二百四話 守りから攻めへ

典黙が牢から出る時、徐庶の姿が未だ見えなかったので先に陳到の案内を張遼に任せて典黙自身は府邸へ戻って徐庶の報せを待つ事にした。


李厳に比べれば陳到の方が重要だと思った典黙は今頃自作の揺り椅子にぐったりしてすごく楽な気分になっていた。


少し時間が経てから徐庶が入って来た


「元直!どうだった?」


しばらく一緒に遊んだせいか、それとも徐庶が典黙の能力に感服したせいなのか、今頃の徐庶は最初に見せた警戒心を解いた。


「条件があると言われた」

徐庶も典黙のラフな作法に習って隣に腰をかけて、お茶を一口飲んでから話した


「どんな?」


「城内にいる六千名の荊州兵捕虜を解放する事だ」


「フーン…」

典黙は可も不可も言わずにぐったりしたままだった


荊州を完全に占領するまではこれらの捕虜を自軍に編入する事は出来ない。

ただしそれも例外がある、それは北国のように敗北が目に見えている時だ。


つまり今の状況では捕虜は居るだけで兵糧の消耗がより増えるだけ、大戦が終わる時に人質交換の利用価値さえ無ければ埋め殺しに遭うのが明白。

李厳もその事を理解した、そして劉備がどう足掻いても典黙には勝てない事も理解した、だからこそこの条件を口にした


捕虜の解放を条件に李厳を手に入れるか、悪い話では無いね…!


典黙も捕虜を埋め殺しにするのが性にあわなかった

それは綺麗事ではなく、信仰の違いで同族の殺し合いをできるだけ避けたかった


「いいでしょ、しかしこの戦が終わるまで待たなくてはいけない」


徐庶も頷いて拱手した

「荊州で夫を待つ者、父や子を待つ者、皆感謝するでしょう!」


典黙は何も言わなかったが内心ではやる事を決めた。

予め恩を売る事は李厳の説得と荊州の占領には大いに役立つ


歴史上の曹操は一兵卒も消耗せずに荊州を占領したが人心を得れずに居た

当時の曹操軍が荊州に入って略奪まがいの酷い事をした。

だからこそその後の赤壁の戦いで曹操軍が負けた事について司馬懿は天罰だと評価した


「軍師殿!」

二人が話していると張繍と趙雲が入って来た


「どうした?」


「明日が黄忠との十日に一度の密会です、何か命令があればと思います…」

張繍は徐庶を警戒しているか、言いたいことを言いきれずにいた


「聞きたいことがあれば聞くといい」


「はい、軍師殿。黄忠が数回に渡って本当の情報を教えてくれました。彼が本当に帰順したいと思います。今の荊州軍は士気が低いので内通者としてその協力を利用して本陣に攻め入りましょう!」


典黙は何も言わずに趙雲を見た、趙雲も頷いた

「僕も問題ないと思う」


黄忠が軍杖刑八十を受けてから劉備軍の動向や兵糧の路線、叶県城奇襲の情報、どれも本物だったので張繍と趙雲は黄忠の帰順を信じ始めた。


そして二人同様、黄忠が本当に劉備を裏切ったと思い始めた徐庶も典黙を見つめてその答えを待った


「そこまでしなくても良いよ、この後劉備軍は南陽から輜重を運んで来るはずだ。先ずはその路線を教えてもらおう」

典黙は淡々と話して、劉備軍の本陣に対して少しも興味を示さなかった


「…はい」

張繍は趙雲をチラッと見て、後者が顔色を変えないのを見て拱手した


趙雲はもちろん典黙の能力を完全に信頼している、本陣を奇襲しないと言うならその理由を聞く必要すら無い


二人が外へ出た後徐庶は何かを考え始めた


「何を考えてる元直?」


「いえ…前回軍師殿が子龍将軍に劉備軍の本陣を奇襲をさせたのは単に士気を下げるためではないと言うのか?」

我に返った徐庶は驚きを隠せないでいた

「まさか最初から相手の輜重を燃やし、その運搬路を知るためですか?」


「さすが元直ね!よく気づいた!」


典黙の褒め言葉を聞いても徐庶は素直に喜べなかった


前回の戦闘で孔明の策を逆手に利用しただけでなく更に次の戦いに向けて布石を仕込んだのか…一体何手先を読んでいるんだ…


「子寂も…やはり黄忠の帰順を信じるのか?もし諸葛亮も黄忠を餌に誘い込みを計画したらどう対応するつもりだ?」


「黄忠の帰順は本当でも嘘でも僕からしたらどっちでもいい、僕は計画の鍵をそのような不安定な物に託さない」


つまり最初から黄忠の存在は計画に対して何の影響もしないのか?なら何故黄忠を通じて情報を収集する?


徐庶の脳内はますます混乱した、自分と典黙では同じ局面に置かれても考える事がまるで次元が違うようだ。

しかし今の徐庶はそんな事を考えるよりもこの後の展開が気になって仕方がない


「今の荊州軍には物資も士気も足りない、もし軍師殿が今その本陣を強襲すれば勝つのは難しくない。なのにその選択をしなかったという事はもっと良い選択肢があるという事ですか」


「元直の言う通り、強襲をしても負けない自信はあるが我々にも甚大な被害が出るでしょう、必要が無ければそんな事をしたくない」


徐庶は頷いた

「臥龍の攻めを麒麟が防いだ、次は麒麟が攻める番ですね!臥龍がそれを対処できるか、見させてもらいましょう」


劉備軍は本来の兵糧倉庫を仮設の本陣に改築した後、張飛は上裸の状態で鞭を振り回していた。

同じく上裸にさせられた数名の兵士が十字架に括り付けられて、その背中は既に張飛の鞭で裂けていた


「よくも逃げやがて!脱走兵には気合いを入れ直してやる!」


張飛の力量で振り下ろされた鞭は兵士の背中を刳り、打たれた兵士は言葉では言い表せない叫びを上げていた


そして兵士が叫べば叫ぶほど張飛もまた増々興奮した。


秦王朝に始まり、脱走兵が現れれば連帯責任で同じ伍が処罰を受ける。

そして漢王朝ではその連帯責任が家族にまで及んだ。


しかしその後は軍政の凋落と黄巾の乱を経て、群雄割拠の時には中原の人口が激減した。

そのせいでこの方法の効果が減って、時には脱走兵をなだめる必要もあった。


そして荊州では劉表が刺史となってから兵士への対応は更に良くなった

あいにく張飛にはそのような寛容な心を持ち合わせていないので、荊州兵は彼の元で毎日地獄のような日々を送って来た


隣の百夫長がやっと見るに堪えなかったのか、張飛の前で土下座して許しを乞う

「将軍様!もうおやめください!これ以上彼らは持ちません!」


「どの面下げて言ってる!お前の部下だろう」


張飛の鞭がその百夫長の胸に届き、彼の衣服がたちまち裂かれ、胸から血を流しながら地面を転げ回った

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る