二百三十四話 粛清の結果
典黙の予想通り、そこからの数日許昌城内は毎日逮捕者が続出していた
朝廷の大臣たちは皆巻き込まれる事を恐れ、怯える日々を過ごしている
その間、伏皇后はずっと典黙の府邸で隠れていた
彼女は何回か伏府に戻ろうとしたが典黙に止められて、仕方なく結果を待つしか無かった
五日後、典黙はやっと曹操に詳細を聞くために王府へ向かった
「魏王...奉孝も居るのか」
王府に入ると典黙はラフに曹操の向かい側に座り、机に置いてある点心を口に運んだ
「ゲーっ...魏王、この点心棗餡じゃないですか...もう、点心は桂花餡に限ると何度も言ってるんじゃないですか」
「余は普段食べないからな、君が来なければ何を置いても殆ど手付かずだ」
曹操は手を振るとすぐに下人が来て点心を取り替えた
「全く、この許昌城内で王府に来ても剣を外さないのは子寂君一人だけだ。その上点心にイチャモン付けられるのも君一人だけだ。魏王の甘やかしも過ぎますよ」
郭嘉が笑いながら言った
「此奴はこれで良い」
曹操は典黙の青釭剣をチラッと見て笑った
「魏王、そろそろ終わりますか?」
曹操の機嫌が良いとわかった典黙はいきなり目的を果たそうとした
曹操も竹簡を下ろしてため息をついた、その後布を一枚取り出して典黙に渡した
「名簿だ、君も目を通すと良い」
典黙は手に付いた粉を叩き落としてから名簿を受け取りじっくり見た
叛乱騒動に巻き込まれた大臣は総勢百二十七名、その多くは帝党派閥の忠臣だった
詳細の原因は書かれてないが滅族かどうかが書かれていた
全てを見てから典黙は少し不思議そうに眉間に皺を寄せた
何故なら名簿に伏完の名前が書かれていないから
典黙の表情から察した曹操は口を開いた
「伏完が何故巻き込まれてないか不思議に思ってるだろう?」
「ビビりだからでしょう?」
典黙の無意識的な答えで曹操は笑って頷いた
「叛乱騒動の日、彼奴は恐怖のあまりに病に伏した!」
典黙も鼻で笑った
伏完は確かに帝党派閥で劉協の味方だが肝が据わってない
三国演義でも曹操が董貴妃を絞め殺した時に伏皇后が伏完に密書を書いて叛乱を促した
しかし手紙を受け取った伏完は恐怖のあまりに全身の震えが止まらず、病に伏してしばらくしてからそのまま亡くなった
元々の計画通りなら伏完も叛乱軍に参加するはずだったが、いざ計画を実行する時には歴史通り病に伏しただろう...
伏完には伏寿のような度胸も覇気も無いがそのお陰で今回の件に巻き込まれずに済んだ
「どうしますか?」
典黙の問に曹操は首を横に振った
「もう良い、殺し過ぎた。それに医官の話によれば彼奴に残された時間も少ない」
この結果は自分にとっても伏皇后にとっても曹操にとっても最良かもしれない
典黙は頷いてそれ以上何も言わなかった
「魏王、荊州の方もそろそろ行くべきでしょうか」
酒を一口飲んだ郭嘉が聞いた
典黙が甘やかされ過ぎと言いながら彼自身も曹操の前ではいつもラフだった
そして曹操は郭嘉に対しても典黙同じようにに甘やかしている
「ここ数ヶ月、荊州の文官武将からの手紙が増えて来た。確かに動く時が来たかもしれん」
曹操は満足そうに頷いた
曹操があえて荊州を放ったらかしたのには理由があった
半年前よりも今行った方が荊州の反対意見も少ない、これも曹操の政治的手腕の一つである
「子寂はどう思う?」
曹操はいつも通りに無意識的に典黙に聞いた
「異論はありません。しかし一つ助言があります」
「言ってくれ」
曹操は顔を上げて典黙を見た
「近頃軍営の風紀が少し乱れております、南下して民を安撫する際は兵士たちに礼儀を守らせて欲しいです。荊州の民心を失ってはいけません。略奪行為は以ての外です!」
典黙が言い終わると郭嘉も頷いた
「そうですね!これから孫策を片付けるのに我が軍の水軍の戦力よりも荊州の水軍が頼りになります。彼らが不服では魏王の大業に対して不利益な事です」
典黙が心配性なのではなく、歴史上でも曹操軍が南下する際にに多くの兵士が略奪行為をした
それらの事により赤壁の戦いで荊水軍が青徐の水軍と連携を上手くできなかった
時にはこういった些細な事が戦いの天秤を左右するきっかけになったりする
曹操は真面目に頷いた
「うん、君たちの言う通りだ。確かに今までの連勝で軍営内の風紀が乱れている、整頓が必要だ」
「それと関中も取り戻すべきですね、でなければ安心できません」
典黙は最も心配している事を話した
今の関中は李傕と郭汜の支配下にある、この二人がずっと互いに攻め合っているが、万が一馬騰が中原を企むなら三秦の地は守りの要所になる
いつも狙われる許昌をしっかり守るためにはどうしても関中を自分たちの支配下に置く必要がある
曹操は得意げに笑った
「子寂、ここ最近文和を見かけたか?」
典黙も口角を上げた
「なるほど、降伏勧告のために関中に向かわせたですね」
「文和も西涼の出身で、三秦の地では名が知られてる。それに彼の話なら李傕と郭汜も聞く耳を持つだろう。成功すれば戦う必要も無くなる」
魏王になっても浮かれて油断をしないって事か、良かった...
「君になんの相談も無しに決めたが、気を悪くするな」
「しませんよ」
典黙は喜んで取り替えられた桂花餡の点心を口に運んだ
「文和の説得だけで三秦の地を取り戻せたらそれも美談になりますね」
つまり今の状況ならもう何の心配も要らない、三人はそのまま雑談を交わし続けて、王府で夕飯を食べてから各自自宅へ戻った
伏家が巻き込まれてない事を知ってから伏皇后はやっと笑顔を見せた
正直、典黙も伏皇后の笑顔を見るのは初めてだった
"回眸一笑百媚生"
これは唐代の詩人が楊貴妃の振り向く様に見せた笑顔を褒め称える詩だが、かの詩人もこの時代に産まれていればきっとここで謳っていただろう
「皇后様...」
出口へ向かった伏皇后は立ち止まって振り向いた、彼女はいつも通りの塩対応ではなく優しく口を開いた
「伏家は今回の騒動に巻き込まれなかったが、あなたは私のの事を助けようとしているのはわかりました。ありがとう...」
典黙は何も言わずに伏皇后を見つめた、伏皇后も目線を逸らさないが暫くしてから何かを思い出したかのように再び出口へ向かった
「皇后様...」
典黙はため息をついた
「今回の騒動で御林軍は入れ替わるでしょう」
伏皇后は出口の外で立ち止まった
彼女ももちろん典黙の言いたい事を理解していた
御林軍が入れ替われば後宮から抜け出すのは更に難しくなる
後ろ姿で顔の表情まではわからないが伏皇后の雰囲気は少し寂しげだった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます