二百四十二話 曹操の動向

数日後、関中軍八千名が許昌へ向かって行軍を始めた

数回に分けて送るのには理由がある、一度に多くの兵を送ってしまえば編制が大変な作業になる上、道中の食料の運搬にもより多くの雑工が必要になる

そして何よりも万が一道中で叛乱が起きてしまえば制圧も難しい


関中軍が総数許昌に着けばそこから戦力外の老弱病傷者を屯田兵として選別する

現時点で曹操の全兵力は既に三十万に達した、しかも国庫が空っぽに近い今ならそれら全てを軍営にとどまらせる訳にも行けない


元々この時代では精鋭部隊以外なら戦時中以外は屯田兵に変わる、関中兵ももちろんそれを納得していた


「先生、手筈が全て整えました。運搬部隊が許昌に着いたら火油などの必要な物を持って来ます」

城関の上で曹昂が拱手して報告した


「ありがとう、あとは待つだけだ。魏王の方も上手く行っているでしょうね」


曹昂が手を下ろして少し不安そうにしていた

「先生、僕の考え過ぎかもしれませんが…」


典黙は頷いて話を続けるように曹昂を見た


「河套平原に居る匈奴は百万以上、我々は関中から北上して騎兵の数は二万前後。後方の補給物資が途切れるかもしれません、更に万が一匈奴の大軍に出くわしたら危険ではないでしょうか?許昌から運搬される火油も精々数万人の匈奴を殲滅できる程度です、未だ決め手に欠けると思います」


「考え過ぎではない、確かな問題点だ」

典黙は曹昂を見て微笑んだ

「我々の兵力で河套平原の匈奴を殲滅するのは到底無理だ、火油も魏王にお願いした部隊もあくまで呼廚泉に痛みを教えるためにある物。ヤツが交渉の机に着けば良い」


典黙ももちろん一撃で匈奴に致命的な打撃を与えたいが、河套平原に居る匈奴は騎馬民族。

幼い頃から騎術や射術にたける彼らは個人の戦力だけで言うなら中原の兵よりも勝る


そして匈奴の騎兵に対して有効な方法も少ない、マキビシは精々相手の速度を落とすに過ぎない。

斬馬刀を作り出そうとも考えたが普通の兵士ではそれを扱うのにも練習が必要だった


一気に殲滅できないなら交渉の場を設けて、約束をさせるしかない


「そういえば李傕と郭汜は地図を持っているか?」


典黙に聞かれた曹昂が懐から一枚の羊皮紙を取り出した

「はい、逃げ遅れた匈奴の将から手に入れたと言っています。何枚かで照らし合わせた所偽物では無いとわかりました」


典黙は黄ばんだ羊皮紙の地図を手に取り満足そうに笑った

「うん、これなら我々の成功率も上がるね」


地図には匈奴の勢力を記していないが山川や湖などは記されていた、これを頼りにすれば野営を設置する場所も決められる


中原のように木材を輜重として常に携帯する訳には行かないので、河套平原ではある物を利用するしかない

水源地を把握していれば水補給の問題も解決される


荊州方面、曹操も数万の兵と共に到着して律法の改変を済ませた

その後は先に南陽へ向かい劉琦の処遇を決めた


正直曹操からすれば劉琮は精々眼中に無いが劉琦に対する感情は嫌悪感しかない

劉琦さえ居なければ劉備は二三回に渡って穎川の侵攻も無かった


最初は彼を処刑しようとも思ったが黄忠と李厳の再三のお願いを聞き入れて生かすと決めた

そして典黙の意見も聞き入れ、劉琦は最終的に郡丞の地位を与えてもらった


もちろん荊州で郡丞を任せる訳にも行かないので、劉備の故郷である幽州の涿郡へ追い払った


劉琦は落胆して数名の付き人と共に幽州へ向かったが黄忠と李厳はもちろん曹操に感謝の意を伝えた


彼らからすれば劉琦の命があるだけでも不幸中の幸いだった


「感謝するなら子寂に言え、彼が口を開かなければ余は劉琦をタダで許すつもりはなかったぞ」


李厳と黄忠は互いに顔を見合わせ、典黙の配下に加わった事が正解であると再度認識した


「文聘はどうした?なぜ余に会いに来ない?」

南陽の議政庁に座る曹操は黒の蟒袍を振り払って聞いた


「魏王、仲業の事をご存知ですか?」

黄忠は少し不思議に思った


曹操は首を横に振りながら答える

「劉琮が刺史の位を引き続ぎした時に荊州太守の名簿を提出していた。文聘は江夏の太守だろう?そして用があるのは余ではなく子寂だ」


そう言いながら曹操懐から一枚の絹布を取り出した

「うん、間違いないこの文仲業だ」


李厳が前へ一歩出て拱手した

「魏王、ここへ到着した後彼を見かけました。荊州の民を守りきれない事で自責の念を話しております、なので魏王に合わせる顔がないと話しております」


「うん、大義を胸に抱く者と見た」

曹操は言葉を惜しまずに褒めた、そしてもう一度名簿に目を通してから黄忠を見た

「仲業が子寂に注目されたという事は才能ある者に違いない!漢昇、説得してくれるか?」


「お任せ下さい魏王!仲業は一時変化に対応できなかっただけです。末将が自ら説得すれば必ずや応じてもらえます!」


「うん、頼むぞ漢昇!」

曹操は満足そうに頷いてから再び絹布の名簿に目を通した

「仲業以外にもう一人居る、魏延魏分長だ。彼は何処に居る?」


魏延の名を聞くと黄忠と李厳が固まって更に不思議そうにしていた


「どうした?何か言いずらい事でもあるのか?」


「いいえ、文仲業は太守であるため名を知られてもおかしくはありませんが、魏分長は未だ韓玄配下の副将に過ぎません。軍師殿は彼の名を何処で知ったのか不思議に思っただけです」

黄忠は疑問を口にして説明した


「そう言えば徐晃徐公明を一目見た時から彼を推薦したな…まぁ良い、あの子寂の事だ、今更天外の仙人と言われても納得できる。それより魏延は何処にいる?」


「彼なら長沙に居ます、その武芸もなかなかの物です」

李厳が急いで答えた


「長沙か…」

曹操は眉間に皺を寄せて嫌な顔をした

荊州には郡が九つある、それらを全て回るのに少なくても数ヶ月はかかる


「子龍、遣いの者を出せ。魏延に襄陽に来るように伝えろ」


「はい」


曹操はこれ以上時間をかけたくないのには理由があった。

それは一刻も早く襄陽に行くためである、そこでは荊州の官僚たちが曹操の到着を待っている。

そして曹操は現時点の荊州刺史である劉琮にも会う必要がある


「漢昇、できるだけ急いでもらうぞ。明日にも襄陽へ向かわねばならん」


「はい、今日中に文府へ向かいます!」


曹操がわざわざ南陽に立ち寄ったのは文聘を配下に置くためでもある、何せ典黙の欲しがる人なので必要があれば自ら会いに行くのも視野に入れている


この要件が無ければ荊州の官僚が待つ襄陽に直接向かっていた。

ちなみに劉琮と荊州官僚に会うのは建前に過ぎない

曹操は劉琮の母親である蔡氏がとても美しい婦人だと知っていて、どうしても抑えられない気持ちを胸に抱えたままで居た

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る