百四十三話 恩返し
曹洪が一晩中探し回っても刺客を見つけるまでは至らなかった、とは言っても許昌城内の民家は二十万戸、全てを検査しても時間はかかる。
しかし曹洪は典黙が邪魔した事を曹操に報告した。
案の定曹操はあまり気にとめずに手を振り
「子寂が刺客を匿うわけなかろう」
当然捜索は継続していて、四つある城門の警備も強化された。
これで許昌から抜け出す事もさらに難しくなった。
典黙は西の客間に行った時に下女の服装を用意していた、厳氏親子のための物だった。
寝込んでる呂玲綺に下女服を着せたのは厳氏
二人が着替えてから典黙が部屋に入った
うん!素材本来が良ければ何を着ても良いね!
淡い黄色の下女服でも二人の美しさを減らすことも無い。
仰向けで寝ていても呂玲綺の胸元は典黙の視線を集めた。
鎧からだと分からなかったがなかなかのいい物をお持ちだ!
伏皇后程ではないにしてもこの子も足元に落ちた物が見えないのでは?
典黙は寝込んでる呂玲綺の額に手を当ててまだ少し熱があったのを確認した
「未だ熱が下がってないけどそのうち良くなるでしょう」
すっかり安心した厳氏が典黙の近くへ行き
「昨夜は諸葛公子の助けが無ければ危ないところでした、このご恩は返す宛もない……」
待て待て、何を言い出すんだ?
典黙はチラチラッと厳婦人を見てから、僕は一向に構いません!
と少しウキウキしていた。
「玲綺を妾として公子へ嫁がせます」
「あぁっ、なるほどね…はい」
典黙は人差し指でこめかみを二三回搔く
「公子はどうして少し失望に見えますか?」
「あっ、いえ、そんな事ない」
厳婦人は微笑を浮かべて
「玲綺から聞きましたよ。あの子は幼い頃から父似で武芸と馬術にしか興味は無く、男女の事など何も知りません。初夜を勘違いしたのもそれが理由でした。あとでちゃんと教えますのでご心配なく」
典黙は軽く笑い、なら仕方ないと流した。
「母上…」
「玲綺、起きたのか?水を飲みな」
厳婦人が呂玲綺の上半身を少し起こしてお椀一杯の水を飲ませた。
起きたばかりの呂玲綺はまだ少しボーとしている
「その…ありがと。礼を言う」
典黙は壁に寄りかかって腕を組み
「受けた恩を返すまでだ、しかし今の許昌城は更に厳重に警戒している。しばらくの間は簡単には抜け出せないよ」
典黙の話を聞いた呂玲綺は俯いて少しガッカリしていた
呂玲綺の反応を見て典黙は慰める
「そんなに気を落とすな、数日後には二人を城外に送り出す手立てはある」
呂玲綺「厳重な警戒では許昌城を出入りする人は全て検査される、送り出すってどうやって?」
「それは心配しなくていい、僕ができると言ったらできる」
できると言ったらできる?
昨夜の捜査をどうやって切り抜けた?
諸葛氏が曹操の配下に加わったのか?
色んな疑問が呂玲綺を更に混乱させた、目の前の諸葛適当は一体何者?
「弟よ、西の客間にいると聞いて来たけど、何してんの?」
客間の扉が開かれ典韋がいきなり入って来た。
四人の目線が交わり、雰囲気が一気に緊張感に塗り替えられた
呂玲綺は咄嗟に立ち上がり戦闘態勢で厳婦人を背後に庇い、典韋も典黙を子猫のように持ち上げて背後に庇った
そして典韋はプルプル震える厳婦人親子を見てニヤリと笑った
「へぇー、昨日の刺客はお前らだろ?自ら出向いてくるとはありがてぇ!」
「兄さん!待って!」
典黙は典韋を引き止めてから部屋の外へ連れて行った
部屋の外で典黙は徐州で起きた事を洗いざらい全て話した
「それならもっと早く言ってよ!」
典韋が再び部屋に入ると先までの殺気が嘘のように消えたが呂玲綺は未だ警戒を解かずに居た
「えぇ……お茶、でも飲む?何か食べたい物はあるか?」
呂玲綺は警戒したまま首を横に振った
「お嬢さんは俺の弟を助けたという事は俺ら典家の恩人だ!受けた恩は必ず返せと両親に教わった!ここで安心して傷を治すといい!ここはどこよりも安全だ!」
言い終わると典韋が少し恥ずかしそうに外へ行った。
弟の恩人を捕らえて許昌へ運んだのが自分だと知った典韋は恥ずかしくて堪らなかった。
典黙が再び部屋に戻ると厳婦人親子がじっと彼を見ていた。
「改めて自己紹介しますね、僕の名は典黙、字名を子寂。諸葛適当は偽名でした、ごめん」
自己紹介が済むと厳婦人親子の開いた口が塞がらない、ほぼ同時に同じ事を口にした
「麒麟軍師の典子寂!?」
呂玲綺「お前、曹賊の軍師ならどうして……」
「兄さんの言う通り、受けた恩を返す。助けて貰った恩を返すには僕も助けるまでだ。心配いりません、時が来れば許昌から送り出します」
話が終わると典黙は振り返って外へ出た
呂玲綺は未だ衝撃の事実から抜け出せないでいた。
かつて自分が助けたのが漢王朝に名が知れ渡った麒麟軍師。
やっと腑に落ちたものがあった、何故彼がここ許昌に居るのか、何故彼は簡単に曹洪の捜査を切り抜けられたのか、全てが納得出来た。
ポカーンとしている呂玲綺とは対象的なのは厳婦人、彼女は内心喜んでいた。
典黙と言えば耳にタコができるほど聞く人物、曹操一人を除けば誰よりも偉い人!正真正銘玉の輿!
玲綺との婚姻は必ず美談になる!
そこからの日々は皆忙しそうにしていた、許褚と典韋の虎賁営が正式に立ち上がり、五千名による重騎兵を目指していた。
虎賁営は未だ陥陣営とは程遠いがその戦力は絶大なものだった。
趙雲も龍驤営を三千人まで拡大している、趙雲が言うには既に白馬義従七割の戦力を有している。
各営が訓練に明け暮れている時に曹操ももちろん暇を弄んでいなかった
曹操は度々軍営で巡視して、監督の責務を果たしながら士気を高めようとしていた。
そしてある日、練兵広場で曹操がいつも通りに巡視をしていると曹仁が慌てて走って来た
「丞相、北国より急報です!」
曹操は顎を上げ、曹仁に続けるよう示した
「はい、袁紹が幽州で公孫瓚を打ち破り、十五日の間に幽州の五郡と捕虜四万あまり、獲得した軍備機材の数も計り知れません!」
速い!速すぎる!
曹操は明らかにこの結果を受け入れられなかった。
典黙「公孫瓚は?戦死した?」
曹仁「公孫瓚は遼西に追い詰められて高い楼閣を築き、城壁を五丈、残兵三万のまま太行山の張燕に援軍を頼みましたが、沮授の策により壁の底に地下道を掘られ、五丈の壁も役に立てずに破られました。袁紹軍が侵入したのを見た公孫瓚は自害しました」
曹操「フンッ役立たずが、半年も持たなかったのか…」
曹操はため息をついてから典黙を見た
「公孫瓚が死ねば残りの郡も投降するだろう、袁紹はもうすぐ青、幽、并、冀四つの州を手中にする。大漢最強の諸侯となるだろう……子寂、決戦の匂いがして来たな」
典黙は曹操を一目見ればその言いたい事を理解していた
「丞相、心配せずとも二つ目の贈り物はすぐ準備できます!しかしそれには三人が必要です」
「構わん、申せ」
「兄さんたちと……陥陣営」
曹操は髭を摩りながら頷いた
「良い報せを待ってる!」
「はい」
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