百五十二話 焦る沮授

「公子、主公の命令は本陣の設置だけのはずです!今は屯所を山林に設置しただけでなく、二万の騎兵をここへ連れて来た。もし何か不測の事態が起きたら大変ですぞ!」

雁落山についても沮授はまだ反対意見を申し立て続けていた。


監督官の役職では統帥の袁譚を止めることはできないと自覚している沮授は説得を試みた。


秋に入った官渡は依然と残暑が酷く、山の中の蚊虫も最後の足掻きに人を見れば群がる。


郭図は一晩中ずっと手で蚊虫を追い払っていて既にイラつき度が既に限界に達していた、そんな時に沮授の話を聞けば八つ当たりの相手は自然と決まる。


「監督官殿、主公は隙を伺い動いて良いとも言っていた。つまり公子は状況に応じて兵を動かしてもいいという事です!ここで待ち伏せする事を事前に知ったとしても我々には危険性は一切ない!」

誇らしげにする郭図を見ても沮授は反論ができなかった。

確かに郭図の言うように二万の伏兵が居る雁落山を掻い潜り本陣を奇襲する事は不可能だった


最悪の状況も曹操軍が奇襲をしない、取り越し苦労になっても自軍に実害は無い。

沮授は仕方なく口を閉じた。


「先生の妙策は完璧です、今夜曹操が自ら奇襲に来ればその首を取る事だってできますね!」

自分が曹操の首を取れば跡継ぎになる事が確実になる、袁譚は妄想を膨らませていた


「公子、戦で最も大事な事は平常心、いついかなる時も冷静でなければいけません。本作戦の目的はあくまで曹操軍の戦力を蝕むことです」

先まで怒りを沮授にぶつけていた郭図が急に態度を変えて平常心を袁譚に説いた。


「はい、先生の言う通りです、先生が居れば心強いです!」

袁譚が郭図を見つめて、郭図を信頼し切っていた。


「私も公子を支える事を光栄に思います」


「先生!」


「公子!」


二人がお互い見つめ合っている頃遠くから馬の走る音が聞こえて来た、蹄を布で包んでいても静寂な山林では五千騎兵の足音は遮ることはできなかった。


「来た!」

袁譚は興奮した様子が隠せない


「計画通り」

郭図は挑発的な目で沮授を見た


「孟岱!」

袁譚は振り向いて髭面の大男を呼び出した


「はい!」


「曹操軍の半数が通り過ぎた頃に出撃だ、必ず敵将を討ち取れ!」


「はい!」


雁落山の地形は伏兵に適していた、しかし山の麓は平原になっていて弓弩手はあまり役に立たない、敵の不意をついて騎兵での突撃が最も有効になる。


「殺れ!」

やがて曹操軍の半数が予定地点を通り、孟岱の掛け声とともに二万の騎兵が洪水のように現れた


五千の軽騎兵相手に二万の騎兵は陣形など気にする必要もなく数の暴力で押し寄せた。


「待ち伏せだ!撤退!」

曹洪の一声で五千の軽騎兵が一目散に散らばった。

平原では山間部とは違って逃げる道はいくらでもある、袁譚の追撃から逃れれば本陣に戻ればなんの問題もない。


袁譚軍もそれを予想したか騎兵の多くは弓を装備していて近づく曹操軍を逐一弓で射殺した。


騎兵への賞金は一名につき五十貫(一貫百銭)、軽騎兵は速度で勝っても伏兵から逃げるのに千五百名が犠牲になった。


戦場の統計をした後袁譚たちが満足気に屯所へ戻った。


戦で勝てばもちろん宴会が待っている。

戦果はどうあれ初戦で勝った事に意味がある


「先生!ありがとうございます!」

袁譚が盃を手に郭図の近くへ行った


「公子、そう慌てないでください」

郭図は手を軽く振り伝令兵を呼びつけた

「主公の居る本陣へ報告だ、公子が延津で敵を誘い出し、八千の曹軍騎兵の内三千を殲滅、敵の精鋭部隊に痛手を負わせた」


伝令兵「はい」


話を盛る事も郭図の得意分野、袁譚もそれを喜んで容認した

「先生!今夜は朝まで飲みましょう!」

「公子!朝まで付き合います!」


狂気溢れる宴会場で冷静な沮授は眉間に皺を寄せていた。

沮授は違和感を感じているため袁譚の近くへ行ったが、袁譚は沮授も祝いに来たと勘違い

「監督官殿もご苦労さま!さぁ、飲みましょう!」


沮授は仕方なくため息をついて外へ向かった


「公子、あんな奴相手にしなくてもいいですよ。いつも無愛想な顔して文句ばかり、いざとなったら私たちの足ばかりを引っ張る」


「先生の言う通りです」

袁譚は酔っている郭図の言う事を気にしなかった。今夜の手柄が全て彼によっての物だったから


「エッへへ、公子ご安心を!私の補佐があれば次期の主公は公子がなるもの、天下も公子の物になるでしょう」

酔っ払って気が大きくなった郭図は更にデタラメな事を口にし始めた


「先生、作戦が上手くいったものの曹操軍への壊滅的な一撃にはなってません、また他に策はありますか?」


「そう慌てる必要はありません、鄴県から出発する前に既に策を三つ用意してあります」

郭図が酒壺を抱えてヘラヘラしていた


今までなら郭図の言う事には信憑性が欠けていた、しかし曹操軍の奇襲を返り討ちにした今ならその信憑性も上がった。


「本当ですか!では楽しみにします!」


軍営の外、沮授が両手を後ろに組み夜空を見上げていた

「何だこの違和感は…何処かがおかしい…」


しばらくして孟岱が近くへ来た

「監督官殿、皆が宴会を楽しんでいます、なんでここに居るのですか?」


「孟将軍、あなたこそ酒は良いのですか?」


「はい、全員が酔っては何かが起きた時対処できませんから」


「そうですね、あなたは良い将……」

沮授はフッと何かを思いついたかのように話を途中で止めた

「孟将軍、先程の一戦曹操軍はどんな抵抗をした?」


「いえ、抵抗されませんでした。我々が突撃した途端曹操軍が一目散に散りました。勇猛果敢と聞いたのに少し拍子抜けしました」

孟岱が背後を少し気にしてから再び話し出した

「しかし郭図殿の報告も不誠実でした、我々は敵兵を三千も殲滅していません、せいぜい半数の千五百名程度です」


「アイヤッ!この策を練ったのは一体どんな人だ!」


「どうしました?監督官殿!」


「孟将軍、急いで屯所から五里警戒線を張って、屯所の兵士たちを支度させて対敵の準備をさせて!曹操軍はまた来ます!」


「何!本当ですか?」

孟岱も焦った、今頃屯所に居る五万の兵士が殆ど泥酔している、この状況で奇襲されれば羊の群れに狼を放り込むようなもの


沮授が説明する前に遠くから騎兵の走る音が鳴り響いて来た

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