百五十六話 新統帥、袁尚

許攸たちが必死に止めに入るが怒り狂った袁紹は攻城戦を強行した。


袁煕は仕方なく立ち上がって袁紹の代わりに命令を下した


この動きは曹操軍の予想を遥かに超えた。

相手の兵種、装備から見れば目的はあくまで自軍を要塞から誘い出し、野戦する事。


要塞に攻城戦を仕掛けるのに最低でも投石器を持ってくるのが当たり前な事、しかしそれらしき物も見当たらない。


まさか笮融の言う二三言で本当に怒りに任せて攻城するとはな……河口関門に続けてここでも手柄を挙げた、帰ったら侯爵でも与えるか!


曹操は悠然と袁紹軍の攻城戦を眺めた


袁紹軍は洪水のように要塞へ流れて来た、盾兵が先頭を走り、その後に続くのは雲梯を担いだ先登団、そしてその後には援護する弓弩手。


軍団の真ん中には一両の衝車がゆっくりと向かって来る


「開戦だ!」

曹操の号令で要塞から無数の矢が暴風雨のように降り注いだ。

袁紹軍の弓弩手も空かさず撃ち返すが高低差と防衛施設の差で十中八九的を外した


やっとの思いで要塞の壁まで辿り着いた先登団を待ち受けるのは巨大な岩や巨木

曹操軍は三人一組で重量物を運び、狙いを定め無くとも適当に落とせば数人の袁紹軍を確実に潰せた


要塞の壁際に鮮血、肉塊、内臓が辺り一面を埋めつくした


「雲梯を立てろ!」

長さ五丈程の雲梯には金属製の鉤爪が付いてあり、壁に引っ掛ければ人の力では外す事は出来ない


「先登!先登!先登!」

数本の雲梯が立てられてから袁紹軍の先登死士が蟻の行列のように雲梯を攀じ登った。


「金汁と火油で対応しろ!」


趙雲の指揮で曹操軍も金汁と火油をそれぞれ流した


金汁とは家畜や人の糞便を水に溶かして沸騰させた物

この時代ではこのような汚物による火傷を助ける術は一切無い。


火油を雲梯目掛けて流してその後火をつければ先登死士が火だるまになって落ちていくだけでなく雲梯も焼き壊される


攻城戦の強攻はとても悲惨なもの、転生してから数回修羅場を目の当たりにした典黙も目の前の光景で我慢できずに嘔吐した


「主公!このままではダメです!我が軍は攻城機材を用意してません!この強攻は兵を無駄死にさせるだけです!」

許攸は焦って飛び跳ね回った


隣の袁譚、袁煕も戦場を全く知らない袁尚までも同じ意見を持った

「父上、撤退しましょう!」


怒りで拳を固く握り締めた袁紹は奥歯が砕けるくらい噛み締めていた。

「笮融、覚えてろ!曹賊を撃ち破る時お前の生皮を剥いでやる!引け!」


大軍が撤退するのを見た曹操は優柔不断とは無縁な男、直ちに典韋と許褚らに騎兵での追撃をさせた。


十数万の大軍だろうと撤退すれば陣形は乱れ、混乱すれば負けは確実。

典韋たちが僅か一万の騎兵でも鋼の刃のように袁紹軍に突き刺さり、手当たり次第敵軍を屠っていた。


袁紹が本陣に戻り、統計をした時に二万人の損失を出したと知って激怒した

「曹賊、奸賊、悪賊、逆賊!必ずお前を…いや!あと笮融もだ!この二人は必ず殺す!」


怒りの籠った咆哮を上げて、イラつきを発散できたのか、袁紹は少し冷静を取り戻した


「諸君、敵を撃ち破る策はあるか?」


誰も口を開かないのを見た許攸が一歩前へ出て

「主公、曹操軍はずっと籠城しているという事はこのまま我が軍の隙を伺っているという事です。私の提案は延津渡口の兵を集め、十万の精鋭を別働隊として官渡を回り込み許昌を叩く、もし曹操軍が要塞から離れ許昌の救援に向かえば我が軍は総出でこれを潰す事もできます」


この策は実用性が高く、袁紹軍の状況にとって最良の手段だった


辛評、逢紀、郭図に至っても頷いていた


しかし袁紹はしばらく間を空けてから手を振り

「ダメだ!我が軍は曹操軍数倍だ、正面から撃ち破る策を出せ!」


意地を張ってどうする……

許攸は自分の耳を疑った


「主公…」


「もういい!少し休んでから我が直々に策を考えよう」


袁紹の気持ちが揺るがないと知った許攸はそれ以上何も言わなかった。


袁尚は当然この機会を逃す筈もない

「父上!僕に延津統帥の役目をお任せ下さい!天の恩に報いて、父上の悩みも分担できます」


「父上!延津渡口の地形が複雑で我が軍の後方支援の命脈を握っています。三弟は戦の経験が無くここは僕に行かせてください!」

袁煕も急いで名乗り出た


誰が見ても跡目争いなのに袁紹から見れば息子たちは自分の悩みを分担しようとしている

「うん、良い子たちだ!」


「主公、三公子は経験こそ少ないが頭脳明晰、延津の統帥に適しているかと思います」

ここで逢紀が袁尚を推薦した


この水面下の跡目争いでは袁譚の支持者は郭図と辛評等、袁尚の支持者は審配と逢紀等が居る


しかし袁煕だけ、次男という微妙な立ち位置で支持する氏族が全く居なかった


つまりこのような場面では推薦してくれる人が居ない


袁紹は元より袁尚を溺愛している、逢紀の推薦を受けてしばらく考えてから

「うん、尚もいずれ我の悩みを分担する必要があるだろう、ここは尚に行ってもらう!しかし現地ではくれぐれも公与と話し合いなさい、行動する前に速馬で我に一報を出せ」


「わかりました!」


「あと、もう三万兵を連れて行け。そうすれば延津の本陣には八万の兵力になる!あと儁義も連れて行け!」


「ありがとうございます!」

張郃も付けてくれたと聞いた袁尚は拱手して礼を言った


河北四支柱三番目の張郃は武力で顔良文醜に及ばなくてもその配下の大戟士は騎兵への脅威で袁紹軍では最も精鋭な部隊。


曹操軍の精鋭は二万の騎兵、大戟士でそれらを完封できれば曹操軍は牙を失ったも同然。


袁煕は落胆して袁紹を一目見た、彼は自分が跡目争いに敗れたと自覚した

袁譚も同様に心苦しくなった


飛ぶ鳥はより良い止まり木を選ぶ、ここで郭図は陣営の鞍替えを考えた

「主公、私も共に参りましょう!」


「先生さえ良ければ望むところです!」

袁尚はもちろん郭図の提案を喜んで受け入れた。

ここで郭図を傘下に引き入れれば袁譚の片腕を外したのも同然、この後の跡目争いで支持者が増えればより簡単に勝てる。


少し間を空けて袁紹は大きく頷いて

「よかろう!頼んだぞ、公則!」


「はい!お任せ下さい!」

郭図はニコッと笑って

「必ず尽力します!」

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