百九十五話 徐庶の感想
叶県城の将軍府にて、典黙と徐庶は弓を手にして的を射る遊びをしていた
この時代の娯楽は限られている、上流階級の氏族でも射的、撃壌、臓鉤くらいしかない。
典黙は暇つぶしに徐庶を射的に誘った。
趙雲、張遼、張繍を誘うのは負けが決まったようなもので勝負にならないから。
笮融を誘った事もあったが奴は分かりやすく手を抜く上デタラメに典黙を褒める、度が過ぎる媚びは分かりやすく、かえって自分の惨めさが際立つ。
手抜きせず、変な媚びを売らない、尚且つ実力にそこまで差がない徐庶は一番良い相手だった
君子六芸の三つ目が射術。
友達のために人を殺め、山賊横行する時代で侠客として旅ができる徐庶も当然その心得がある
徐庶は三回連続で的の中心を射抜いた、対して典黙は辛うじて中心に一本を命中させ、残りの二本は的から外れた
「軍師殿は兵法謀略にたけるからこそ麒麟の二つ名を手にしたですね」
徐庶は謙虚に言った
「弓は得意じゃない」
典黙は弓を投げ捨て、石段に座った
穎川出身の郭嘉に比べ徐庶はそのラフさが無く、お堅く典黙の隣に立っていた。
典黙も融通きかない徐庶を気にしなかった、彼から見れば徐庶はこの戦いを見届けるただの野次馬。
少ししたら趙雲が入って来た
「子寂、黄忠からの手紙」
「黄忠がなんと?」
「三日後、兵糧の運搬部隊が城外にある劉備軍本陣へ到着する。その量は一万二千石、護衛は千人程度、いつも通り横林を通ると教えてくれた。そしてそれを奪う事も提案して来た」
典黙は膝に肘を載せ、手のひらで顔を載せて遠くを眺めた
「子龍兄はどう思う?」
「提案通りに奪っても良い。前回劉備軍の動きを教えてくれたのも黄忠だし、今回も本当だと思う。もし黄忠が本当に投降するつもりで我々がそれを信じてあげなかったら彼の心を得られない、そして他の人も投降できないと思い最後まで抵抗するかもしれません」
「なら祐維将軍に二千の騎兵で奪わせよう」
典黙は何も考えずに即答した
この反応を見た趙雲も徐庶も愕然とした
「子寂、何か他に言うことは無いか?」
「うーん、道中気をつけて?」
「分かりました」
趙雲は頭を掻きながら立ち去った
趙雲が去った後徐庶は典黙を不審な目で見た
典黙の挙動はどう見ても大才ある者の風格とは違う、少なくとも諸葛亮はこんなに粗雑ではない
「何か聞きたい事でもあるでしょ?どうせ情報を持ち出せないから知りたい事あるなら教えてあげるよ」
怠惰を極めた典黙はいっその事両手で頭を抱えて石段に寝そべた
「軍師殿は黄忠を信用したんですか?」
「元直は信じるのか?」
石段に寝そべた典黙は空の雲を眺めて聞き返した
「分かりません…」
「今の"分かりません"は嘘っぽくないね…まぁ僕も信じていいか分からない」
典黙は眠い目を擦り続けて言った
「でも子龍の言う通り、万が一黄忠が本当に投降するつもりならその誠意を拒むのは良くないね」
典黙の言う事は嘘では無い、彼は未だ黄忠の投降が本物かどうかが分からなかった。
歴史が変わっても人の性格は変わらない、劉備が漢中王を自称した時に黄忠を五虎将に入れたが関羽はとても不満に思った。
"老卒と同じ伍に入れるか!"
この言葉で関羽の傲慢さが垣間見える。
この時の黄忠は未だそこまで高齢ではなくても関羽と張飛に比べればかなりの年長者。
関羽がその傲慢さ故に嫌味を言っても有り得る事だった。
「軍師殿…」
徐庶は少し躊躇ってから話を続けた
「今ある四万の兵力を保てば劉備軍は許昌まで辿り着かないでしょ?なら何故黄忠の手紙を信じ、冒険するのですか?」
典黙は少し驚いて眠さも吹き飛んだ
「僕が元直の意見を受け入れて援軍を待っても良いの?」
「私は軍師殿ほど人の心を読める訳では無いが軍師殿が人の意見に左右される程の人では無いと分かります」
徐庶の分析を聞いて、典黙は高らかに笑った
「母君を拉致したのが誰か分かるか?」
「賈詡」
徐庶は少しムカついて賈詡の名を呼び捨てた
「そう、その通り。もし文和がここに居るなら諸葛亮がどんな手を使っても彼を城外へ引っ張り出せないでしょう!彼は目的のためなら手段を選ばないからね」
典黙は起き上がって、土埃を振り払った
「この理屈は君にも僕にも諸葛亮にもわかるはずだ。なら二千の騎兵を待ち伏せしても何の意味もないでしょ?」
徐庶はハッと理解して、典黙を見る目も変わった
黄忠が本当に投降するつもりなら兵糧の運搬は情報通り、偽装降伏だとしても信頼を得る為に嘘の情報を渡すはずもない。
つまりこの情報自体は本物に間違いない
粗雑に命令を出したに見えたが既に自分より数手先を見ていたのか?
自分を含め、通常の策士なら戦場の変化に応じて策を練るがこの少年は違う、まるでもっと広い視野でより大きな縮尺で策を考えている!
孔明、勝てるのか…?
「もう一つ答えていただけますか?」
「良いよ、遠慮なく聞くといい」
「軍師殿はこの叶県城で諸葛亮と勝負するつもりですか?」
典黙は意味深な笑みを浮かべた
「元直の望むところでしょ?僕が負ければ再び劉備の所へ戻れるからね」
「なぜですか?」
徐庶は否定しなかったが少し不思議に思った
「諸葛亮の二つ名は臥龍、それを正面から打ち破ってこそ僕も麒麟の二つ名に相応しいでしょ?」
徐庶は首を横に振った
「軍師殿と付き合いは未だ浅いが名利を気にする人では無いと分かります、でなければいつまでも東観令のままではないはず」
徐庶が許昌に行ってから長い月日が経った、その間に曹操も郭嘉も荀彧も会いに行ったが交わした言葉を全部足してもここまで多くなかった
好奇心に駆られたのか、徐庶は典黙の前ではよく喋るようになった
典黙は立ち上がって欠伸をしてから徐庶の前へ行き、彼を見つめた
「僕の標的は劉備だ、この機に息の根を止めたい!兵力差があまり無いこの状況なら全力を尽くして賭けてみるよ。そのためにも城を守ってるだけでは足りない。賭けに勝ったら厄介者はこれっきり消える!負けても…まぁ、負けないけどね」
言い終わると典黙は徐庶の反応も見ずに部屋へ戻った
しばらくして徐庶はため息をついた
「若さ故の傲慢か…しかしその傲慢さに見合うだけの才覚は確かにある…」
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