百五十四話 袁紹の手段

「良くやった!これで袁紹軍は少なくとも三四万の損失を出した!本当の意味での緒戦、士気の差も増す増す広がるだろう!」

明け方、曹操は厩舎で典韋たちが連れ帰った戦馬を見て喜んでいた


「少し前まで、我は官渡に居ながら千里外の脅威を確かに感じ取っていた。劉表、孫策、呂布!奴らはきっと我の負けを待ち、我の領地を虎視眈々に狙っていただろう!しかし白馬の勝利も入れれば既に二勝、もう一勝すれば他の諸侯も大人しくするだろう!」


典黙が馬への餌やりを楽しんでいた

「もうすぐですね、この一敗で延津方面の統帥は必ず入れ替わる。誰になるでしょうね」


曹操は餌を持った手を上げたまま止めて、数ヶ月前に典黙の言った言葉を思い出した。


"それにこの芝居は袁紹に見せるものでもありません"


苦肉の策は袁紹のためにやった訳では無い……


曹操は餌を投げ出して典黙を見た

「子寂、ひょっとして既に伯平に誰かと連絡を取らせたか?」


典黙は頷いた

「ええ、手紙を二通出してもらいました。袁煕と袁尚にね」


曹操はしばらく固まった

「袁譚の敗北を予め予想したのか……?」


「丞相、本当に僕を仙人か何かと勘違いしました?袁紹軍が二手に分かれる事は予想出来ました、その分隊の統帥が息子の一人である事も予想できました、誰なのかはわからなかったけどね。しかし袁紹の息子たちが跡目争いは有名な話です。長男の袁譚は既に武勲をたくさん挙げている、なので武勲への執着は次男と三男の方が強い。まぁ消去法でこの二人を狙った方が確実だと思ったまでですよ」


しばらく恍惚してから曹操は我に返った、典黙の苦肉の策は跡目争いまでも計算に入れていた


確かに、袁煕と袁尚のどっちかが統帥なら二人は戦の経験が少ない上に武勲への欲が袁譚より強い、勝機と見れば必ず総力を上げての出動をするだろう。


これなら偽装降伏を袁紹にするよりも袁煕、袁尚にした方が確実で最も大きい収益が得られる


「やはりこの対局、最初から今まで全てが子寂の支配下にあるのか!人の心理を読む事に関しては君の右に出る者は居ないだろうな!」


「全く、丞相またそんな誇張して…未だ次期の統帥が誰になるのか分かりませんよ。褒めるのは後にしてください」


「うん、そうだな!それでも袁本初が我を失望させるとは思えんがな!アッハッハッハ…」


一方、延津本陣にて先に郭図の勝ち報せを受けた袁紹が一時の喜びに浸かる間も無く、屯所が奇襲された情報も耳に入る。


「どうなってる!奇襲を誘い出して待ち伏せしたのでは無いのか?三万八千の損失とはどういう事だ!その中に一万四千の騎兵も含まれているぞ!」

一万四千の騎兵は袁紹軍の精鋭、決戦になればその突破力は無くてはならない存在


「兄さんは軽率だった、父上の言い伝えを忘れたのか…」

袁尚がその言葉を口にした事で袁紹の怒りは増す増す強くなった、火に油とはまさにこの事


「譚を呼べ!」


しばらくして袁譚は郭図の支えで不自由な足を引き攣って入って来た。

その顔中至る所に乾いた血痕が残り、右腕に包帯を巻き、包帯から血が滲み出ていた。

身に付けた鎧もボロボロになっていた。


「譚!その怪我は?!」

いくら怒りを覚えても自分の子が怪我をしているのを見て心配しない親は居ない


「父上、僕は大丈夫です……しかし将兵たちを……」

袁譚が今にも泣き出しそうな顔で言葉に詰まりながら話した


隣りにいる郭図も涙を堪えて辛そうに首を横に振った


「もういい、座って話せ。誰か!椅子を持って!」

袁紹は袁譚を責め立てる気持ちが全く無くなった。


座った袁譚が昨夜に起きた事を話した後袁紹はため息をついた

「武勲を建てたい気持ちは分かるが、焦り過ぎだ」


袁紹がこれ以上問い詰めることも無いと分かった袁譚は内心ホッとした


一度の戦いでこれだけの犠牲者が出た、誰かを処罰しなければ兵士たちは納得してくれない。

いつの時代も責任を取る者が必要だ


袁紹が目線を郭図に向けた瞬間郭図はすぐさま跪いた

「主公!この非は公子にありません!全ては私の責任です!私もこの作戦を危険と判断しました。しかし公子が曹賊の行いと主公の苦労を話す度に涙を流していました!公子はただ主公のためにできる事をしたいと考えていました。公子の親孝行の心を優先させて計画を阻止できなかった私をどうか斬首してください!それで軍心は再び固められます!しかし一つお願いがあります」


「何だ?」


「曹賊を討ち滅ぼした後、凱旋の日には勝ち報せを私のお墓の前で燃やして頂きたいです、そうすれば黄泉に居る私も主公のために祝えます!」

感動的な発言が袁紹の心を打った。


袁紹は大きく頷いた

「良しっ!」


良し?本当に斬っちゃうの?失策だったか?

郭図は恐る恐る袁紹を見ていた。


袁紹は郭図を起こした

「我が軍の皆が公則のように忠義であれば曹賊を滅ぼすのも容易い事だ!」


何だそっちの"良し"ね、驚かすな庸主…


郭図の緊張の糸が解れても依然と涙を流し

「我が軍は心を一つにした今なら必ず曹賊に打ち勝てます!」


断罪の場だった筈がいつの間にか元凶の二人を褒め称える場に変わっていた。

槍傷を受けた沮授が臨時指揮者として延津に残っていなければこの場を目の当たりしていたら何を思うのでしょうか


重い処罰を受けると覚悟した袁譚も郭図の誘導で親孝行の印象を袁紹に与えた。

本来純粋無垢の袁譚もいつの間にか言い訳の美味しさを噛み締めた。


袁紹が再び主帥の座に戻り

「曹操め、一回くらい運良く勝ったところで状況を覆す事はできない事を教えてやろう!」


その後、袁紹軍は数日に渡り曹操軍の本陣前で挑発をして、誘い出す事を目論んだ。

しかし曹操軍は特に反応を見せない、たまに大鴻臚の笮融が数名の兵士を連れて罵り返した。


効果が無いと見た袁紹は公孫瓚に使った手段を使おうと地下道を掘らせた

曹操も予め要塞内側に堀を掘らせた、地下道から出てきた袁紹軍はそのまま無駄死にした。


その後袁紹は曹操軍の要塞前に山を造らせ、その上から矢を放つ作戦に出た。


ちなみにこの山は官渡の戦いのあと後世に残り、官渡牟山と名付けられた。


櫓に立っている典黙がその光景を見た時少し感慨深く思っていた。

前世の彼は一度出張で鄭州へ行きついでにこの山を見に来た事があった。

しかしその時は都市開発で官渡牟山は既に無くなっていた。


「まさかその誕生に立ち会えるとはな……」


「どうした子寂?何か言ったか?」


「いいえ、何でもありません」


「そうか、投石機!潰せ!」

恍惚した典黙の横で曹操が手を振り下ろし、要塞内の投石機が一斉に軋む音を出しながら岩を投げ出した


山を作っている袁紹軍の土工が数多く犠牲を出しながら逃げて行った。


数回の作戦が結果を出せない袁紹は酷く苛立っていた

自ら直接手を出したのにこんな結果は受け入れられなかったのか袁紹は遂に十五万の兵を率い曹操軍の本陣へと向かった

全軍の一部だけを連れて来たのに理由は二つあった

一つはその必要が無いと判断の結果

そしてもう一つの理由は、もし全軍を連れて来ら曹操軍がきっと要塞に籠城して、誘いに乗らないだろう


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