百七十八話 陰謀と陽謀

「父上の言う通りでしたね!曹操が会談中に不審な動きを見せるかと思って警戒していましたが、何も仕掛けて来ないという事は本当に疲弊しているという事ですね!」

袁尚は嬉しそうに語った


袁尚だけでなく、他の文官武将も皆警戒していた、何故なら曹操軍は狡猾で恐ろしかった。

しかし会談は本当に袁紹の予想通り終わったので、揺らいだ軍心も再び固まった。


皆が嬉しそうに交渉の結果を語り合うのを見た袁紹も浮かれていた

彼は背もたれに深く寄りかかり、先までの曹操のヘコヘコした様子を何度も振り返った。

まるで今まで失った面子が一気に取り戻せたかのように。


「それは要らぬ配慮ですぞ公子!曹操も典黙も普通の人ですから、恐ろしい事はありません!聞けば麒麟と噂される典黙も軍師の職に着く前まではただの炊事係ですよ。兵糧三十万での謝罪も炊事係の考え方らしくて面白いですね!クックックッ……」

いざと言う時は口を開かない郭図はここぞばかりに存在感を強調した


そして皆も頷いて、変な笑い方をする郭図に同調して典黙を軽蔑した


袁紹は片手で首を揉みほぐし、半笑いで話す

「陛下が直々に来た、我は漢臣、朝廷より大将軍に任命された身として陛下の頼みを聞くしかない!不本意だがもう少しだけ曹操を生かそう!」


「そうですね主公!陛下の顔を立てるために仕方ない事ですね!で無ければ兵糧が手に入ったら曹操軍など吹けば飛ぶ存在です!」

郭図はもちろん袁紹の言う事に沿うように媚びる


ここだけを見れば、まるで袁紹軍が圧勝した後曹操軍を見逃したかのようにも見えた


「郭図殿はあまり前向きに捉え過ぎたのでは無いでしょうか?」

唯一の反対意見を述べたのはもちろん沮授

「主公、少しおかしいと思います!」


「何故だ?申せ、公与」


「主公、三万の捕虜を帰す気があるなら今日返してくれたはず。同じように、三十万石の兵糧も今日用意したはず。なのに何故二日後?私が思うに、これは時間稼ぎです!倉庫が焼かれた日から、我が軍の携帯食料は七日分しかありません、会談を待つのに二日かかりました。あと二日経てば、三日分の食料では鄴県まで持ちませんぞ!万が一曹操軍が追撃すれば我が軍は抵抗する力も無く壊滅するでしょう!」


沮授は表面上の事象よりもその奥に隠された陰謀にいち早く気づいた

兵力差が一番激しい時に交渉せずに逆転勝ちした後に交渉したのはどう考えてもおかしいと思ったから


「監督官殿こそ、卑怯者の物差しで聖人君子を測るのをやめた方がいいじゃないか?」

郭図は袖を振り、冷たく話す

「三十万石の兵糧は運送に時間がかかって当然!しかも天子陛下がそれを保証したのだぞ!いくら曹操でも陛下の前で嘘をつけば部下にも示しがつかない!」


この沮公与が卑怯者で曹操が聖人君子?

お前は自分が何を言ってるのかわかってるのか?

沮授は郭図を睨みつけた、長年の同僚で無ければ郭図を内通者だと断言できた


「主公、曹操のような狡猾な輩に陛下を敬う気持ちはありません!そんな嘘つきを信じてはいけません!」


郭図が再び反論しようとしたが、袁紹が手をかざしてそれを止めた

「人は信用が無ければ大業をなし得ない。ここで曹操が嘘をつけば天下の人からも信用を失い、他の諸侯もヤツと交渉をせずに全力戦うだろう!そのような行いは愚かな物で、ヤツも知ってるはず」


「主公!」

沮授は袁紹の知能指数が安定しない事にガッカリした。

「主公、仮に私が卑怯者だとして、私の言う通りに曹操は兵糧を渡さなかったらどう対処します?」


袁紹は少し困った、沮授の話は理にかなわないが有り得ない話ではない


「公与の意見は?」


「五万の精鋭を残し、全軍北へ戻ります!これなら本当に曹操が約束を守っても対応できますもし嘘だとしても我々が絶境に立たされることはありません!」


「ダメだ、ダメダメ!」

反論を出したのはもちろん郭図

「曹操がどうして和平交渉に出た?それは我が軍がヤツの数倍あるからだ!数の暴力が無ければヤツは本当に兵糧を送らないだろう!」


郭図の話は袁紹の心に響いた、今大軍を退けば恐らく兵糧は手に入らない上に自分の負けた事が世間に知れ渡るだろう。

正直三十万石の兵糧は賠償としては足りなくても落とし所としては充分だった。

それを受け取れば一応自分の勝利と言えなくもない。


「公則の言う事が正しい、しかし公与の心配も有り得る…」

少し考えたあと袁紹は結論を出した

「こうしよう!輜重営と雑工が負傷者と共に先に戻れ、我が大軍を率いここに残る!」


この答えは明らか沮授の欲しかった物ではない

彼が再び進言しようとしたら袁紹が手をかざしてそれを止めた

「我が信じているのは曹操ではなく陛下だ!」


ここまで言われたら何も言えない、沮授はため息をつきながら去って行った


「ご英名な判断です!」

郭図はもちろん媚びた言葉を口にした


ここ数日の戦で袁紹軍の負傷兵は三万に達していた、輜重営、雑工など合わせて五万人が続々と北へ向かった。

それらを除いても袁紹軍の本陣には二十二万の軍勢があり、曹操への抑制力としては充分だった。


会談から二日が経ち、三万五千人の捕虜が本当に帰って来た!

袁紹は喜んで皆を連れて迎えに行った


捕虜は鎧を剥がされ丸腰だが、冀州に戻り彼らを武装させれば、またすぐ三万五千の兵力に戻れる。


「ほらな、曹操が主公に嘘つけるはずもないだろう?ヤツにそんな度胸がある訳ない!」

得意気に話す郭図の横にいる沮授は沈黙そのものだった、何故なら捕虜が帰って来たのに兵糧の姿が見えなかったから。


「兵糧は?一緒に運んで来たのではないのか?」

袁紹もやっとそこに気づき、質問をした


「兵糧ですか?何も聞かされませんでした。ただ二度と朝廷に歯向かうなとしか言われてません」

聞かれた兵士が頭を掻きながら答えた


袁紹はドキッとした

まさか本当に約束を蔑ろにしたのか!


「きっと忘れたんじゃないですか?で無ければ捕虜も帰って来なかったでしょう!」


袁尚の楽天的な観測が沮授の口を開かせた

「アイヤー!主公、罠に掛かりました!」


「罠?なんの事だ?」

袁紹はすごく混乱していた


「曹操は兵糧を送らずに捕虜だけを帰した、これは我が軍の兵糧をより速く損耗させるためです!この三万五千の捕虜を受け入れれば我が軍の携帯食料は三日と持ちません!」


場に居た全員が寒気を感じた、このままでは叛乱が起きてしまう!


「これは曹操の陽謀です!この三万五千人の捕虜を受け取れば兵糧がより早く尽きてしまう。受け入れ無ければ噂が広まり、兵士たちが不満を持ちその場で叛乱が起きてしまいます!陽謀とはこのように、罠だと知りながらも究極な選択を迫られる物です!」


先まで得意気だった郭図はスーと存在感を消して隊列に戻った


やっと状況を理解した袁紹は怒りで身を震わせ

「曹賊!お前とは不倶戴天だ!五万の精鋭を数え共に着いて来い!曹操の本陣で話を聞く!」


「はい!」


袁紹は諦めなかった、今残ってる兵糧では冀州へ戻ることはできない。

唯一の希望は"曹操が兵糧を送り忘れたかもしれない"だった


で無ければ二十五万の叛乱は簡単に抑えられるものではない!


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