百五十七話 勝利の要

大戦が過ぎた後曹操本陣の前には死体の山が残っていた、このまま放置していれば疫病の発生元となり伝染すれば壊滅的な打撃になってしまう


死体を処理する方法はいくつかある、この時代なら大体燃やすか埋める、人里離れていればそのまま放置する事もあった。


もし賈詡に死体の処理をさせるなら恐らく彼は毒士の二つ名に相応しく、わざと死体を腐敗させて投石器で袁紹軍に投付けただろう


曹操はそれらと別の方法を取った、それは袁紹軍の死体を馬車で袁紹軍の本陣へ送り返した


こうすれば朝廷官軍としての礼儀正しさを見せつけると同時に袁紹軍の士気を下げる事も出来る

かつての同僚が見るも無惨な状態で帰って来るのを見れば心を平常に保つことはできない


旗色が悪ければ如何なる繊細なところでも敵の士気を削ろうとするのは曹操のいつものやり方


そして、袁尚が三万の兵と共に延津へ向かったとの報せを受けた曹操は高らかに笑った

「やはりな!子寂の言う通りだ!これで延津の本陣には八万の大軍が居る、この八万を一網打尽にすれば袁紹軍の士気は壊滅するだろう!」


曹操が得意げに髭を弄ってるのを見れば、そろそろ偽装降伏をする高順の出番が来ると郭嘉、荀攸、賈詡も理解していた。


しかし典黙が珍しく何も言わずにボーとしていた、彼は少し不安を抱いていた。

仮に八万の大軍を殲滅したとしても袁紹軍の総力は依然と自軍の三倍以上ある


士気の崩壊が起きる確率はそんなに高くない、それよりも袁紹が怒りに任せて総攻撃をする可能性の方が遥かに高い。

もしそうなれば勝敗の行方は分からなくなる。


この時まで典黙は未だ一撃で袁紹軍を死地に追いやる策を思い付かない、しかも二日前に目撃した攻城戦が未だに脳裏に焼き付く。

この数十万の大軍が殺し合えばあれ以上の惨劇になるのは確実。


「どうかしたのか子寂?苦肉の策を実行するのを待ってたんだろう?」


曹操の問に典黙はただ首を横に振った

「丞相、報せの中に同行する文官武将の名簿はありましたか?」


曹操は再び報せに目を通し

「文官は知らないが、斥候によれば張の大旗を見たと報告した。恐らく袁紹の上将張郃だろ」


「張郃……」

典黙は眉間に皺を寄せ、顎にてを付けて何かを考え込んだ


この挙動は曹操らが理解できないものだった


袁尚を聞いても無反応の子寂がどうして張郃の名を聞けば反応した?


一同が戸惑う中で典黙は右拳を左掌に重くぶつけた

「丞相!勝ったな!」


皆互いに顔を見合わせた、今まで典黙への印象は常に冷静沈着だった。

濮陽でも彭城でも淮南で袁術を心攻めした時もこれ程興奮する典黙を見た事がなかった。

張郃の名前を聞いて今までと人が違った様子は人々を驚かせた中、曹操は内心喜んでいた


麒麟才子がこれ程興奮するならきっと八万の敵兵を殲滅するよりも価値のある事だ!

「子寂、何か策があるのか!」


「丞相、張郃を巻き込めば次の贈り物で袁紹を確実に死地に追いやるでしょう!」


数十万の大軍をたった張郃一人で?


目を見開く曹操の横で賈詡、郭嘉も頭を搔いた

二人とも今まで典黙の策を完全に見破れなくてもある程度の予想はできたが今回ばかりは訳が分からない。


しばらくすると曹操が高らかに笑い出した


郭嘉「丞相、子寂の策に心当たりが?」


「無い!しかし子寂がこれ程興奮したんだ、袁紹は恐らく官渡で骨を埋めるだろう!」


郭嘉はすごくモヤモヤしていた、彼も袁紹の陣営から曹操の配下に加わった身として韓馥から袁紹の元へ加わった張郃の事を知っていた。


そんな郭嘉でもどうして張郃が袁紹軍を負かす鍵になるのか予想できない


「奉孝、どうした?」


「いいえ、僕は張郃とは面識がありました。公孫瓚の白馬義従に対抗するために大戟士と言う部隊を配下に置く猛将とまでは知っています。でも、それのどこが子寂の興味を引いたのか分かりません」


郭嘉は首を横に振り、瓢箪を持ち上げてゴクゴクと酒を飲んだ


曹操「大戟士?」


「大戟士は七百人、全員が重鎧を身に付け、六十斤の大戟を持ち、袁紹軍の最精鋭部隊です。界橋の一戦で先登営と共に白馬義従を殲滅しました。そこから公孫瓚が立ち直ることがありませんでした」

趙雲が曹操に大戟士と先登営を紹介した。

ここで言う先登営は攻城する時の先登死士とは違って、手に強弩を持ち、待ち伏せ戦を得意とする集団


「先登営は誰の部隊だ?」


「麹義です!」


曹操は急いで再び報告に目を通して、その名前が無いことを確認した

「この大戟士は我が軍に対する脅威だ」


「はい、騎兵に対する破壊力は絶大です!伯平の陥陣営でも危ういかと思います」


「子寂、そこも気を付けて」


趙雲の評価を聞いた曹操も典黙へ注意を促す


「丞相、僕に必要なのは張郃です、大戟士は関係ありません。あっ、でも張郃を生け捕りにできればもしかしたら大戟士も仕えるかもしれませんね」


「なら良し!」

典黙が淡々と話した事が曹操をホッとさせた

「伯平の方は?計画を変更させる必要は?」


「ありません、予定通り袁尚に手紙を出してもらいましょう!しかし作戦の目的を袁紹軍の殲滅から張郃の捕縛へ移行しましょう!」


典黙の話で郭嘉たちもある程度予想できるようになった。

恐らく張郃の出現が苦肉の策を連環の計へ変えるだろう。


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