百四十五話 口達者、郭図

冀州の鄴県、遂に公孫瓚の残党を狩り尽くした袁紹はここへ戻って来た。

かと言って青、并、幽、冀、四つの州は完全な平和には未だ戻ってない

太行山には十数万の黒山賊が巣食っており、世を乱している。

しかも黒山賊はそれだけにとどまらず、公孫瓚との戦いでもかなりの脅威となっていた。


当時の公孫瓚が遼西で高楼を築いて防衛に徹したのも公孫続が黒山賊の張燕に救援を求めるための時間稼ぎだった

沮授が地下道の策を出さなかったら黒山賊が横槍を入れたかもしれない、そうなれば結果がどうなるかは予想できなかった。


しかし今の袁紹はそんな烏合之衆である黒山賊よりも気に入らない者が居た。

それはかつて自分を慕っていたが今では着々と勢力を拡大する曹操


鄴県に戻った袁紹は数日の休養を過ごしてすぐに配下の文官武将を一同に集めた


議政庁内、黒紅交じりの大将軍服を身につけた袁紹は白髪混じりの髭を指で撫で、大漢十三州の地図を机に広げ、天下統一を夢に見ていた。


しばらくの沈黙が過ぎ、袁紹はゆっくりと口を開く

「諸君!我が軍は今黄河を渡り中原を治める時を迎えた!各自思う事を申せ!」


袁紹は一言も曹操を口にしなかったが全員気づいていた、中原を治めるという事はつまり徐州、兗州、豫州の三州を呑み込む必要がある。


冀州別駕の田豊が先に前へ一歩出て

「主公、今は南下するよりも兵力と民を休ませる事が大切かと思います」


先まで満面の笑みの袁紹は暗い顔になった

「何故だ?」


「主公は韓馥の後にから公孫瓚とも戦いました、このような連戦で我々の兵は既に疲弊しています。そして連戦した事で百姓たちも税収により同じく疲弊しています。方や曹操も連戦により豫州、徐州、揚州を手に入れたが典黙の策によりどれも苦戦せずに完遂しました。今でこそ曹操の勢いは止まらない物ですが、我々に劣る物は一つだけあります。それは曹操よりも主公の領地が広く、開墾を進めて民を豊かにすれば我々の土地は農作物だけでなく兵馬機材も育ちます!数年後には我々の国力が曹操より数段上を行きます!」


戦争が長引けば最終的には国力の差が物を言う

田豊の話には多くの人が頷いて賛同を表した


袁紹が髭を捻りながら嫌な顔色を浮かべると

議政庁の文官列から一人、小太りでまん丸い顔に陰影のかかった目をした人が出て来た郭図である

「田豊はネズミのように視野が狭い!」


「ほう、公則は何か意見があるのか?構わん、申せ」


袁紹の許可を得た郭図は先ず田豊を一睨みしてから口を開く

「兵法曰く、一鼓作気再は衰三は渇!すなわち、やる気がある時に行動しなければ次にやると決めた時にはやる気も衰え、三回目以降はやる気自体が尽きる!今勢いがあるのは曹操だけでは無い!主公も大戦を勝利した直後、士気も高い、このまま南下すれば許昌に着く前に曹操軍は怯えるだろう!数年も待つ必要は無い、人生には数年が長過ぎる!」


田豊は反論しようとしたが袁紹は手を上げてそれを止めた、明らかに郭図の言い分が気に入った。


十常侍が政治を乱す時から、反董卓連合を経て今に至り、四世三公の袁紹は既に十年近くの時をかけた、もうこれ以上は待てない。


そして最も重要なのは彼自身も郭図の言い分に同意した、自分の兵力は既に曹操の数倍ある。

なら何も待つ必要は無い!


この時沮授も前へ一歩出て拱手し一礼をした

「主公、元皓の言う事も一理あります、主公は数年を待つのが嫌なら南下して決戦するのでは無く、千里にも及ぶ前線で至る所に攪乱攻撃をすれば曹操軍は必ず疲弊します。それならば数年も待たずしても一気に南下すればより簡単に目的を達成できます!」


沮授の案は田豊の案よりは多少侵略性があるが袁紹軍の長所を最大限に引き出した物だった。


すぐに決戦に持ち込もうとした袁紹でさえ心を動かされた。

しかし自らの案を否定されないように郭図は再び進言した

「兵法曰く!十なれば則これを囲み、五なれば則これを攻め、倍なれば則これを分けて戦う!我が軍は既に曹操軍の数倍ある、曹賊を叩くのは簡単な事、監督官殿はそれすらもわからないのか?」


郭図の言葉で先まで迷っていた袁紹は信念を固めた。

沮授は袁紹が自分の話を遮る前に進言する

「主公、天子陛下が未だ許昌に居ます、各諸侯は曹操が天子を人質にしているのを知っていますが百姓たちの認識では曹操は忠臣のままです、主公が無理やり南下するのは世間では不義の汚名を着せられます」


「人は皆沮公の正義感が強いと言うが、そうでも無かったみたいだ」

郭図は袖を振り払い冷笑した

「監督官殿、その言い分だと武王が紂王を討伐したのも不義なのか?しかしその不義の兵が最終的に勝利を収めたではないか!」


謀略や兵法では郭図は沮授の十分の一にも及ばないが舌弁の能力なら郭図といい勝負ができるのは恐らく許昌に居る大鴻臚だけだろう


袁紹は机を叩いて立ち上がった

「決まりだ!直ちに南下する!文醜顔良、先鋒として二万の兵を率い白馬城を占拠せよ!」


「はい!」

武将の隊列から二人が出て来て拱手した


「主公、どうしても南下するというなら徐州から侵入するとみせかけるために疑兵を青州から向かわせましょう!陽動があれば顔良文醜二名の将軍もより動き易くなります!」


沮授は南下する結果を変えることことができないと理解して、代わりに侵攻謀略を提案した


提案された袁紹も同意した

「尚、兵を五万率い青州で陽動せよ、顔良と文醜が白馬城を占拠したら我らと合流だ」


「わかりました!」

隊列の中から二十歳前後の良い顔立ちした青年が前へ出て拱手した


一番袁紹の寵愛を受ける末子、袁尚である

袁紹は公の場で袁尚を跡継ぎにしたい気持ちを現した事は何度もあった。


議政庁内の袁譚と袁煕は一抹の不満を感じた


特に長男の袁譚、しかし彼は我慢強くいつも気にしないふりをして、兄である器の大きさを見せていた


そして一番可哀想なのが袁煕、次男である彼は立場では袁譚に劣り、袁尚ほど好かれてもいない。

跡目争いでの勝算は一番低い、それでも彼は絶対的な権力を目の前にすれば全てを投げ打って賭けに出る予定で居た。


二人ともこの戦いで手柄を挙げようと内心で覚悟を決めていた


軍中で威信を築き上げれば跡目を継ぐ事に支持者も増えるから




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