脂肪は悪魔の恋人

@tukeogoma

第1話

 未来のスポーツ:肥満する闘争心

「今年の体脂肪率ですが、四八%でした。税金も四八%値上げですね」

 身長一六八センチ、体重一〇八キロの僕は健康診断の会場で頭を抱えた。

「先生に言っても仕方がないですけど、体脂肪率に課税するなんて酷だと思いません?」

 時は二一二三年、その時代には肥満税という税金が存在した。ある理由から人類は爆発的に肥満率が高まり、その結果医療費が倍増したせいだった。

「仕方がありませんねえ。上が決めたことですしねえ、本人のためにもなりますからねえ」

 細マッチョな中年の医師は聞き飽きといわんばかりに、ホログラムモニターにカルテを書き込んだ。

「もっと気軽にスポーツができれば痩せられるのになあ。ジョギングもできない環境で肥満になるな、なんて無理ですよ」

 人類はいつの時代も、感染症と呼ばれる地球からの嫌がらせに苦しめられていた。新型コロナの次には、汗と闘争心に著しく反応するウイルスが猛威を振るった。そのウイルスはスポーツをすることで媒介する性質を持っていたのだ。

 世界各国はコロナ禍の再来を恐れ、あらゆるスポーツを禁止にした。ワールドカップ、WBC、NFL、オリンピックにいたるまで開催は無期限延期を逃れられなかった。

 ウイルスは一〇〇年もの長きに渡って存在し、二一二三年の現在も完封することはできていなかった。

「残念ながら、私たちが生きているうちはずっとこうでしょう。スポーツでもおやりなさい。次の方、どうぞ」

 医師はバーチャルアシスタントよりも感情の起伏がない声で言い、僕を診察室から追い出した。病院を出て休日昼下がりの大通りを歩くと、僕と同じ体型の人間が大勢いて、ミッチリと詰まり合いながら大汗をかいて歩いている。

 季節はまだ一月で、今日の最高気温は九度に満たない。それでも僕ら肥満人間には真夏と同じ暑さだった。

「スポーツか……」

 僕は独り言をつぶやくも、頭に浮かんだ運動施設を思い出して気分が暗くなった。汗と闘争心に反応するウイルスは、自分一人でのスポーツでも活発になってしまう。そのためスポーツをするときは国立か民間の施設を使う必要があった。

 国立は無料だが、狭く真っ白な滅菌室で窮屈な宇宙服を着せられ、ハムスターのように自転車を漕がされるだけだ。民間は種類は豊富なものの、有料な上に予約がほとんど取れない。その背景もあって、スポーツは僕から離れた存在だった。

 とはいえ、税金が通常の約一五〇%は懐が痛過ぎる。来年高校生になる娘のためにも、余計な追加徴税とはこの一年で無縁になりたい。そうは考えるものの、どうすれば良いか考えあぐねていた。そのうち自宅についてしまい、気と肉体は余計に重くなった。

「あらぁ、おかえりなさい。追加徴税いくらだった?」

 マンションの一室では、妻がチョコバナナチップスを貪りながら寝室で仕事をしていた。彼女は僕以上に肥満で、あまりの重さでベッドからほとんど動けないほどだった。家事も無論できず、彼女の稼ぎで週二回ほどお手伝いさんを呼んで暮らしている。

「四八%だよ。君は? 午前中にオンラインで教えてもらったんだろ」

「私は六〇%だったわ。でも大丈夫、大きい仕事が入ったから払えるわ」

 売れっ子イラストレーターの妻は僕より稼ぎが良い。毎日朝から晩まで、魚肉ソーセージのように太い指を白い紙の海原に泳がせていた。

「なあ、一緒にスポーツでもしないか。このままじゃ舞花が成人を迎える前に、君は天国に行きだよ」

 体脂肪率が五〇%を超えた人を、世間はゴッドボディと呼ぶ。天国に一番近くなるからだ。妻は我が家で誰より天国に近かった。

「私は今のままで幸せなの! 運動するくらいなら死んだ方がいいわ!」

 妻はまるで親の仇のように叫んだ。いつもこうなのだ。僕は黙ってその場を立ち去り、液晶付きの眼鏡をかけてソファーに座った。

「太っちょができるスポーツ、腰や膝に負担をかけない、初期費用は三万円以下」

 リクエストを話すとパッと画面が切り替わった。そこには涼しげな湖畔と、バナナのようなボートを漕ぐ太っちょ男性が写された。男性は宇宙服を身に着けず、救命胴衣だけを着ていた。

『休日のカヌーで楽に肥満課税対策! 泳げない方でも大丈夫! 塩分濃度を高めているため、どんな太っちょも水に浮きます』

 男性がキャッチコピーを喋り、気持ち良さそうにカヌーを漕いで行く。

「宇宙服もないし、楽そうでいいじゃないか。予約もかなり空いてるな」

 僕はすぐに体験希望のメッセージを送り、さっそく週末に湖畔へ向かった。

「すみませんねえ、宇宙服なしは広告だけの話なんですよ」

 僕と同じくらい太っちょな若い男性スタッフが受付で言った。スタッフは全身がスケルトンの宇宙服を持って来て、これなら気分だけは涼しいですよなどと続ける。

 すでにやる気は萎えていたが、体験費用はすでに払ってしまっている。僕はしぶしぶ宇宙服を着て、カヌーに乗り込んだ。湖畔には僕しかいなかった。

「初めてですからね、適当に漕いでリラックスしてください。落ちたら緊急ボタンを押してください。では、行ってらっしゃい」

 スタッフは棒読みで説明し、カヌーのお尻を蹴ってからドーナツを食べ始めた。

 湖畔は広くなく、学校のグラウンド一つ分といったところだった。水は決して落ちたくないと思わせるほど汚れている。もし宇宙服についた空気清浄機能がなければ、臭いで気絶しそうなレベルだ。

 巨大なドブの上で、僕はただ浮いていた。金持ちは手術で贅肉を切除し、楽に減税できていいな、などと考えた。ダメだ、これでは減税には程遠い。娘にお金で不自由させるなど、父親の威信に関わる。帰宅後に再びネットで楽そうなスポーツを検索し、ついに正解を見つけた。

 僕はゾービング相撲の体験教室に申し込んだ。これは巨大な透明ビニールボールの中に入り、相撲をするスポーツだ。ボールが宇宙服代わりになるため、窮屈さはカヌーよりマシだった。少ない力で前進できるため、膝や腰への負担も少なかった。

相手に体当たりして押し出すというシンプルなルールだったのも良かった。一番良かったのは、勝利体験だった。勝利は異様な高揚感と涙が滲むほどの幸福感を生み出し、それは今までにない感覚で僕は夢中になった。

「これだ!」

 僕は体験直後に会員を申し込み、仕事終わりに毎日ゾービング相撲教室へ通った。一カ月ほど通い詰めた結果、体脂肪率も四〇%まで落ち、妻も娘も驚くほどだった。

「お父さん、今度私も連れて行ってよ」

 娘は太っておらず、体脂肪率は三〇%以下をキープできている。彼女の希望としては、二五%を目指して読者モデルになりたいらしい。

「私はパス。この体型で後悔してないから」

 妻はベッドに座ったまま、唐揚げを頬張っていた。ベッドの足は一本折れていた。

 娘もゾービング相撲を始めると、あっという間にのめり込んだ。そしてこのスポーツを通して、勝つという新しい快楽を覚え、依存的なまでにスポーツが好きになった。人生とは勝つためにある。そう思うほどに。

 ところが身体を動かせば動かすほど、有酸素運動で脂肪が燃焼され身体が軽くなり、頻繁に押し負けるようになってしまった。僕は敗北感に耐え切れず、勝つためなら体重などいくら増やしてもいいと考えるようになった。

 僕は失った体重を取り戻すため、トルコからバクラヴァを山ほど仕入れて毎日欠かさず就寝前に食べた。パイ生地のシロップ漬け三切れは、一日三〇〇グラムほど僕の存在感を増やした。

 敗北に耐えられないのは娘も同じだったようで、あるときからは二人でバクラヴァ晩酌をした。匂いを嗅ぎつけた妻も同席するようになり、毎晩家族で体重増加に勤めた。

 バクラヴァのおかげで娘は高校入学直後に体脂肪率五〇%に到達し、ジュニア世界選手権に進出。僕自身も同じタイミングで日本代表に選ばれた。そのときにはスポンサーとの契約で、二〇〇キロの身体と六〇%課税など気にならないほどの収入を手に入れていた。

 今やメディアの取材が毎日のように来るようになっている。

「先日はゾービング相撲世界大会、ライト級の優勝おめでとうございます」

 今日もナナフシのように痩せた女性記者が、リビングでテレビ越しにインタビューを始めた。僕と娘は二つのクイーンサイズのベッドをソファーにして座っている。

「また、奥様の件は残念でしたね」

 妻は先月、脳梗塞で他界した。肥満によっていつ脳梗塞を起こしてもおかしくない状態だったと、彼女を看取った医師が言ったのを思い出す。

 彼女は太っていることを後悔していなかったため、葬式では彼女は人生をやり遂げたのだという感情で見送れたことも。

 とはいえ、遺体が巨大過ぎたために火葬できず、土葬用の土地購入の大変さをやり遂げた自分と娘を慰労したい気持ちの方が大きかった。

「やはり体脂肪率六〇%以上は生死に危険が及ぶラインと言われますが、その点について、お二人はどう思われますか?」

キャスターは画面越しに視線を合わせ、僕らの返答を待つために沈黙した。

「人は遅かれ早かれ死にます。僕はゾービング相撲という生きがいがあるなら、人生捨てたものじゃないと思っていますよ。早死でも、税金が高くても、超太っちょでもね」

「私も父と同意見です。選手であるとともに、ハイパープラスサイズモデルとしても活躍できて、本当に充実した毎日を送れています。きっと母も、それを喜んでいるんじゃないかと」

 振り返ると、遺影の中の彼女は肉の襟巻きをして堂々と笑っていた。



【おわり】

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