第二集 蛇神
まともに開拓され始めるのは、西暦にして十世紀ごろの事。この春秋時代はもちろん、この後の古代中国史においても、深い森の中の集落で暮らす
本来は越王・
しかし未だに山奥に暮らす越人全ての王となったわけではなく、未開の山々に住んでいる山越たちの事を、越王も完全に統治しきれないのだ。
そんな山越たちが暮らし、時に集落単位で争っていた閩中にあって、決して裕福とは呼べない大家族の末娘として奇奇は生まれた。
村の男の子たちと共に山を駆け回って狩りをするのが好きな少女だった。そんな奇奇は、いつしか同世代の男の子たちの誰よりも早く森を駆け抜け、誰よりも多くの獲物を取るようになっていたのである。
さて、奇奇の生まれた
そこでは蛇神を信仰しており、その蛇神の呪いや、数に物を言わせた直接的な軍事恫喝、そして水利権など、様々な手札を使っては周囲の村を支配下に置いていたのである。
奇奇の住む李花村も、そうした南林支配下の小さな村のひとつだった。そして年に一度、生贄として十三歳の生娘を献上する事が定められていたのである。毎年毎年、何人もの娘たちが送られ、そして帰ってくる事は無かった。
そんな中、十三歳となった奇奇は父に言った。
「
村を代表して生贄を出した家は、他の家から有形無形に感謝され、時には多額の金品などが送られる事もあったのだ。
貧しい大家族の末娘ともなれば、事情によっては口減らしされる事もある。それを自ら志願して口減らしとし、さらには一家の村での立場を向上させる事も出来るというのだ。
可愛がっていた娘であった事から両親は必死に止めたのだが、奇奇の意思は固かった。
「どうせ僕みたいな女は嫁に行く事はないでしょうし、せめて別な形で育ててもらった恩を返したいのです。それに、ただ黙って生贄にされるつもりもありません」
一方で生贄に志願した奇奇を、李花村の者たちは拝み倒す有様で、両親も涙を呑んで送り出す事を決めたのであった。
そんな出発に際して奇奇は餞別代りに剣を一本所望していた。代わって生贄に旅立ってくれる娘の願いとあっては村の者も、そして両親も、皆で金を出し合い、特に良質の剣を選んで渡したのだった。
そうして南林城に到着し城門から中に入ると、奇奇はその瞬間を逃さず、持っていた剣を抜き放ち次々に兵を斬り倒していく。
予想だにしていなかった南林の者たちは混乱して逃げ惑い、苦も無く城の中心部へと辿り着いた奇奇。
さすがにそこに至っては状況を把握した南林軍が列を成していたが、山で鍛えた素早さで兵士たちを翻弄し、次々と切り捨てていった。
山の獣より全然遅い――。
大人たちの目を盗んでは山奥に向かい、狼、豹、虎、熊、
たったひとりの、それも十三歳の少女に手も足も出ず、兵士たちが斬り殺されていく中で不利を悟った南林の支配者である司祭は、城を抜け出して城外の林へと逃げていった。
一通りの兵士を倒し、残るは戦意を失った敗残兵という状況の中で、逃げていく司祭の姿を冷静に確認していた奇奇は、林の中へと追っていく。
司祭の逃げた先は石造りの神殿が建てられており、それは山肌の洞窟を隠すように作られていた。いわば神殿と言う名目で、洞窟に出入り口となる大扉が付いているような形状だった。
神殿の扉を開け放った司祭は、大声で神に祈った。彼らの信仰する蛇神に……。
奇奇が神殿に到着した時、洞窟から現れた巨大な蛇が司祭を丸呑みにする所であった。
巨木のような胴体と、人の頭ほどあろうかと言う目は、まさに怪物を通り越して、確かに神とさえ思える。
彼らの信仰していた神は、実体を伴った存在でり、南林があれほどの城壁を築いた理由も、この神を恐れての事。
なるほど生贄とは、神が神殿の外に出ないように、転じて自分たちが襲われないようにするための、身代わりの餌だったのかと、奇奇は合点がいった。
しかし奇奇は動じる事もなく、今まで山で狩ってきた様々な獲物との戦いを一瞬のうちに思い返すと、躊躇することなく斬りかかっていった。
司祭を呑み切らぬ前に、蛇の左目を剣で一突き。口の中で事切れている司祭を慌てて吐き出している隙に蛇の頭に飛び乗った奇奇は、その勢いのままに蛇の右目も貫いた。
一瞬のうちに視界を奪われた大蛇が、たまらず洞窟の中へと身を引き戻そうとしていると見るや、奇奇は蛇の脳天へと剣を突き立てた。
さすがに眼球のようにはいかず、頭蓋で刃が止められてしまうが、奇奇はそれすらも織り込み済みである。刺さったままの剣身を洞窟側へ倒すと、身を引こうとしていた蛇の動きも相まって洞窟の入り口に剣の柄が引っかかる形となる。
あとは大蛇が己の力を以って、その脳天を剣で貫く事となるわけだ。
こうして、たった一人で城邑を陥落させて邪神崇拝の教団を滅ぼしたどころか、その神すらも倒してしまった十三歳の少女の噂は周囲の村にまで伝わる事となり、越国の軍師・范蠡の耳にまで届いたのである。
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