百八十八話 劉備の執念
荊州南陽郡、劉琦と文聘が将軍府で何か世間話をしていた。
その間に、劉備は羽扇を扇ぐ諸葛亮と練兵広場へ視察しに行った。
ここ最近、関羽、張飛、陳到らが練兵に勤しんでいた
襄陽から来た黄忠と李厳は劉備のことをあまり好きでは無いみたい。
しかし劉備はめげずに距離感を詰め寄る、彼の良いところは謙虚になれる事。
所詮人間は感性的な動物で、劉備の訪問を数回受けてから黄忠は劉備の前回やらかした事を許した
しかし李厳は依然と劉備が気に入らない、と言うか嫌っていた。
劉備が李厳の前に座る度に李厳はそっぽ向く、忍耐強い劉備も結局耐えられずに諦めた。
「兄者、軍師!」
練兵広場に居る張飛は二人を見ると嬉しそうに駆け寄ってきた
「この間三万八千の新兵を募った!アイツらの素質が良い、調練して戦場で経験を積めば良い兵士になるぜ!」
「うん!翼徳の言う通り、それに軍師が戦馬を八千頭調達した!これで我々も騎兵を作れる!さすが軍師だ!」
張飛に続いて関羽も嬉しそうに話した
"我々"と言う言い方から察するに、関羽も張飛も明らかに荊州兵を自分の物だと勘違いしているだろう。
「荊州では馬が育たない、孔明が居なければ確かにここまでできなかった。ありがとう!」
報告を受けた劉備もとても上機嫌
「微力ですがお役に立って良かったです、それよりも将軍たちの方が調練で苦労されています」
諸葛亮は拱手して謙虚に答えた
曹操の言ったように、江夏は荊州の財布。
文聘を引っ張って来てから諸葛亮が先に考えた事は戦馬の補充
荊州は馬を産出しないので元々の戦馬は劉表が西涼から買ったものだった
しかしその馬も劉備が許昌への侵攻で無駄に消耗した。
諸葛亮は関中から戦馬を買う事にした。
今の関中は李傕と郭汜が互いに敵対していて戦乱が長引いたせいで金銭が足りない。
諸葛亮から金銭を受け取って河西や西域から仕入れて再び売る中間商は彼らにとっても悪い話じゃない。
「兄者、南陽と江夏の駐屯兵を含めて我々は一万の騎兵、三万の歩兵、八千の弓弩手と五千の刀斧手が居ます!これなら大業を成し得るかもしれません」
関羽が嬉しそうに話した
この時代では金と食糧さえあれば兵を募るのは難しい事では無い
特にここ荊州は長年戦乱とは無縁で黄巾の乱の影響もほぼ無かったのでその分金銭や食糧には余裕があった。
充分な物資に加え、皇叔の尊号と劉琦の人望によりこの募兵は僅か半月で成功した
「孔明はどう思う?」
劉備も習慣的に諸葛亮に聞いた
「主公、確かに我々には五万以上の兵力を有していますが、その質も量も曹操には及びません。この乱世の中で根を張り漢室を建て直すには荊州を完全に手に入れなければいけません」
諸葛亮は羽扇を扇ぎながら答えた
「孔明、江夏の南は長沙だ、太守の韓玄は蔡家の推薦した人、公子のために働くとは思えない」
劉備はため息をついて北の方へ眺めた
「偵察の報告によると冀州の袁家は内乱になった、曹操も北征する命令を出した。もうすぐ曹操が北国に介入する、その時が許昌を落とし天子を救い出す時では無いか?」
諸葛亮は少し嫌な予感がして、劉備の意思が決まる前に説得を試みた
「主公、今は北上する時では無いと思います」
「おい軍師、兄者は曹操が許昌から出て行く時と言ってるんだ、その時は許昌は空っぽだろ?そこに軍師の智略も加えれば行けるんじゃねぇ?」
「曹操の兵力は十五万前後、北国の戦乱は十万程度の兵力で簡単に治まる。我々には優勢があるとは言えません」
劉備の失望した顔を見て、諸葛亮は慰めた
「主公、仮に曹操が北国四州を手に入れてもすぐには手が離せません、この間に公子を手助けし、荊州を収復させるべきです。荊州は水陸の利便性があり、兵力を五十万まで増やせます!ここで根を張れば西川に入り、合併させます。そこから関中と荊州の二手に分かれ、中原を挟み撃ちにします!」
「うわー、軍師の言う通りにしたら曹操が寿命で死んじまうじゃないか」
張飛は嫌そう顔をして聞いた、彼の中では戦はもっと単純な物だった、曹操が留守の間に空き巣に入れば良いと。
「氷山を築くには数日の寒さではなし得ません、功を焦れば自滅に繋がります」
諸葛亮の羽扇を振る手が小刻みになって、真剣に言った
本来、増えた兵力を見て上機嫌だった劉備は落ち込んだ、目と鼻の先にあるはずの天子が遠ざかったような気持ちになった
彼も張飛と同じ意見で、曹操の留守を襲うつもりで居たから
そして天子を無くした曹操を他の諸侯で叩けばより簡単になるはずだと思った。
劉備は無言で立ち去ると、諸葛亮もその後ろに続いて、関羽と張飛はそこに立ち尽くした。
自宅に戻ると劉備は既に涙を目に溜め、振り向いて諸葛亮に泣きついた
「孔明、正直に言って私は大業等考えていない!ただ天子陛下を救い出したいだけだ、陛下を思う度胸が張り裂けそうになる。この痛みを我慢して荊州と西川を取るのは無理だ!曹操が許昌から出れば許昌に向かおう、どうかご助力を!」
劉備は拱手して跪いた
諸葛亮は愕然とした、急いで劉備を起こすと深くため息をついた。
「主公がそのように決めたなら仕方ありません、しかし私の心配は曹操だけではない...公子はずっと荊州を取り戻したい気持ちでいます、今の兵力で北上するのはその気持ちを反する事になります」
諸葛亮はハッキリとは言ってないが劉備は察した。
文聘、黄忠、李厳は劉琦の言う事を聞く、この五万人の軍も彼の命令が無ければ動かすことは出来ない
劉琦は二度も劉備の口車に乗せられ許昌へ行った、そして二度とも"何の成果も得られませんでした"
成果の代わりに得られたのは失敗と言う経験だけだった
劉備は眉間に皺を寄せ、しばらくしてから口を開いた
「公子を説得してみる!」
人は一度執念を持ってしまうと当初の目的を忘れがちになる
今の劉備は自分の目的は天子を救う事にあるのか、それとも曹操を殺す事にあるのか、それすら見失ってしまった。
おそらく劉備の目にはその二つとも同じ様な物に見えただろう
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