二百五話 孔明の下策

「翼徳!やめなさい!」


百夫長が気絶してから劉備がやっと駆けつけて張飛の鞭を取り上げた


劉備はしゃがみ、気絶している百夫長を見てから負い目を感じたのか医官へ見せるよう近くの兵に指示を出した


「兄者、言いつけ通りコイツらを殺してないぜ、鞭くらい打ってもいいだろう」

百夫長が運ばれてから張飛は少しも負い目を感じずに言った


「彼らも解放して医官に見せよう!」

劉備は張飛を見向きもせずに他の兵士に指示を出した


解散した後誰も居なくなってから劉備が張飛に諭すように話した

「翼徳、何度も言ってるが兵士たちに暴力や暴言を向けてはいけない」


「兄者、そんな甘くしてたら逃げられちまうぜ」


「このような鞭打ち刑を見せれば他の兵も臆して逃げてしまう」


劉備も張飛の扱いに困った、何度も同じ事を言ってるのに張飛は聞く耳を持たなかった


正直劉備の張飛に態度に落ち度があった、いつも諭すように言うが罰したことはない。

だからこそ張飛の悪い習慣が保たれ、最終的に閬中で范彊と張達に首を落とされた、三国時代で有名な武将の中ではこの死に様が一番みっともないだろう


「それとこの人たちは皆劉琦公子の兵で我々のものでは無い、荊州の人心を失うのも良い事ではありません。翼徳将軍、お忘れなく」

遠くない所から諸葛亮が歩いて来た


諸葛亮はこれを機に張飛との関係を良くしようと思ったが、張飛は諸葛亮を見ると余計に腹を立てた


「腐儒!どの面下げて言うか!お前が負け無ければコイツらが逃げる訳ねぇだろう!代わりに鞭を喰らえ!」

先まで友好的な笑みを浮かべていた諸葛亮の顔が引き攣った笑顔になった


「翼徳!無礼だぞ!もう下がれ」

劉備は急いで張飛を押し離した、今の状況では関羽も張飛も諸葛亮に対して怒りを持っている


この数日諸葛亮は二人のイジメをいつも以上に受けていた、張飛は暴言雑語、関羽は諷刺皮肉。いくら諸葛亮の器が大きくても心に癒えない傷を負った


劉備も確かに二人を止めたりするが、彼も二十四時間諸葛亮の隣に居れない。

隙ができればどっちかが諸葛亮の前に現れ、言葉の芸術を彼に披露していた。


張飛も去った後劉備は諸葛亮を慰める

「翼徳の事を悪く思わないでくれ、あの性格をいつか直さなければと思っている」


諸葛亮はため息をついて、もうこの事について話したくなかったのか、話題を変えた

「漢昇将軍が帰ってきました」


劉備はその事を聞いて眉を上げた

「結果はどうだ?典黙が本陣を襲いに来る約束をしたのか?」


諸葛亮は首を横に振った

「典黙の心智は並外れ、我々の予想と違って漢昇から輜重の運送路を聞き出そうとしています」


劉備の目から光が消え、少し落ち込んだ

「我々の輜重物資はあと一戦しか支えられない、次の一撃で典黙軍を壊滅できなければ補給が追いつかず、我々は戦う術を無くしてしまう。そこを見越したからこそ後援を狙ったのか…」


劉備は究極の選択を迫られた、もし本当に輜重の運送路を教えれば待ち伏せを仕掛けても一挙に典黙軍を全数殲滅することはできない、相手が輜重を破壊してしまえば自軍は長くは持たない。

しかし偽物の情報を渡しても典黙の心智を騙せない。

本陣を焼かれてから救援を出し、そこから輜重の運搬に必要な時間を計算すれば偽物の情報はあっさり見抜けられてしまうから


どっちを取っても自軍は受動的な立場、本物の情報を渡せば即ち決戦を意味する、しかし偽物を渡せば今までの布石と黄忠の勝ち得た信頼が全て水の泡になる

勝利へ繋ぐ布石であるはずの黄忠がなんの意味も無くなる、それは何としても避けたい…


劉備が迷っている横で諸葛亮は更に事象の裏を読めていた

仮に本物の情報を教えて典黙軍を誘い出すために待ち伏せをしても典黙軍には他の選択肢が未だ残されている。

典黙が官渡の戦いで見せたように、輜重の運搬路を無視して再び本陣を強襲する可能性が未だある。

兵糧倉庫で改築した本陣は最後の砦、失えば大軍は身を寄せる場所すら無くなるので結局負ける…


そして今現存する兵力では運搬路と本陣の二箇所で待ち伏せを仕掛けるには足りない


思いの外に典黙の要求は単純な物に見えて実は劉備軍の急所を握っている


「孔明、何か打つ手はないのか?」

頭を悩まされた劉備は助けを乞うように諸葛亮を見た


「主公、正直に言って今の状況では我が軍は無理に戦うよりも撤退した方が現実的です。残りの兵力では未だ長沙を落とすのに充分です」


この答えは堅実的で最善な判断だが劉備の欲しかった物ではなかった。


劉備は迷いもなく首を横に振った

「ここまで来て何の成果も得られないまま帰ることはできない。公子に顔向けできない上に蔡瑁すら我々に楯突く可能性がある。孔明、何か打つ手はないのか?」


しつこい劉備を前に諸葛亮はため息をついて、羽扇を持ったまま拱手した

「主公、一つ策があります、しかしとても危険なもので言わば両刃の剣…」


「あるのか!?速く教えてください」


危険を冒すのは諸葛亮の慎重な性格上避けたいもの、しかし劉備の圧力に押された彼は劉備の耳元で計画を話した


計画を聞いた劉備は暗かった瞳に再び光を宿した。

「良い手だ!いくら典黙でもここまで細かい所には気を配る事ができない!きっとこの一撃で典黙軍を全数殲滅できる!」


「しかしこの計画の後、我が軍の輜重も全数尽きます、戦力も三割から五割しか残りません…この計画を実行する前なら未だ止めることができます、始めてしまえば途中で止めることができません…」

諸葛亮は不安そうに話したのは彼自分でもこの計画を実行したくなかったから、劉備にも諦めて欲しかった。


しかし劉備は計画を聞いて喜びこそしたが諦める素振りを見せなかった。

「陛下のためならこうする必要はある!それに叶県城を落とせば輜重物資の補充もできるから問題ない!その時になれば一気に許昌へ攻め入り天子陛下を救い出そう!」


浮かれて舞い上がった劉備を見て、諸葛亮もそれ以上止めなかった

「それなら漢昇に計画の一部を伝えましょう」


「あぁ!」

劉備は深くため息をついて諸葛亮を見つめた

「孔明、苦労をかけたな!」


劉備は立ち去った、しかし諸葛亮は両手を後ろに組み、不安な顔で空を仰いで呟いた

「社稷のためとは言え、このような陰険な策を出す私は寿命を縮めるだろう…」

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