百八十四話 春にも咲かない花

曹操と大軍が遂に許昌へ戻った、新しい戸籍制度が功を奏したか、許昌城は前より治安が良くなった。


それでも曹操は空っぽの天子鑾儀を先に城へ帰して、自分は虎賁双雄と陥陣営の護衛で違う城門から入城した


そして許昌へ帰ったあと、一番先にやった事は天子の名義で勅令を出した。

その内容は袁尚を驃騎大将軍に任命し、冀州の刺史としたのと、袁煕を領車騎将軍に任命し、青州の刺史とした。袁譚はただの涿郡の太守にした


もちろんこれは荀攸の二桃殺三士の策である


仮に袁紹の遺言を聞いた袁尚袁煕が諦めていたとしても、この勅令が伝われば二人の心は燻られるだろう!


策略のあとはもちろん各文官武将への報奨だった。

世間では嘘つきと呼ばれた曹操は約束を守り、笮融に侯爵の位を与えた、寧国侯である。


寧国とは丹陽郡の一つの県である、つまり笮融は県侯となった。

侯爵の等級では第二の系列で、相当手厚い待遇だった。


笮融は当然礼の品を沢山持って典府へ走った

彼はただの豪族に始まり、九卿に上り詰め、寧国侯となったのは全て典黙のお陰とわかっていた。

典黙と出会っていなければ自分は良くても徐州で幕僚で終わっていただろう。


「寧国侯か…なんか嫌だな」

寧国侯と聞いた典黙はどうしても謝玉と言う人を思い浮かべた


「先生が好きなように呼んでくださいよ、またいつも通りに名前で呼んでもいいですよ」


大鴻臚の笮融は東観令である典黙の前では官職や爵位等気にもしない風に媚びた、彼にとては典黙が神様のような存在だった


「用が済んだでしょう?僕はこう見えても忙しいんだよ」


「はい!では失礼します」

笮融はささっと出口へ走った


官渡の戦いが終わっても典黙は依然と曹操の褒賞である昇進を断っていた

もちろん朝議を断ってその間に麋貞と蔡琰と居るためである。


虎鞭のおかげか、軍営での剣術鍛錬が効を奏したのか、典黙は自分の戦闘力が上がったのを実感した、その日の夜麋貞を征服した。


次の日典黙は元気満々で蔡琰の書院へ走った、上品な蔡琰はもちろん麋貞と比べればできる事が少ないが典黙は贔屓する人では無い。


数日が経ち、許昌城に雪が舞い落ちた

氅衣を肩にかける典黙は屋根の下に立ち、舞い落ちる雪を眺めていた。

手で一枚の雪を受け止めて溶けるその姿を見た典黙は何故か少し切ない気持ちになった


その間に曹操が背後に数名の使用人を連れて現れた。


「丞相?突然の来訪ですね」


「フン、我が来なければ君も我を訪ねる事がないだろう」

曹操の口ぶりからは少しかまって欲しい気持ちが読み取れた。


室内に入り、使用人たちが七輪を設置してその上に鍋を掛けた。

「子鹿の肉だ、柔らかくて味も良い!一口食べて君に裾分けしようと思った。使用人に持て行かせようとしたが最近会ってないし、ついでに来た」


典黙は曹操の隣りに座り箸で一切れを口に運んだ。

確かに美味しいけど前世の火鍋とは比べられない、この時代には唐辛子、胡椒等の調味料が無いからだ。


曹操も一切れ食べてから酒壺のまま典黙の杯と乾杯した。


「暖まるね!しっかし君が昇進しない理由が分かってきたぞ!我はここ最近は忙しかったよ、君は逍遥自在のようだが!」


曹操は一人で食べながら喋っていた

「官渡から連れて帰った捕虜を数えてみると十一万八千も居た!儁義に勧告を任せ、子盛、子龍が選別した。この戦いで我々も七万の兵を損失した、それと兵糧、機材、備品...勝ったのはいいがしばらく休息が必要だ!それに比べれば北国は違う、向こうは戦乱が少ない、大地も豊か、勅令が届いたら袁譚兄弟が期待通りに動いてくれると良いがな!」


曹操の目からは羨望の気持ちが読み取れた。

確かに兗州、豫州、冀州と比べれば北国四州の方が豊だった。


曹操は肉を咀嚼して呑み込んでから再び語り出した

「劉表が亡くなって、蔡瑁、蒯良、龐季が連名して劉琮を荊州の刺史に継がせようとした。これは悪くない、劉琦が数回に渡り我々の邪魔をした。一先ず劉琮を荊州の刺史にして、ついでに劉備劉琦の罪状を天下に知らしめる!今が荊州を取る絶好な機会なのにその余力が無いのは残念だ!あとなぁ...」


曹操が話を続けようとしたら典黙がボーとしているのを見て、箸を彼の顔の前で振った

「どうした?何を考え込んでる?」


「あっ、いいえ、なんでもありません」

典黙は我に返り

「丞相、そう言えば江東の方はどうなりました?」


「江東と言えば君のおかげだ!あの時わざと呂布を追いやってから、孫策の注意力は完全にそっちに逸らせた!で無ければ我々が官渡の戦いをしていた時に背後を襲われたかもしれん。孫策は二度丹陽へ攻め入り、呂布はそれを二度も撃退した、終いに孫策が策で呂布を誘い出してそれを打ち負かした。呂布は敗残兵を連れて豫章へ逃げ込んだ。孫策は丹陽を手に入れても呂布を追わなかった、代わりに臨海を占領する気で居る」


呂布と聞くと典黙は一瞬呂玲綺を思い出した、あの"来年の春にまた会おう"という約束を思い出した


この時代では交通が不便で手紙すら届かない事も、一度の別れが生死の別れになる事もある


典黙は先程の切ない気持ちの理由を理解した、多分来年の春また会う約束を守れないかもしれない


「そう言えば劉備の謀士だった徐庶、徐元直を覚えてるか?彼も我の配下に加わった、しかし彼は寡黙な人のようだな」


曹操は常に有能な人を配下に入れたがっている、だから今の話をした時は嬉しそうだった


典黙は平然としていた、徐庶が曹操軍に入ってから何も言わなくなったのは有名な話で彼は本当に劉備との約束を守って曹操のために策を出さなかった。

今の徐庶はただ母親を守りたいだけだった


徐庶と聞けば、典黙は諸葛亮を思い出した

「丞相、荊州の死士から連絡は来ました?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る