百四十八話 軍報が届く頃

典黙が麋家に手紙を出した数日後に麋貞が帰って来た。

彼女言わく、手紙を受け取った糜竺は自ら冀州へ向かった


帰って来た麋貞は会いたい気持ちを言葉ではなく行動で示した


すべき事をした麋貞が寝床に横たわり左手で頬杖をついて、典黙へ笑いかけた

「如何に麒麟の才でも私には勝てないね」


足腰が立たない典黙は返す言葉も無く、壁伝いに逃げて行った。


その後曹昂が来て、議政庁に集まるように伝言を伝えた。


曹操はしばらく典黙を訪ねなかった、典黙の怠惰を黙認していたからだ


「子脩に来させたという事は、何か深刻な問題でも起きたのか…」


「まだ何も聞いてません、しかし丞相は困って居たように見えます」


議政庁に来ると新しい顔ぶれが一人見えた、その人は文官の序列で郭嘉の次に立っていた


典黙「どちらさんですか?」

曹昂「荀攸です、荀彧の甥っ子らしい、許昌へはまだ来たばかりです。丞相が言うにはなかなかの才能をお持ちのようで」


へぇ〜謀主荀攸か!


荀攸の近くを通った典黙は思わず彼を注目した


これで曹操陣営の策士五名が勢揃いしたね!


三国演義では、この郭嘉にも引けを取らない荀攸は十二の奇策により曹操が北国を統一した。

曹操ですら荀攸の事を言葉惜しまずに褒めていた。


そしてこの荀攸は良策を胸に秘めるだけでなく、勇気を持った志士でもあった。


曹操が七星刀を手に董卓暗殺に向かったよりも前に荀攸も一度同じ計画を立てていた。

しかし運悪く、実行する前に事が露見して投獄された。


典黙と目が合うと荀攸は礼儀正しく会釈して、典黙も同じように一礼を返した

曹操に典黙の事を詳しく聞かされたのか、荀攸はとても典黙に敬意を払っていた。


謀士が揃ったのを見た曹操は口を開こうとしたが、典黙の顔色を見て心配そうに近づいた

「子寂、顔色が悪いぞ、何があった?」


「顔色ですか?」


「あぁ、すごく疲れてるように見えるぞ?医官を呼ぶか?」


「麋貞が帰って来たので……平気ですよ」

麋貞が求め過ぎたから……とはさすがに言えないな


曹操も察しが良く、悪巧みの笑みを浮かべて

「会議が終わったら少し待ってて、我の持っている虎鞭を分けてやろう。全く、君といい奉孝といい!もう少し自分を大切にせよ」


典黙は郭嘉の方へチラッと見ると郭嘉の顔色は自分以上に悪かった


曹操「聞けば彼は子盛、仲康と三人で妓楼で酒を浴びるほど呑んでいた!」


愚痴をこぼしたあと曹操は全員を集めた訳を話した

「袁紹は公孫瓚に勝った後、全軍に休養も取らせずに天下を狙う動きを見せた!」


曹操は竹簡を掲げて軽く振った

「数日前から袁紹は兵五万を集めて済南に駐屯させた、青州から徐州へ行く動きだ。戦うのか和平交渉するのか?皆の意見を聞きたい」


荀彧「丞相、和平交渉の必要はありません!丞相がしようにも袁紹にはその気はありません。戦うだけではなく、総力を挙げた決死の戦いにするべきかと思います!」


典黙の背後にいる荀彧の話は熱意が込められていた。

その話により和平交渉を提案しようとした数人は口を開くことが無かった。


荀彧が話終わると荀攸も口を開いた

「丞相、報せには顔良と文醜の情報はありましたか?」

曹操は再び竹簡をじっくり眺め

「あぁ、五日前に鄴県を出た、そこから南の昌黎へ向かったと書いてある」


荀攸は髭を捻り

「顔良文醜は袁紹の上将、過去に戦がある時に必ず先鋒を任されていました。なので青州は陽動でしょうか、昌黎から黄河を渡れば白馬城に着きます。袁紹軍が白馬城を取り、そこを前哨基地にすれば官渡まで一気に進む事ができます」


いつも無口な賈詡も頷いた、明らかに荀攸の言う事に賛同していた。


曹操はこめかみを揉み、背後の地図を見渡し官渡に注目したあと深く頷いて

「官渡はここ許昌まで百五十里、ここで戦えば補給にも手がかからない。それに水陸共に発達している事から後援を切られる心配もない」


曹操は戦場の地が官渡である事には不満を持たなかった。


「今は白馬城が落とされた報せを待つだけだ、そうなれば我々は全軍官渡へ向かい、大戦の準備を整えよう!」


数十万人の戦いは曹操を熱くした、考えもせずに口にした言葉が人道的ではない事も気にしなかった。


荀彧は曹操をちらっと見てから俯いたまま

「子寂、もうすぐ大戦が始まろうとしている、そろそろ子盛たちを呼び戻した方が良いでは無いか?」


そういえばここ二ヶ月子盛たちの姿を見てなかった、丞相からは子寂の密かの命令だと聞いた


皆が不思議そうに典黙へ目を向けた


「皆さんご安心を、もうすぐ終わる頃でしょうか……」


「報告!」

典黙の話の途中に伝令兵が竹簡を手に駆け込んで来た

「丞相、白馬城より急報です!」


「速いな、さすがは河北四支柱の顔良文醜」

曹操は軽くため息をついてから続けるように手を振った


「顔良文醜、二名の敵将が黄河を渡ったあと白馬城にて典韋、許褚、趙雲の三方により討ち取られ、白馬城の守備隊が陥陣営の鼓舞により共に敗残兵を追い討ち、敵兵八千名を討ちました!」


議政庁は静寂に包まれた、今ここで針が地に落ちても聞こえるだろか…

いつも平然としている荀彧も両目を大きく見開いた。


顔良文醜が出発したのはつい最近、その二ヶ月前に伏兵を用意したとでも言うのか…?

荀攸も典黙を見て内心穏やかじゃなかった


曹操も伝令兵を見て固まった。

自分の耳を信じられなかったのか、伝令兵の手から竹簡を取り出してじっくり読んだ

「最初の贈り物か?」


「はい」

典黙は悠然と一言だけ答えた


曹操はゆっくり目を閉じて言葉が出なかった


大戦が始まる前に敵大将を討ち、敵兵八千を殲滅した事で袁紹軍の士気にどれだけの影響を与えるか、言わずと知れた事だ

子寂さえ居れば袁紹に負けるはずも無い!


郭嘉「子寂、袁紹軍の動向をなんで二ヶ月も前にわかったんだ?」


郭嘉の質問を他の皆も気になっていた、黄河の沿岸は数千里ある、顔良文醜の動向を知らない状態では誰も袁紹軍の進軍方向を予測できなかった。


「ただの勘ですね」

典黙は微笑んで自分の分析を皆に聞かせる

「確かに青州から徐州へ渡れますがそこは河川が数多く交差している、軍備機材や兵糧の補給が大変です。そこを考慮すれば官渡よりも相応しい場所が見つかりません。僕が袁紹であってもそこから南下するでしょう!」


「なるほど!」

荀攸は典黙を見る目がより敬意に満ち溢れていた


曹操が我に返り、典黙をチラッと一目見てから席に戻り、竹簡を机に強く叩き付けた

「顔良文醜は数多くの武勲を上げた袁紹軍の御旗だ!二人が討ち取られたことにより袁紹軍の全軍が震撼される!仮に数万の兵を殲滅してもこの出来事程の効果は無い!」


士気が兵士に対する大切さを議政庁に居る誰も知っている。

もちろん黄河の向こう側の袁紹も知っている、南下を強引に進めた彼もまた公孫瓚を潰した勢いを生かそうとしていたから。


しかし、顔良文醜の討死によりその勢いは完全に消えた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る