百四十二話 青釭剣の権限

「知り合いを装っても無駄だよ、あいにく刺客の知り合いは居ないんだよ」

黒ずくめは声色から察して女、それでも典黙は距離を取り続けていた


相手が怪我をしていようと典黙は少しの油断もしなかった。

典黙が青釭剣を振り回して後ろに下がると黒ずくめの女は覆面を外した

「待って、私だ!呂玲綺!」


覆面を外したくっきりした顔立ちを見て典黙は驚いて両目を見開いた


「呂玲綺!!」


呂布はまだ生きてるだろ、なんでこの人刺客なんかやってるの?しかも仲間まで連れている


典黙は青釭剣を収め

「君こそなんで許昌に居るんだよ!」


「母を救うためだ」

呂玲綺の目線に沿って見ると庭の角に厳氏が怯えて震えていた


これを見れば典黙はある程度状況を把握した


「速く探せ!どの家も漏らすな!」

「はい!」


壁の外から警備隊の声と共にたくさんの足音が聞こえて来た


「適当!助けて!母を曹賊に渡したくない!」


正直典黙はこのようなめんど事に首を突っ込むのは嫌だった、万が一刺客が自分の家で捕まれば笮融でも弁明できないくらい危険だから。


目の前は呂玲綺が可憐な目で典黙を見つめて願っていた、庭の外には近づく掛け声と足音。


典黙はため息をついた、自分でも聖人君子ではないと自覚していたが受けた恩を返さなければいけない事くらいは知っている


徐州では彼女に助けて貰ったから張飛とあの斥候たちから逃げられた。


典黙は戸締りをし直して

「着いて来て」


そして典黙は親子を西の客間に通してから典韋への言い訳を考えていた

典黙邸の下女は皆奴隷出身だが典黙からは優しくされていたので口も硬い


典黙は呂玲綺を寝かせてから傷口を確認した。


呂玲綺の傷口は結構深かったけど、幸いな事に典黙邸は常に傷薬を常備していた。

曹洪も頭がキレる、必ず薬屋と医館に見張りを付けている


「待ってろよ、薬を取ってくるから」


「母上心配しないで、彼が前に言っていた諸葛適当よ」

典黙が部屋から出たあと呂玲綺は傷口を抑えながら厳氏を慰めるように言った


厳氏は頷いて、震えも落ち着いて来た

「まさか彼が助けてくれるとはね、玲綺傷の方は大丈夫か?」


「平気ですよ、このくらい」


すぐ典黙が戻って来た、手に持った薬を呂玲綺に渡しながら

「ほら、これ塗り薬。内服薬は下女に用意させている、しばらく待ってて」


そして典黙は呂玲綺の黒服の袖を切り開くと白い肌に大量の血が付いていた。

濡れた布巾で拭ってから薬を塗り、綿布で巻き付けた。

下女が薬を持ってくると呂玲綺はおとなしく苦い薬を飲み安静にしていた。


怪我してからすぐに手当をしたし、傷口もちゃんと処理した。感染症の心配は要らないな、あとは鋭物が錆びていないことを祈るばかりだ…


この時代では破傷風どころか傷口からの感染症も致命的だ。


コンコンコンッ

大門から門を叩く音が聞こえて来た


厳氏は顔が真っ青になって呂玲綺にくっ付いて、呂玲綺の手を握った。


呂玲綺は壁伝えに立ち上がった

「追手だ、母上と裏口から出る。お前には迷惑をかけない」


「良く言うじゃないか小娘…前に助けて貰った恩もある、今日は恩返しをする。ここで待ってて」


離れる典黙の後ろ姿を見て呂玲綺は少し心が揺れた。

呂玲綺は少し前まで、典黙に対してなんの感情も抱くことは無かった。

洞窟に連れて行ったのも張遼に見せるために仕組んだ事、目的もあくまで婚約破棄。

典黙が約束通りに自分を迎えに行かなかったのも正直ホッとした


まさか忘れかけた時に再会、それも助けてもらう事になるとは思わなかった。


これも縁なのか……?


典黙が門を開けるとそこには松明を持った数十名の警備隊と曹洪が居た。


「こんな夜中にうるさい!寝られないでしょうか?」

静かに怒る典黙を恐れ、警備隊の隊員たちは何も言えずにひよっこみたいに震えていた。


「ぐっ、軍師殿!夜分遅く申し訳ございません!城内に刺客が潜伏しておりますゆえ、丞相の命により城内全ての家を家宅捜索しています。残りは…軍師殿の邸だけです」

曹洪は礼儀正しく言ったが、言い終わると中へ入ろうと前へ足を踏み出した。


典黙は門に寄りかかり片足を門の反対側へ掛けて

「刺客など見ていない、他所へ行って」


「軍師殿、末将は命令を受けています。これでは困ります。」


「そんな事知るか、見てないと言ったんだ!」


「その言葉だけで信じろうと?」

曹洪は眉間にしわ寄せて明らかに疑い始めた


「そう、言葉だけだ。わかったらさっさと帰った帰った」


曹洪は今何よりも心配しているのは典韋が居るかどうか、もし典韋が居れば衝突すれば自分もタダでは済まなくなる。


そして曹洪は一歩下がり懐から"令"と書いた矢印の形をした木札を取り出した。

令矢である。

「丞相より承った令矢だ!軍師殿、そこを通してもらいます!」


令矢には兵馬を動かす権限はなく、警備隊が暴徒鎮圧、深夜の見廻り等の職務で貴人と会う時に職務を果たせるように見せる品物。


令矢を見た警備隊は少し安心して一斉に中へ入ろうとした時


シャキーン!

「よく見ろ、青釭剣だ!青釭剣を見れば虎符を見たと思え!万騎出営も可なり、その命令に従わない者は斬り捨てて良し!曹洪将軍、知らないとは言わないでしょ?」


倚天剣は国威を代表、青釭剣は敵を破る役割が有り、倚天剣と青釭剣のどれも虎符と同じ。

曹操が自ら言った言葉だった。


青釭剣を見ると警備隊は急いで後ろへ後退りした。

青釭剣に斬られるのは誰にも文句を言えない。


曹洪も固唾を呑んで引き下がった。


中に刺客が居るかどうかは確信を持てない、怪しいけど万が一刺客では無く他に見せたくない物を隠しているだけなら丞相に怒られる…そうだコイツはとんでもなくスケベだと聞いた!人に見せられない趣味をしてる最中か?


何よりもあの三人の兄さんは厄介だし……

まぁ、コイツは普段態度がデカいけど、刺客と内通してるとは思えない。

ここは危険を犯すのは辞めておこう……


曹洪は下がって令矢を懐に収め拱手した

「はい、命令通りに他所を探します。軍師殿も怪しい人物を見かけたら教えてください!」


曹洪たちが離れたあと典黙は長く息を吐いてフニャフニャと崩れ落ちた。


青釭剣を持っておいて良かった、兄さんが居ないから危なかった……

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