百四拾九話 投獄された田豊
「袁紹が臣下でありながら宣戦布告も無しに朝廷に戦いを仕掛けて来た、我が軍が仕方なくその先鋒の顔良文醜を討ち取った。文若、天子名義でこの事を天下に報せろ」
「はい」
曹操は再び政治手腕を見せた。
顔良文醜の死と併せた天下への報せは袁紹軍の軍心を揺るがすだけでなく他の諸侯への戒めでもあった。
「子孝、動かせる全軍を許昌へ集め、袁紹軍との決戦に備えろ」
曹仁は拱手して少し考えてから
「……丞相、徐州方面に駐屯している二万の兵も集めますか?」
曹操は少し首を横に振り
「呂布も孫策も江東で暴れ回ってる、青州も確実に安全とは言えない。徐州への圧力はできるだけ減らしたい」
「はい、ではそれ以外の兵を招集します」
徐州や各関門に駐屯する兵を除いて動かせる兵の数は十万前後。
袁紹軍と数では勝負できない事を曹操も内心でわかっていた。
有効活用さえできれば十万で充分!
「もう下がっていいぞ!」
曹操は手を振り全員が外へ向かった
典黙も外へ出ようとした時に向かってくる曹操の視線が目に入り、その場に留まった。
二人っきりになってから曹操は近くの石段に腰掛けて隣の石段に掌で叩いて典黙を座らせた
「子寂、袁紹軍の兵力が四十万と聞いた時に多くの文官武将が戦意喪失していた。あろう事か中には袁紹と内通する者も居た…」
曹操はまるで愚痴を零す友達のようにただ穏やかに語っていた、そしてゆっくりと口角が上がり
「しかしヤツらは知らなかった!典子寂、君が手を出せば、一つの贈り物、二つの首、敵三軍の士気を下げた!ガッハッハッハッ!」
「……丞相、僕がこの戦いに対する素直な見解を知りたいのでしょうか?」
「君には隠し事ができないんだったな…だから君一人に残ってもらった」
典黙は長くため息をついた
「確かにこの一戦は我が軍にしてみれば良い出だしです。しかし兵力の差が未だに埋まりません。我々が相手にするのは四十万の大軍だけではありません、水面下の見えない脅威も警戒しなくてはなりません」
「珍しく真剣だな。ここ数年、君には幾度も窮地から救われた、君の起こした数々の奇跡を目の当たりしたからこそ確信する!今度も大丈夫だろ!」
曹操は典黙の肩をポンと叩いて
「真剣過ぎるのは君らしくない、いつも通りにダルそうにしていろ。麒麟の典子寂は余裕持ってないと格好付かないだろ!」
励まされた典黙は高らかに笑った
「丞相の言う通りですね、袁紹軍がどうあれ我々の前に立ちはだかれば塚の中の枯れ骨と化すでしょう!」
「やっといつも通りに戻ったな!さぁ着いて来い」
「何処へですか?」
「虎鞭を取りに行く」
パン!
怒り心頭の袁紹が机を蹴り倒し、地面には竹簡が散らばった
「のおれ曹操!二月前に典韋、許褚、趙雲を白馬城へ送っていたとは!必ず奴の首で顔良文醜の弔いをしてくれる!」
曹操がどうやって白馬城奇襲の計画を知ったのか、袁紹は気にもとめなかった。
少なくとも内通者の仕業では無い、なにせ相手はふた月前に準備をしていたから
いくら曹操軍に予知できる者が居ようとも絶対的な兵力差の前では意味が無いと、この時点で袁紹は未だ自信に満ち溢れていた。
「父上、顔良文醜は我が軍の上将!彼らの仇は取らなくてはなりません!二万の兵をください、必ず白馬城を落として見せます!出来なければ軍紀に従い処罰を受けます!」
先に名乗り出たのは二公子の袁煕、長男と末子に挟まれた彼はいつも見落とされていた。
名乗り出ることで少なくとも武将たちの中で存在感を出す事が出来る。
「なりません!なりませんぞ!」
田豊が急いで手を振りながら出て来た
「主公!顔良文醜は我が軍の上将、彼らの死は既に我が軍の軍心を揺るがした!もう戦うべきではありません!」
顔を真っ赤にした袁紹は腰の剣を握りながら目を細めた
「じゃどうするべきだと?」
田豊はため息をついてから
「主公、元々私は曹操との決戦を今すぐにすべきでは無いと主張していました。曹操は千載一遇の狡猾な梟雄、それに負け無しの典黙を軍師にしています……」
「つまりはあれか?曹操が千載一遇の梟雄で有能な部下を持つ、対して主公は庸主で配下も皆使い物にならない。そう言いたいのかな?まだ若い公子さえ曹操に立ち向かおうとしてる中、長年兵法を読んだお前は怖気付いたな!」
小太りの郭図が空かさず反論をした、せざるおえなかった。
もし今停戦すれば主戦派の彼が顔良文醜の死に責任を持つことになるからだ。
人の揚げ足取りが得意な郭図は田豊の意を捻じ曲げた上に袁煕をも巻き込んだ
「私は事実を言ったまでだ、曹操軍は既に我々の動きを予想した、顔良文醜の戦死がその証拠だ!策を出したのは典黙かどうかは断言できないけど、誰であれその心術と警戒心は常人では太刀打ちできない!」
「否!」
郭図は胸を張り声を高くした
「顔良文醜の死で我が軍の復讐心に火を付けた、三軍将兵はみな仇を取ろうと南下する日を待っている!今停戦すれば主公がすぐ命令を変える印象を天下に与える、主公の威信が跡形も無く消える!後世に笑われるだけだぞ!」
後世に笑われる、この一言が袁紹の心に響いた。
お高く止まる袁紹は自分の権威を揺るがす事を許せなかった
「下がれ田豊!これ以上その狂言で軍心を乱すことは許さない」
田豊は郭図をひと睨みした
「主公!忠言耳に逆らえども、行いに利があり!忠言で死を選ぼうとも栄華の為に媚びません!曹操は既に天子名義で天下へ報せを出しました、これにより主公を不義に貶めた事で天下諸侯をも牽制しています!」
郭図は首を横に振り
「凡庸な人は簡単に騙される、曹操がそうしたのは主公に手を引かせるため。もし主公が本当に手を引いたのなら自ら不義である事を認めたも同然だ!主公の恩を受けながら曹賊の味方をするのか?」
人の言う事をわざと誤った解釈で袁紹に伝える事、これが郭図の最も恐ろしい能力。
「おのれ田豊!誰か!田豊を牢へ閉じ込め、曹操を捉えたあと共に処罰する!」
沮授が一歩前へ出ようとすると
袁紹「異論がある者は同罪に処す!」
「主公!主公……!」
衛兵に連行された田豊の叫び声が消えた後郭図はホッとした
袁煕が何かを言う前に袁紹が片手でそれを遮り
「たかが白馬城、我の四十万大軍を前にすれば無血開城となるだろう!伝令だ、来月の五日広場で宣誓し三軍南下、総力を上げて白馬城を目指す!」
一同「はい!」
「曹操が檄文を天下に報せるなら我もそうするまでだ!陳琳!」
「はい!」
青い儒学装束が前へ出て拱手した
「賊軍を討伐する檄文を書きあげろ、曹操の不義な行いを追究せよ!」
「はい!」
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