二百九話 奪われた物資

約束の日、深夜

漠林では闇の中で関羽は開戦を気長に待ち続けた。

七月の密林の中では蚊などの虫が当たりを飛び回り、蒸し暑さと共に居心地を悪くしていた


しばらくしてから輜重物資の運送部隊が近付いてきたと斥候の報告が届いく


やがて二里にも及ぶ運送部隊が通り過ぎても何も起こらない


「関将軍、車列が遠く離れました」

斥候の報告を受けても関羽は目を閉じたまま何も言わずに手を振り、斥候を下がらせてもその場を動かなかった

何故なら前方の十里坂と回龍坳の動きを懸念しなければいけないから


そして十里坂でも同じような一幕が張飛の目の前で起き、彼は環眼を見開き車列を見送り苛立ちを堪えていた


同じく回龍坳でも黄忠は車列を横林まで見届けてから伏兵の警戒態勢を解いた

関羽と張飛もこの時兵を率い合流した


最後の回龍坳でも取り越し苦労、張飛は歯を食いしばり

「よしゃっ!今度こそあの腐儒に鞭を見舞ってやるぜ!兄者でも俺を止められんぞ!」


「ふんっ鞭など不要だ、軍令状通り奴には軍杖刑が待っていよう!八十発、一発たりとも漏らさぬように俺が直に執り行おう!」


「いいね雲長!疲れたら俺が代わろう!漢昇もやるか?」


この二人は諸葛亮を痛め付けられると思えば何よりも喜んだ


黄忠はもちろん張飛など相手にもしなかった、彼は南陽の出身で諸葛亮も幼い頃から荊州で暮らしていたので一応同郷と言える。

しかも諸葛亮の作戦を見ればその才能を認めざるを得ない、典黙に勝てなかったのも単に相手が一枚上手だとわかった


「もしかして再び本陣を狙われたかもしれん、一先ず戻ろう」

黄忠は意図したか、話題を変えようとした


「いや、見ろよ!本陣の方に火の光なんか見えねぇ。やっぱあの腐儒はホラ吹きだ」

いくら話題を変えようとも張飛は諸葛亮を罵るのをやめないのを見て、黄忠はそれ以上何も言わなかった


三人が全軍を率い本陣に向かった、三部隊合わせてもその殆どが歩兵で騎兵は三千しかないため、自然と行軍速度は遅い


そして彼らが横林に入るとすぐ慌てて走って来る荊州兵を見かけた


「大変だ、将軍!輜重物資が奪われました!」


「なんだと!」

張飛は怒りで環眼を飛び出るほど見開き怒鳴った


「すみません、横林から出た直後急に騎兵部隊に遭遇しました、輜重物資と兵糧諸共奪われました…」


「ア゙ア゙穀潰しがぁ!」

張飛は咆哮を上げながら鞭を振り上げたが黄忠は空かさずそれを掴み取った


「誰も予想できなかった事だ、荊州男児になんの罪がある?」

黄忠の声は軽かったが言い表せない威圧感が込められた


「どのくらい時間が経った?敵兵の数は?」

関羽は荊州兵に聞いた


「ほんの一刻前です、騎兵が数千程度かと思います!」

言い終わると荊州兵は張飛の鞭に怯えながらササッと下がった


「追え!」

関羽、張飛と黄忠は三千の騎兵を率い追いかけたが歩兵部隊は当然ついていけずに置いてきぼり


横林に入ってから駅道を沿って叶県の方へ走っていると、車列に追いつく前に数千の騎兵と遭遇した


関羽はこの騎兵部隊が明らかに待ち伏せだと分かって内心ドキッとした。


「行くぞオラァ!」

張飛が真っ先に飛び出し、丈八蛇矛を携えて典黙軍へ突入しようとした


趙雲も竜胆亮銀槍を構え張遼と張繍と共に迎え撃つ

待ち伏せで準備万端の典黙軍と追いかけるために陣形が崩れた劉備軍

最初の衝突で荊州騎兵が多数血煙を上げて落馬した


しかし典黙に残された兵は殆ど経験の少ない新兵、その戦力は虎賁営どころか並の精兵よりも劣る


二回目の衝突で劉備軍も典黙軍と戦力が拮抗して、戦場のあっちこっちに金属同士のぶつかる音が鳴り響いた


暗闇の中火花が散り、張飛は敵陣を攪乱するために突入して丈八蛇矛を振り回そうと考えた


しかし趙雲はそうさせまいと、出る杭を打つように常に一番先頭に狙いを定めた


竜胆亮銀槍が月の下で銀色の龍のように張飛へ向けられた

張飛の体格は山のように大きいが彼意外にも速度型の武将

丈八蛇矛が竜胆亮銀槍と空中でぶつかり、どっちも相手を引き裂こうと全力を込められた


張飛の周りに荊州兵がいるため、いつも通りに丈八蛇矛を振り回すことが出来ない

対して趙雲は突きを主に戦い、竜胆亮銀槍の槍鋒はまるで無数の矢のように張飛を襲った


張飛の速度は趙雲の攻撃を凌げるが荊州兵が近くにいるため攻撃に転ずることができない

すぐ張飛は防戦一方になった


コイツ幽州に居た頃より強くなってねぇか…?


関羽の髭を切り落とした趙雲の実力を再確認してから張飛はこの戦いに勝つのは無理だと悟った


兵の質が大して変わらないが量は典黙軍の方が有利

五千対三千、倍近くの兵力差の中で輜重物資に追いつくのは到底できない


「退け!撤退だ!」

この時黄忠が声を上げた


彼の声が響けば、統率者が関羽だろうと張飛だろうと荊州兵は黄忠の言う事しか聞かなくなる


張飛は不満に思ったが荊州兵の撤退を止める事はできない

それに二十手戦えば、趙雲を簡単に討ち取る事はできないと分かった


前線から離れたあと、典黙軍も追う態勢を見せずに輜重物資を護衛するために引き下がった


「全部あの腐儒のせいだ!」

全力で趙雲と戦えなかった上に黄忠に撤退を命令された張飛は当然不満を諸葛亮に向けた


しかし劉備軍本陣に居る劉備と諸葛亮は輜重物資と兵糧が強奪されたと聞いてから失望ではなく、作戦が成功した気持ちで叶県の方を眺めた

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