二百六話 目を覚ます劉琦

南陽郡府

劉備たちが出征してからというと劉琦はいても立っても居られない

今まで二回の敗北が劉琦の脳裏を常に過ぎり、彼は自分もついて行くべきだと少し後悔し始めた。

実際、自分が共に向かっても大した手助けはできないと自覚したが、それでも前線の状況を全然知らない今よりは少しマシだと思った


この不安は今まで蔡家に弾圧された時の物よりも心に響いた


「主公!大変です主公!」

文聘が竹簡を持って急いで走って来た

「劉皇叔が叶県城攻略の際に典黙の罠にかかり、死傷者一万余りと…正方も行方不明になりました!」


「なん…だと…!」

劉琦は顔色を変え、急いで竹簡を受け取って自分の目で確認した

いつの間にか豆粒大の汗が彼の額から滲み出した


劉備の手紙は計画の周到さを説明したが、劉琦はそんな事に対して関心を持たなかった。

彼から見れば事実は劉備が又一万人を亡くし李厳すら失った


ここまで読めばこの後は撤退の日にちについて記すだろうと思った劉琦だが、その後の内容を読む時竹簡を二度見した


竹簡の後半はまさかの"諸葛亮に次の策があるから安心してください"的な内容だった。


竹簡を読み終わった劉琦は椅子にぐったりして竹簡も地面に落とした

「正方将軍は我が軍の御旗だ…彼を失った僕はこれからどうすれば良いのか…」


荊州軍では李厳の威信は黄忠に及ばないが荊州士族の中では重要な立場に居る

劉琦が南陽で迫害を受けた時も李厳と黄忠が彼の元に向かったからこそ多くの士族もその跡を続いた

劉琦にとって、李厳を失う事は片腕をもがれたも同様


「手紙を届けたのは劉備の配下である孫乾、彼の言葉によると本陣が燃やされたので輜重物資も底を尽きそうなので、南陽から兵糧三万石と輜重物資を送って欲しいそうです」


「気が狂ったのか?いやっ頭がおかしいだろう!」


この時、劉琦は劉表の遺産を全部自分の代で終わってしまうだろうと思った


本来劉琦の性格は劉表と同じで誠実で人情厚く自分の本文に忠実だった

彼はただ劉備の助力を得て、自分の物であるはずの荊州が欲しかっただけだった。


まさかこの皇叔と出会ってから穎川で五六万の荊州兵を亡くす上に李厳までも失うとは思わなかった


考えれば考えるほど劉琦は胸が苦しくなり、劉備の口車に乗せられた事を酷く後悔した。


「主公、もうこれ以上戦うべきではないかと思います。速く皇叔に大軍を連れ戻すように言わなければいけません」


「しかし皇叔はここから遠く離れている叶県に居ます、僕の手紙で大人しく帰って来てくれるだろうか…」

劉琦はもちろん文聘の提案に賛成していたが劉備が自分の言う事を聞いてくれるとは思えなかった


「主公、城内では既に劉備が主公の権力を簒奪する噂が立っています。荊州の主は主公である事を分からせる必要があります」


文聘は李厳との仲がすごく良いとは言えないが、劉琦の荊州軍が殆ど劉備によって失ったと知っている。

彼からすれば劉備が本来平和であるはずの荊州に戦火を撒き散らした


「仲業将軍、何か良い方法はありますか?」

頭を使うのが苦手な劉琦は助けを乞う目で文聘を見た


「輜重物資は届けなければなりません、でなければ今叶県に居る兵士たちは曹操軍に全滅させられてしまう…劉備に蔡瑁が江夏を攻めて来たと伝えましょう!そうすれば劉備は残りの兵力を連れて戻って来るでしょう!」


「良い方法ですね!」

劉琦は嬉しそうに机に手を叩いた


文聘は確かに良い方法を出した、手紙が届けば仁義を売りにしている劉備は帰って来ざる得ない。

百歩譲って劉備が天子を優先にしたとしても黄忠が手紙を見れば帰って来るはずだ。

黄忠が口を開けば荊州兵は劉備の言う事を聞くはずもない


劉琦は急いで竹簡を開いて手紙を書いて、その後自分の印を押してから文聘に渡した


「輜重物資を孫乾に渡しても良い。それとこの手紙を急いで劉備に出そう!」


「はい」


すぐ、背中に"急"と書かれた黒い旗を背負う速馬が南陽の北門から走り去った


二百二十里の道程、二頭の馬を乗り換えながら走れば一日で着く。


叶県の劉備軍営に来ると丁度そこに関羽と張飛が居た、二人は巡回していたが目につきやすい黒い旗はすぐ二人の目に止まった


「止まれ、なんの書状だ?」


「はい、荊州からの連絡です」


関羽はその速馬を止め、竹簡を受け取った


手紙を読むと関羽は目を細めた。

ここ数日劉備軍の本陣は慌ただしかった、関羽と張飛が自ら巡回するのも本陣の後方に予備の要塞を建設するため、人手が足りなかったから


しかしこの手紙の内容が広まればこれら全ての準備も徒労に終わる


関羽は諸葛亮を良く思ってないがこのまま南陽に引き返すのも嫌だった、何よりも劉備の悲しむ姿が目に浮かんだ。


細めた目で辺りを見渡し、関羽はある決意をした

「一先ず本陣で休息を取り、その後馬を替えて南陽へ戻れ、そして江夏で俺と翼徳の旗を立てるよう伝えろ。我々はその後に江夏へ向かう」


「分かりました!ありがとうございます!」


伝令兵が去った後、張飛は手紙の内容が気になって

「雲長、劉公子が何って?」


「蔡瑁が大軍で江夏を包囲したと言ってた、しかし妙だな…」

関羽は竹簡を持ったままの両手を後ろで組み

「蔡瑁のような鼠輩がこんな事をするはずがない、恐らく公子が我々を南陽へ戻すための口実だろう」


「公子も劉表と同じビビりだ、典黙に怖気付いたろう。あんな奴が荊州を手にしても守りきれないぜ。俺らが居なけりゃ蔡瑁がとっくに攻めて来たろうよ!」

張飛は心底から劉琦をなめていた

「雲長、どうするよ?兄者に教えるか?」


関羽は首を横に振り、ため息をついてから

「いや、兄者は優しすぎる。手紙の内容を教えればきっと仕方なく南陽へ戻るだろう。それに対策を伝令兵に伝えた、我々の将旗を見れば蔡瑁も迂闊に攻めたりしない!」


「さすが運長!俺らの将旗を見りゃ誰だって避けて通る!」

張飛は言い終わると高らかに笑った


「しかし江夏は心配ねぇが諸葛亮の腐儒が心配だ!あの野郎は兄者を補佐できねぇだろう。また何かやらかそうとしてるけど大丈夫か?」


「翼徳、この後の会議で責任という物を分からせてやろう!もうこれ以上兄者の足を引っ張らせる訳にはいかない!」

吊り目を細めたまま、関羽は鼻で笑った

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