百三十九話 再び南陽へ

「しかし、私は未だ未熟者です、そのような大役が務まるかは保証できません。他を当たりください」


劉備は跪いたまま単福を見つめていた、涙こそ流れなかったが誠意満々だった。

しかし単福の断りもはっきりとした物だった


「先生!先生程の人材を十数年待ちました、先生が引き受ければこの劉備は先生を師と仰ぎ、お言葉には必ず耳を傾ける事を誓います!」


「私が非情な訳ではありません、ここを去る意思を固く決めました。これ以上は困ります…」

そう言うと単福は劉備を起こそうとしたが劉備は膝に根でも張ったかのように動かなかった


そして遂に水鏡先生が言葉を発した

「元直、皇叔は人材を大切にする方とお見受けする、受けてあげても良いのでは?」


劉備も単福が本当に自分が探し求めている人材であるか否かは確信できなかった、しかし一目で劉表の外面と中身の違いを見破った目は本物

藁にもすがる思いで手に入れたかった


単福も水鏡先生の言葉に気持ちを揺れていた


そして水鏡先生はトドメの言葉を話す

「曹操は片手に天子を人質に取り、思い通りに勅令を出し、十三州の四つを手に入れたのは典黙の補佐が大きかった。皇叔は漢室後裔としてそれに対抗すべくには才ある者の補佐が必要だ、君はずっと自分の力を証明したかっただでしょう?共に行けば天子に報い国賊を討ち取る事も麒麟と知恵比べもできるでしょう」


単福は深く息を吐き出し跪いた

「未熟者ですが犬馬の労をさせていただきます!」


「先生!起きてください!」

劉備は嬉しさのあまりに両目を濡らした


単福「主公、一つ打ち明ける事があります。私の本当の名は徐庶、字名を元直。穎川郡出身で訳があり偽名を使っていました」


穎川の人材は荊州襄陽よりも有名だった、劉備は深く頷いて秘密を守ると約束した


「さぁ、先生!おかけになってください!」

劉備は徐庶を座らせてから自分の席に戻った


三人はお茶をしばらく楽しんでから

徐庶「主公、国賊を討ち取りたいですか?」

劉備「あぁ、そうしたいのは山々ですが……」


「なら今夜私と共に襄陽から抜け出しましょう!」

徐庶は劉備に愚痴を言わせる時間も与えずにすべき事を提案した


劉備は少し納得せずに

「景昇公は客人として私をもてなした、別れも告げずに離れるのはさすがに……」


徐庶「主公、劉表に別れを告げれば情報は蔡瑁にも伝わります。もし蔡瑁が私兵で追って来れば対処のしようもありません!」


徐庶の言葉は劉備を悟らせた、今の自分には関羽、張飛、陳到と数十名の兵士しか居ない、そうなれば抵抗のしようも無くなる。


劉備「しかし一体何処へ行けば良いのやら」


徐庶「南陽です!公子の劉琦は皇叔を慕っています、必ず受け入れてくれます!」


徐庶は湯のみを下ろして

「確かに劉表は今南陽の兵を呼び戻して残りは防衛の八千兵しか居ませんが、南陽にはまだ資金がたくさん残っています、軍拡すればすぐに立ち直ります!それにあそこは穎川と隣接しています、天下に変動があれば後手を先手に変えて逆転できます!」


「天下の変動とはいつ起こりますか?」

徐庶の言葉に焚き付けられた劉備は呼吸が荒くなった


「今袁紹が幽州で公孫瓚と決戦を控えています、早ければ三ヶ月遅くても半年、袁紹が勝つでしょう!そうすれば袁紹と曹操の二大勢力は必ずぶつかります!二人が膠着状態になれば後ろはガラ空き、我々がその隙を突いて穎川を取ります。本拠地を失った曹操を討ち取り漢室の復興も夢ではなくなります!」


この時、劉備は心臓の鼓動が速くなったのを自覚した。

窮地に立たされた今でも徐庶は逆転の手立てを考えた、やはりその才能は本物!


しばらく間を空けてから一筋の涙が劉備の頬を流れた

劉備は拱手して一礼をした

「先生の話はまるで天より授かった音律のように人を酔わせる、先生はここに居ながらも私のために可能性のある道を創りました、あとはこの道を行くだけです!」


水鏡「ハッハッハ、一人は良い君主を、一人は良い人材を得た、めでたいめでたい!乱世は安定するのはそう遠くないでしょう!」


水鏡先生の話は劉備を更に感動させた

「曹操に典黙が居ようとも私には先生が居る!漢室を復興するのは現実的になりました!」


その日の夜、劉備は劉琦へ一通の手紙を出して関羽と張飛、陳到を連れ数十名の私兵を率いて襄陽から脱出した。


一味はそのまま南陽へ向かったのではなく、比陽、舞陰を通って叶県に着いた。

この移動方法には理由がある

その一は真っ直ぐ南陽へ向かえば蔡瑁たちに疑われる

その二は予め劉琦へ別れを告げる手紙を出せば劉琦は叶県で劉備たちを引き留めに来ると踏んだから


そして叶県に着くと案の定劉琦がそこで待っていた


劉琦「皇叔、どうしても北の冀州へ行くと言うのですか?荊州ではダメですか?皇叔が離れてしまえば私はどうなりますか?」


今、劉琦の状況は劉備と大して変わらない。

劉表に会うこともできず、昔のように親戚を宛にする事もできなく、異母弟が跡継ぎになるのを黙って見てるしかない

劉琦の中では劉備が既に最後の希望になっていた


頼りない劉備でも藁にもすがる思いでつなぎ止めたかった。

劉琦は南陽で跡継ぎした劉琮に殺されるのを待つよりは賭けに出た


劉備「公子、蔡瑁は幾度と刺客を送って来ました。私は襄陽に残るのは危険だと思ったので離れました」


劉琦「それなら私と共に南陽へ行きましょう」


劉備の目は感謝の意に溢れ、劉琦を少し離れた所へ引っ張って

「景昇公がこの事を知れば公子も疑われます」


劉琦「はい、わかってます。しかし皇叔に行って欲しくないので、疑われようとかまいません!」


この時に隣に居た徐庶が歩いて来た

「主公、叶県から南陽への行商人に紛れ込むことができます、これなら劉州牧にも蔡瑁にもバレずに城内へ入れます」


劉琦「そうですね!良い方法です!」


「仕方ありません、公子を放ておく事もできません!私で良ければ共に行きましょう!」

劉備はすごく悩んだふりをしてから答えた


劉琦「はい!先に戻って待ってます、叶県から南陽への行商人は毎月の六日です」


劉備「わかりました、ではまた後で」

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