二百四十九話 それぞれの思惑

広い草原では長年放牧を続ける匈奴人以外の人は簡単に方向感覚を失う

典黙たちは昼間は太陽、夜は北極星を頼りに行軍路線を少しずつ修正した


二十二騎も捕虜の解放を経験してから意志を更に強く持った

そして彼らの連携も前よりも熟練した


今では二千人程度の部落に対しても陥陣営の手を借りずに卑怯な戦い方をするようになった

その卑怯な戦い方とは部落に突入して攻撃を仕掛け、相手が反撃体制に入るのを見計らってから一度戦場から離脱する

常人離れの戦力を見せつけられた匈奴兵は追撃もできない、荷造りして引越す準備をしていると二十二騎が再び突入


それを数回繰り返せば匈奴人の意志は完全に瓦解され、そこからは一方的な殺戮が始まる


やがて噂が広まり、討伐軍が東に向かう道中は匈奴の部落が前より見かけずらくなった


偶には大きめな部落が逃げ遅れ、陥陣営と虎賁営そして龍驤営の電撃戦で殲滅させられ

その時はより多くの家畜を収穫でき、より多くの捕虜を解放できる


討伐軍が三川河に近付くと草原の奥地に緊張感が走った


陰山から南へ三百里離れた所に大小不一の営帳が立ち並び、数万人を収容できる

そこは匈奴の王庭、単于呼廚泉の部落である


匈奴の王庭は大漢の朝廷と同じ役割を果たす、しかし朝廷と違うのは王庭には単于呼廚泉の親兵しか居ない、他の貴族とその親兵は王庭の外周に分散されている。


例えば単于の配下である左右骨都、左右賢王、左右谷蠡王、彼らも皆自分の親兵と部落を持っている


普段なら政務を担当する左右骨都以外は左右賢王と左右谷蠡王が王庭には行く事がない


しかしこの日は彼らが王庭で一堂に集められた


最も大きい営帳の中央に体重二百斤の呼廚泉は虎皮の椅子に座っていて両側に漢人の女性を侍らせている


左側には左側骨都王、左賢王と左谷蠡王の順に並び、右側も同じ順に各自並んでいた


左右賢王の呼廚泉を見る目は野心的な物だった

ここでは単于の位は継承する物で単于になる者は勇猛果敢か若しくは並外れた知恵を持たなければいけない


しかし二百斤の呼廚泉はこの二つの条件の何れも満たしていない


「大汗!漢人の奴らは既に我々の民を数万人殺した!老人や子供も見逃さない!大汗は何かすべきじゃないですか?」

右賢王呼延骨が冷たく聞いた


呼廚泉が何かを言う前に左賢王の蘭狄が口を開いた

「大汗の都合が悪いなら俺が行こう!一二万の漢人など長生天の勇者には敵うはずがない!大汗は王庭で我々の報せを待てば良い!」


匈奴の朝政では呼廚泉の親兵は御林軍の役割を果たす

出征する時は基本左右賢王の親兵を使う、左右賢王の部落も各自数万の兵を持ち、南下の略奪では欠かせない存在である


もちろんその力を持っている左右賢王なら王庭でも強気で居られる


「漢人部隊の動向が分からないならどうやって戦う?その間の食料はどうする?」

呼廚泉も彼らの不敬に慣れていたので冷たく反論した


「今回漢人が突然万里の長城を飛び越えて虐殺を行ったのはきっと我々へ報復のためだ、交渉してみるのも良い方法だと思います。金品や家畜で手を打ってくれるはずです」

賢王と単于の衝突を避けるためか右骨都王が口を挟んだ


「今回引き下がっても又来たらどうする?」


「そうだ!もうすぐ冬に入る、そもそも部落の食料が既にギリギリだ!もう一度南下しようと思っていたのだぞ」


右骨都王の提案が左右賢王に否定された


呼廚泉は大きい手で膝を叩いて左右賢王の気を引いた

「どうしても行くと言うのか?」


「大汗、やり返さなければ民に顔向けできない、部落の勇者に顔向けできない、長生天に顔向けできない!」

左賢王の蘭狄は右拳を左胸に当て、話した


蘭狄の質問は図星だった、呼廚泉は戦わねばならない


左右賢王が呼廚泉の配下として略奪した物資を半分献上したのには理由がある


呼廚泉は肥満でまともに歩けないように見えるがその肩書きは長生天の子、この肩書きがあれば匈奴の子民は皆彼を敬う必要がある


長生天とは匈奴の信仰であり、神である

略奪でより多くの物が欲しければ長生天を拝む、子供が健やかに成長出来ると願うなら長生天を拝む、羊一匹が見つからなくても長生天を拝む


「良いだろ、漢人共に長生天勇者の強さを見せつけてやれ!どっちが行く?」


「俺がいく!」


「俺だ!」


左右賢王は互いに譲らない、これも呼廚泉が見たかった展開だった

「なら呼延骨、お前が行け」


呼延骨が喜んで右拳を左胸に当てた

「恩に着る大汗!長生天に楯突けばどうなるか、勇者たちは漢人に思い知らせるだろう!」


蘭狄は不満そうに顔を逸らした


呼延骨が喜んだ理由は呼廚泉のために働けるではない

匈奴では外敵を追い払えばその年の上納は免除される


毎年略奪した物を半分呼廚泉に上納しているから呼延骨の部落がいつまでも大きくなれない


呼廚泉も呼延骨を贔屓しているわけではない、今は蘭狄の部落が呼延骨の部落より大きいので

呼廚泉はその均衡を保とうとしていた


「漢人の軍は東に向かって移動している、右賢王は勇者たちを三川河へ連れて行くと良い」


「ありがとう!俺もそのつもりだ!」


右骨都の話は今度否定されなかった


「さぁ行け!部落の子民たちはお前らの良い報せを待つ!長生天がお前たちを見守るだろう!」

呼廚泉も右拳を左胸に当てた


「はい!」


右賢王呼延骨は営帳から出てすぐ馬に飛び乗った

今回の漢人軍を殲滅してからついでに并州へ行って略奪をしようと企んだ

今年は上納の必要がなければ部落を拡大して左賢王の蘭狄より強くなれる

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