百八十一話 二桃三士

袁紹軍の命懸けの抵抗が功を奏したのか、典韋や許褚、趙雲のような一流の武将が血煙を上げながら奮戦しようとも士気は動じなかった。


金色の鎧に身を包まれた袁紹も剣を振り回し、乱戦の中で数多くの曹操軍騎兵を切り伏せた


この時の彼は心地良かった、かつて呂布を目の前にしても董卓に向かって"我の剣も鋭いぞ"と言い放っていた志が戻った様だった


「朱袍を着ているのが袁紹だ!討ち取れ!」

曹操軍が闘志を燃やしていた


しかし八万人の戦いでは袁紹をすぐ討ち取る事もできず、曹操軍は兵力の優勢に任せて、袁紹軍を少しずつ蝕む他なかった。


やがて四方八方から襲いかかって来る曹操軍を前に、袁紹は槍傷を負いながらも剣を振る手を止めなかった。

袁紹は最終的に力の限り戦い、胸元を槍で穿かれて馬から落ちた。


四世三公で一大梟雄の袁紹は名も知らない百夫長に討ち取られた。


戦闘は袁紹の死をもっても終わらなかった


「袁紹は死んだ!投降しろ!」

曹操軍の叫びも虚しく、袁紹軍は抵抗を止めなかった


「コイツらの覚悟を汚すな、殺せ!」

目の前の袁紹軍は投降するはずが無いと、典韋は知っていた


典韋は敬意を持って双戟を振り回し次々と袁紹軍の残兵をなぎ倒す


その間に高順も陥陣営を連れて袁紹軍の後方に回り込み、包囲網を徐々に狭めた。


約四時間が経ち、最後の残兵を倒した後、袁紹軍本陣はもぬけの殻になっていた。


「未だ終わってない!追え!」

典韋の号令で返り血に染った軍勢がそのまま白馬の渡口へ向かった。


道中袁紹軍の敗残兵は一人もいなかった。

四時間の猶予もあったので、全員が渡口に着いてもおかしくはなかった。


渡口に来てみれば、目の前の光景は曹操軍を驚かせた


港に止まっている船に袁紹軍が群がり、それに乗ろうと混雑していた

混乱の中で数多くの兵士が押されて船から転落して濁流に呑み込まれた


袁紹軍の本陣からここまでは全力で駆け抜けられても、港に着けば船を待たなくては河を渡れない


一隻ずつでは二十万の人が四時間以内に渡れる訳もなかった。


「陳留の典韋だ!大人しく降伏しろ!抵抗すれば死あるのみ!」

典韋の怒号が混雑する声をもかき消した。


そのあと曹操軍の兵士たちも同じように雄叫びをあげた


最初は外側に居た袁紹軍だけが大人しく投降したが、そのあと許褚が矢を放つ命令を出し、船に乗れないとわかった内側の兵士も皆武器を下ろして投降した。


袁紹が討死、袁譚三兄弟も居ない、兵糧も無く、この大軍には魂が既に無くなっていた。


投降する兵以外にも周辺の林に逃げ込んだ兵も居たが曹操軍はそれらを見逃した。


先の戦いで曹操軍も五万あった兵が半数失い、逃げた兵を追う余力も無かった。


明るくなり、典韋たちが十里にも及ぶ捕虜の列を本陣へ送り届けた。


「百足蜈蚣、死しても倒れず……か」

本陣に居た曹操も前線の戦果を知り、少し残念そうにしていた。


自分の兵力では袁紹軍を全滅させる事が出来ないと自覚していた曹操は、せめて袁譚三兄弟を捕らえたかったらしい。

そうすれば北国の四州はまとまりが無くなって、自分の統治もし易いと考えた


しかし袁譚三兄弟が冀州へ戻り、自分も兵力の損耗が激しい今では攻城戦もできないので、状況が逆に厄介になった


「一体いつになったら北国の四州を物にできるのか…」

曹操は感慨深く呟いた


「丞相、袁紹が亡くなり、我々も一州一郡ずつ占領する必要がありません」


「公達の意は?」


「二桃殺三士」

荀攸は無表情で拱手して答えた


曹操は目をクルッと回して、笑って頷いた。


官渡の戦いはこれで完全に終わったが、曹操軍はすぐには許昌に戻らなかった。


曹操は両軍の戦死者と袁紹の遺体を埋葬して弔うつもりで居た。


「子寂、本当に袁譚が北国四州を手にするのを黙って見る他ないか?ここで多くの将兵が犠牲になった、少し悔しいぞ」


曹操は典黙たちを連れて袁紹軍本陣の跡地へ向う道中、悔しそうに聞いてみた。


「丞相、今の袁軍は既に驚弓の鳥ですが我々も強弩の末、いくら僕でも他に方法はありませんよ」

典黙も苦笑いで答えた


「正直、公達の方法が一番いいと思います!予言しよう、北国は必ず内乱に陥ります!そのあとに取りに行けば最小の代償で最大の結果をもたらすでしょう!」

少し落胆している曹操を見て、典黙は再び助言した


「子寂の予言か、濮陽以来だな!君がそう言うならもう何も心配無い!」


当然典黙の話は予言ではなくただ歴史をなぞる物だった。

しかしこの時代に生まれた荀攸がここまで読めたのは少し驚くべき事だった、さすが謀主の称号を担ぐ男だ。


跡地に来ると、ここには既に袁紹の墳墓が築かれた。


その他の兵士たちの死体の多くは判別が付かないほど破損していたため、曹操軍だろうと袁紹軍だろうと合わせて埋葬した。


曹操は酒嚢を取り出し、墳墓の前で半分流してからガブっと一口飲んで、遠くを眺めた

「本初兄…昔、洛陽にいた頃は共にくだらない事をしたね…正直に言ってあの頃が一番楽しかったよ!まさかどっちかが死ぬまで戦わねばならないとはな…人は大きくならなければいいのにね……」


曹操が感慨深く話したあと、プッと笑い

「本初兄が我の出身を見下していたのは知っていた、それもそうだ。本初兄たちは四世三公、我は宦官の子。我も最初こそ気にしていたが、いつの間にかバカらしく思った。新しくできた友は平民の出身だ、そして本初兄は我にではなく、その平民に負けたんだ。兄と呼ばせてもらうからにはしっかり弔うよ。そして約束しよう!我が北国四州を手に入れたら必ず百姓たちに良くすると!」


典黙も一歩前へ出て、この会話したこともない諸侯のために酒を流した。


典黙は袁紹最後の壮挙に震撼させられた。

ただの優柔不断な庸主かと思えばこのような悲壮な選択ができたのか…


実際にこの時代に生まれ変わった事によって、典黙が多くの人物に対する印象が変わった。

袁紹もその一人で、弔うのに充分な英雄だった。


二人は一礼してから馬に乗り、振り返らずに歩き出した、多分二度とここへ来ることは無いだろう

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