百六十話 毒士たる所以

官渡の戦場では曹操軍の本陣には要塞が二つ建っており、互いに三里程離れていた

曹操が居る要塞は西側にあり、兵士七八万の収容を可能とする。

その要塞では至る所に兵士たちが落とし穴などの罠を造っている


落とし穴もただの穴ではなく、中には尖らせた竹が林立していて、穴の上に薄い木の板を敷き周りの土を塗した


要塞の壁や櫓には矢壺を並べ、最低でも各弓弩手に三十本が行き渡るように準備を整っていた


これらの準備は全て袁尚のためである。

高順は既に数ヶ月前に袁尚と連絡を取ったため、降伏の手紙も省けた


これで全ての手筈が整い次第、一通の手紙で袁尚を呼び出せば計画が完成する


典韋たちも遊んでいた訳では無い、高順許褚らと共に中央軍帳から入口までの距離を測っていた。

仮に袁尚が八万大軍を連れて来た場合、要塞の中まで何人が入り込めるか、その予想を立てていた。


他の将兵たちもこの計画で武勲を建て笮融のように出世できるよう期待していた。

そしてその期待もやる気に繋がり、退屈な罠の制作もまるで文化祭準備のように楽しいものへ変わっていた


「子寂、三つ目の贈り物はいつ効果を発揮する?」

曹操がこれらの建造を見ながら典黙に聞いた


「出征する前に麋家の者からこの事に着いての報告を受けました、糜竺の能力も疑いません。恐らく既に効果を発揮しています、未だ目に見えませんけどね」


「それはそうと、君が麋貞と会ってから歩くのにも壁伝えになったと聞いたぞ、本当か?」


「丞相……!」


ニヤリと笑う典黙を見れば曹操はすごく安心したのか下卑た笑顔を浮かべて典黙を揶揄った


話を聞いた荀攸も賈詡も笑うのを必死に堪えた


皆が楽しげに話していると一匹の速馬が本陣へ向かって来た、その背中に"急"と書いた令旗が掲げられていた。


八百里急報!

慌ただしくしていた皆も途中で手を止めてそれに注目した。


その斥候は疲弊したのか曹操の元に辿り着く前に馬から転げ落ちた

「丞相、魯陽城が荊州軍の奇襲を受け、曹仁将軍と夏侯淵将軍が三渓関門まで退きました。今も戦いながら援軍を待っています」


また荊州軍!この大事な時にこれは命取りになるぞ!


皆が驚く中で曹操が軍報を手に取り自ら目を通した

そして荊州軍の兵力が僅か一万程度だと知った曹操は少しホッとしたが、とある名前を見て怒りを顕にした。


「また劉備か!」


「俺が徐州でアイツを殺していたらこんな事になってなかった!」

激怒する曹操が竹簡を地面に叩きつけるのを見て典韋もまた怒り出した


「丞相!三千の騎兵を俺に下さい!一日半で駆けつけて頭を割ってやる!」

許褚も名乗り出た


典黙はため息をついて首を横に振った。

兄さんの言う通り、徐州で息の根を止めるべきだった。

劉備は大器晩成で歴史上でも最終的に曹魏と敵対し続けた。

しかし自分が歴史をこれ程変えても二人の敵対する運命は変わらないのか……


「丞相、魯陽には曹仁と夏侯淵と八千の守備軍が居たはず。劉備たちはどうやってこれを落としたのですか?」

荀攸が皆の疑問に思った事を代弁した


「曹仁の手紙によれば劉備が新しく徐庶と言う軍師を手にした。彼に何か関係があるかも知れん」


「徐庶!」


「知ってるのか?奉孝!」


「はい!徐庶、徐元直。元は穎川出身、友達のために人を殺め、母親を巻き込まないように名前を単福に変え侠客となって色んな所を転々とした。まさか彼が劉備の軍師になるとは…」


俊傑を輩出する地、穎川か…

「奉孝、彼の才能は君と比べたらどうだ?」


「僕は負けることは無いと自負しますが、彼の補佐があれば曹仁と夏侯淵が魯陽を失うのも仕方の無い事です」


郭嘉は控えめに言ったがそれでも曹操は徐庶がただ者では無いと理解した

「兵士だけを送る訳にも行かないようだ、お主ら誰が行く?」

曹操は荀攸、郭嘉、賈詡を見渡したが典黙を行かせるつもりはなかった。

曹操から見れば主戦場はあくまで官渡、ここから誰が離れてもいいが典黙はダメだ


誰も名乗り出ないと見て、典黙は歴史通り徐庶の母親を人質に取るべきかと提案しようとした


この方法は確かに倫理的に問題がある、しかしこうでもしなければ余計な血は流れる。

徐庶の母親も鎧を着た兵士たちも等しく人間だ


典黙が口を開くよりも前に曹操が口を開いた

「文和、任せていいか?」


「ご命令とあらば!しかし丞相、少し姑息な手を使ってもよろしいですか?」


「申してみろ」


「先程奉孝の話を聞けば徐庶は母親を守ろうと偽名を使った、ならばこの徐庶は親孝行を第一にしているかと思います。その母親を出汁に徐庶を誘い出せば劉備を蹴散らすのは容易い事です」


このような手段は三国演義を読まなければ自分でも到底思いつかない。さすが毒士!郭嘉の話で咄嗟に思い付くのか!

恐らく名指しで呼ばれなければ賈詡はこの策を話すことも無かった。


「良いだろ!劉備の兵は多くないが配下の関羽と張飛はかなりの使い手だ。公明と文遠も連れていくといい。必ず許昌を守れ!」


典黙同様典韋と許褚も官渡から離れる事も出来ない、彼らの存在自体が戦鼓のように兵士たちの士気を上げているからだ


「お任せ下さい!」


「それと……」

曹操は無意識的に典黙を見て何か補足が無いか確認した


典黙も咳払いをして

「それと叱りの手紙を一通荊州の蔡瑁へ渡して。この件は劉備と劉琦が勝手にやった事に違いない、で無ければ兵の数は一万では済まなかったでしょう」


蔡瑁は劉琮の指示者、劉琦を責める理由は見逃すはずが無い。


「そうだ、荊州の方にも圧力を掛けろ。劉備の跳梁跋扈を止めさせろ」

曹操も典黙の提案に賛同した


賈詡は拱手してから虎符を受け取り兵を率いて許昌へ向かった


皆が去った後曹操は眉間に皺を寄せ

「子寂、まずいことになったぞ。劉備が動けば江東の呂布と孫策も鼓舞されて我の領地に目を付けるかもしれんぞ」


出征前に貰った知らせによれば孫策は呂布と三回戦って二勝一敗、理論上二人は相容れない存在。

しかし、二人が戦わずに手を組んで曹操の領地に手を伸ばす事も考えられる


「大丈夫ですよ丞相、そうなる前にこの官渡の戦いを終わらせます」

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