百八十二話 劉表昇天

荊州の襄陽城、刺史府にて劉表が寝床で昏睡していた。

既にシワだらけの顔が真っ青になっていて、より衰弱しているように見えた


寝床の横にはゆったりとした紅色漢服を着た艶かしい女性が劉表を冷めた目で見ていた、その目はまるで自分と関係無い人を見ているかのようだった。


コンコンッ

扉を叩く音が女性を恍惚した状態から呼び戻した。

振り向くとそこには肌が少し黒い男が入って来た


男は衰弱している劉表を見ると上機嫌になった

「姉さん、予想通り劉琦が何回か城へ入ろうとして、俺に何回か止められて今は南陽で大人しくしてるぜ」


そう聞くと、艶かしい唇がゆっくり動き出した

「劉備は?」


「同じく南陽にいる、アイツは大人しくないからな…いつも劉琦を北上させようと動いてる。このその事で前丞相に怒られたよ、いつまでも放ておくと俺らが罪に問われるだろ…」

劉備と聞いて、蔡瑁は少し不安気に言った


蔡氏は化粧台の前に座り、桃木の櫛で髪を溶かしながら銅鏡の中に映る自分を見ていた

「この美貌を持ちながらいつも一人で寝床に着くのは勿体無い事ね、老いぼれは役たたずね」


「姉さん、まだ待つか?」

蔡氏が何も言わないのを見て蔡瑁が再び話出した

「アイツらのせいで琮くんに危害が及ぶかもしれない…」


蔡氏は櫛を下ろし、指先に少し水を着けて銅鏡に弾いた

「子は母によって将来が変わる、琮くんは大丈夫よ」


蔡氏は自分の美貌に自信があった、自分なら曹操を劉表のように操れると、彼女は確信していた。


「それより、蒯家と龐家は?」


「丞相の手紙を彼らに見せた。劉琦が劉備の扇動で朝廷に仇なしてると聞いたせいで、老いぼれも昏睡したと伝えたぜ。彼らももう劉琦を支持しないとハッキリ言った」


ここまで聞いて、蔡氏はやっと満足そうに頷いた

「龐家は心配してない、彼等は自分たちが置かれてる状況が分かる。心配なのは蒯家、劉備が襄陽に居た頃彼らと親しくしていたと聞いた」


「姉さん、それも心配無い!蒯越は何も考えて無いようだが兄の蒯良はよくわかってる、蒯良が当主なら邪魔しないはずだ」


蔡氏が手を止めて、息を軽く吐き出し

「なら、時が来たという事ね」


「そうだな!老いぼれが死ねば琮くんを継承者に仕立て上げる。荊州を俺らの色に染め上げて南陽への補給を断つ!劉琦も劉備もお終いだ!」


蔡氏は瞬きして、待つ必要も無くなったと思って、蔡瑁に薬を持ってくるよう指示した。


使用人が出て行ったあと、蔡氏は袖から一包みの粉末を薬に入れた

「旦那様、お薬の時間です」


何回か呼びかけると劉表が目を覚ました

「この薬…おかしい…飲まない…」


「それはダメです、薬を飲まなくては治りませんよ、さぁ温かいうちにお飲み」


「そうですよ、主公、姉さんは主公のお身体を心配してるんですよ」

しかしいくら蔡瑁たちが話しても劉表は口を固く閉ざして、薬が彼の口角を流れ落ちた。


劉表も間抜けではない、以前は病に伏していても薬を飲めば良くなっていた。

しかし今回の薬は飲めば飲むほど体が衰弱していくのが分かる、それに劉琦の姿が見えない。


これらの出来事を参考に、自分の身に何が起きたのか、彼自身も薄々気づき始めた


「旦那様に飲ませなさい」

言う事を聞かないと見て、蔡氏はお椀を蔡瑁に渡した


蔡瑁はニヤリと笑って頷いて、劉表を起こした

「主公、無理やり飲まされるのは嫌だろう?」


「賊め!」


「そうだ、口を開け!」


劉表が再び口を閉じたのを見ると蔡瑁は親指と人差し指で劉表の頬を握り、口をこじ開けた。


「ゴボッゴボッゴボッ……」


薬を流し込んでからも二人は劉表を見張っていた。

そして一時間後劉表は首がガクッと倒れ、息をしなくなった。


蔡氏はそのまま劉表に抱き着いて泣き始め、蔡瑁は外へ走りながら

「主公が他界した!早く蒯良兄弟と龐季、劉磐を呼べ!あっ、あと公子もだ!」


刺史府は慌ただしくなった、あっという間に文官武将と各士族の代表が集まり、劉表の遺体を前に跪いた。


「奥様、主公が他界する前に何か遺言を残したでしょうか?」

蒯越が聞くと、蔡氏は依然と泣いてて何も言わなかった


「遺言ならあります」

蔡瑁が悲しそうな顔で代わりに応えた


「聞かせてください、徳珪兄」


「長男の劉琦は人望厚く、礼儀正しいが優柔不断のため重役に適さない、次男の劉琮は頭脳明晰で後継者として相応しい。よって今後は荊襄の文武士族にはそれの補佐を任せる、と」

言い終わると蔡瑁は流れてもない涙を拭き始めた


どうせその遺言も蔡瑁が適当に作った物だろうと、龐季も蒯良も気づいた。


蔡氏が劉表の正妻になり、劉琮を産み落とした時から荊州が蔡家の支配下になる日はいつか来ると皆予想していた。

しかし、このような事は予想出来ても口に出してはいけない物だった。


士族たちはお互いの利益を干渉され無ければ誰も口出しをしないのが暗黙の了解、荊州の主が誰になろうとも自分たちには関係の無い事だった。


「主公」

蒯良、蒯越、龐季と劉磐等は起き上がって劉琮に一礼した


軟弱な劉琮は泣いてる蔡氏を一目見てから蔡瑁を見た、蔡瑁から目の合図を受け取り、手をかざして

「今後とも御協力お願いします」


「はい、先代の遺言を肝に銘じます!」


この場で喜んでいるのは蔡瑁姉弟だけだった、劉琮はまだ十六歳、権力を手に入れた喜びよりも父を亡くした悲しみの方が大きかった


その後の数日は劉表の葬式で城中が慌ただしくなった。


荊州九つの郡に劉表他界の報せと共に劉琮が次期当主である遺言も伝わった。


もちろん刺史の職は世襲では無いため、蔡瑁は大量の贈り物と共に許昌へ遣いの者を出した。


いくらお飾りでも劉琮が正真正銘の刺史になるには天子の勅令が必要だった。


それに対しても蔡瑁はあまり心配しなかった、いつも朝廷に盾突く劉琦が刺史になれる訳が無いと思ったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る