。少し痛みがでることはあるけど、軽い運動をする分には問題ありません。なんでか知らないけどいまはすねが痛くて……」
「足首に近いすねの骨ですか? 足を捻ったようなことは?」
杷は首を横に振る。
スタッフは膝の状態も聞きながら軽く触診していたが、そのうちに「医師に診てもらわないと何とも言えませんが」と前置きをしてから言った。
「状態から察するに疲労骨折を起こしているのではないかと……」
「疲労骨折!?」
あ然とする杷の脇から、身を乗り出した無田が叫んだ。その間にも患部にはタオルがあてがわれ、上から氷嚢を当てて冷やされはじめる。
「かなり前から膝を痛めていたんですよね? その故障を庇うため、脛骨にもそれなりの負担がかかっていたのだと思われます。なんとなく足が重いとか、痛みなどはありませんでしたか?」
「そんなことは」
杷は言いかけたが、ここ最近のことが脳裏をよぎって息を呑んだ。
間嶋と乗ったバスのステップ。
カーリングシートに作り替えられたスケートリンク。
部屋に置いてあった一升瓶。
そして、夜闇の中の事務所玄関。
気づけば、さあっと顔から血の気が引いていた。あれらはこれの前兆だったというのか?
「確かに右足ばっかりつまづくことが多かったけど。そういう――? でも、右足なら医者に診てもらってたのに」
「初期はX線には映らないことが多いんですよ。もし本当に疲労骨折だったとしても痛みが出たのが初めてならおそらく軽症でしょうから、きちんと治療すればすぐに治りますよ」
「すぐにって……」
テーピングで応急処置を施されながら、杷はそばに立っていた忍部の腕を掴んだ。
「そんな先のことじゃなくて、LOLzとの試合は? 俺ができなくても棄権しなくていいってどういうことなんだ。カーリングは4人必要なのに」
「残りの3人でやるってことだよ」
忍部が気の毒そうな顔で答える。
「3人で?」
言外にどうやって、と聞き返す杷に彼は思いもよらない方法を告げた。
「君の分のデリバリーを無田と俺で1投ずつ引き受ける。こういう場合、規則ではそうなってましたよね?」
「ええ、その通りです。リザーブがいない場合、残りの3人でゲームを続けることが可能です。今回はサードが抜けるので、彼の代わりにリードとセカンドの方が1投ずつ投げてください」
彼らの了解を得た忍部は再び頷いてから無田にたずねた。
「バイススキップはどうする?」
それまで杷と同じかそれ以上に呆けた様子だった無田が、ようやく我に返って言いかける。
「じゃあ忍部に――」
「俺がやる」
いつの間にか、すぐ目の前にブラシを持った間嶋が立っていた。杷の怪我を慮っていつもの明朗さに欠ける忍部とも不測の事態に圧倒されている無田とも違い、彼だけは普段と何ら変わらないどこか孤高で涼しげな顔つきのままだった。
「え、でも……」
無田は迷うように口ごもったが、すかさず忍部が賛成した。
「間嶋の方がいい。ただでさえ1人足りないんだ。スイーピングの得意な俺はそちらに専念した方がいいだろう」
もう一度、無田は間嶋を見る。
それから何かを理解したように頷き、そのようにスタッフへと申し出た。
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