百六十三話 憧れと標的

「アッハッハッハッハッ!文和は良くぞやってくれた!許昌城の包囲を破っただけでなく荊州軍に追い討ちをかけて敵兵を三千殲滅した!」


中央の軍帳内、曹操が嬉しさの余り片足を机に乗せた。


曹操はここ数日は少し苛立っていた。

高順は既に袁尚へ手紙を出して奇襲を約束させた、典黙も張郃をこの勝敗の鍵だと言った。

つまり官渡方面は全てが典黙の計画範疇、曹操の苛立ちの原因は許昌城方面。


許昌城は基礎であり、失えば官渡での戦いがどれほど上手くいっても形勢逆転になってしまう


劉備が再び失敗し、典黙も蔡瑁へ叱りの手紙を出した。

これで荊州方面への心配も無くなり、官渡の戦いに集中できる


「丞相、文遠たちはいつ帰って来ます?」


「うん、日数からすればもう向かってくる頃だろう…」

曹操は竹簡を机に置き

「文遠たちは五千の騎兵を連れて行ったが明日の夜袁尚が本陣奇襲に来ても大丈夫だろう」


曹操は言い終わると高順を見た

「伯平、子龍から聞いたが大戟士の戦力は並外れだ、張郃を捉えるなら陥陣営でその陣形を崩す必要がある!」


「はい!」

高順が拱手して命令を受けた


準備が整い、曹操が何かを思いついたかのように郭嘉を見た

「そういえば徐庶が許昌城に入っても劉備を助けようとしたらしい、つまり捕らえても降伏はしないだろう。この短時間で劉備を立て直させて止まらない勢いで向かって来た、その才能の裏付けだ。旧友なら我が軍に引き入れることはできないか?」


才能ある者を重宝する事も曹操のいい所である、配下の謀士がどれだけ優秀でも徐庶を逃したくない


典黙も顔を上げた時に丁度曹操と目が合った

「いくら僕でもできない事もありますよ、兄さんに行かせた方がいいかもしれません」


歴史上では徐庶が曹営に入ってから一言も発言しない、そんな厄介事に典黙は首を突っ込みたく無かった。


曹操が典黙を無意識的に見たのは張遼の一件を思い出したからだ。

もちろん典黙の冗談を本気にしなかった、徐庶は高順とは違って頑丈に出来てない。


郭嘉も曹操の目に視線を合わせて

「丞相、僕は彼とは付き合いが浅いです。文和の方が適任かと思います、文和でもダメなら誰もできないでしょう」


「我の為に仕え無いのか…」

曹操は気を取り直して手を叩く

「許昌は安全になった、諸君も各部署を見渡して足りない物を確認してくれ」


「はい!」


一同が去った後見廻りに興味が無い典黙は自分の軍帳に戻って眠ろうとした。


「待って子寂」


「何か心配事ですか?」


「君が居れば不安など無い、ちょっと話に付き合って欲しいだけだ」


「うわっ、丞相はたまに恥ずかしい事をサラッと言いますね」


典黙のからかいを流した曹操は統帥の座に寄り掛かり上を見上げた

「君の言う通りになった、劉備は策士を得た途端我への脅威となった!徐州で息の根を止める事が出来なくて後悔してるよ……まぁ良い、文和が手を出した事によって徐庶も奪い取った。我に仕え無くても脅威にならないだろう」


曹操の話で逆に典黙が何かを考え込んた


「どうした子寂、何を考えてる?」


「あっ、いえ、丞相は荊州方面に諜報員と刺客死士を配置していますか?」


「少しならな、劉表のような庭を守るだけの奴はあまり心配して居ないから……劉備を暗殺するつもりか?それは非現実的だろう」


典黙は首を横に振った

「いいえ、標的は劉備ではありません、他に居ます!」


「誰だ?」

曹操は姿勢を正して聞いた


「標的は南陽隆中の臥龍岡に居ます、名を諸葛亮、歳は僕とそう変わりません!」


「何か恨みでもあるのか?」


「…はい、と言っておきます」


今の今まで典黙はあまり気にも留めなかった、何故なら歴史は既に自分によって滅茶苦茶にされたからだ。


本来なら諸葛亮が山から降りるのは紀元二百七年、しかし徐庶が現れた上、母親のために曹営に来た。

曹営に来る前に諸葛亮を推薦したと考えてもいい。


もし諸葛亮が本当に出てくれば彼との勝敗がどうなるかは知らない。


そして歴史上に置いても、諸葛亮さえ居なければ劉備は荊州を手にする事も無く、西川に入る事も出来なかった


事態が悪い方に発展する前に止める為にも人を一人殺すのも仕方の無い事。

謀士の補佐が無ければ劉備一人を片付けるのも簡単な事


「どんな恨みがあるかはさて置き、君がそう言ったんだ、その人に往生してもらおうか」

典黙が多くを語らないのを見て曹操もこれ以上何も聞かなかった。

この時代では人の命の価値は草木以下だった。


諸葛という姓が氏族だろうと曹操は気にしなかった、死んでもらう理由はただ一つ"子寂が口を開いたから"だ


もしできれば典黙は諸葛亮を殺したくは無かった。


兵法策略だけでなく荀彧のように政治や民政にも通じる諸葛亮は前世の典黙の憧れで

三国時代の映像作品や小説、ゲームに至っても典黙は諸葛亮のファンだった。


一部の陰謀論者の間では諸葛亮を奪権者だと言言うが、歴史は常に勝者が描く物、その真偽も今となっては確かめる事ができない

それでも諸葛亮が大いなる才能を持つ事は間違いない。


元々典黙は荊州を占領してから諸葛亮に会ってみようと思っていた、もし可能であれば引き入れる事も考えた


残念な事に徐庶の出現は間が悪かった、大業のために暗殺が一番良い手段


荊州で才能を持つ者と言えばもう一人は龐統、でも龐統は居場所を転々とするため引き入れる事難しい。


それに司馬徽が彼を諸葛亮と同列にしたがその活躍はあまり目立たなかった。

赤壁での鉄鎖連環の計も徐庶には見破られた。


いくら前世で憧れたとしても今の僕にはやるべき事がある、悪く思うなよ孔明……

憧れの人に手を掛けようとする典黙の気持ちは複雑になっていた

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