百三十五話 千里馬と伯楽

曹操と典黙が声の方へ振り向くと、遠くない所に警備隊長の鎧を着た体格のいい男が腰の剣に手を乗せて百姓装束の三人組に近寄っていた。


三人組は足を止めたが背中を見せたままで居た


「そこの三人、名簿登録を確認させろ」


三人組は互いに顔を見合せて荷物から強弩を取り出して体格のいい警備隊長に狙いを定めた


警備隊長は手をかざすと他に十名程度の警備兵が三人組を取り囲んだ、それと同時に三人は矢を放た


シュッシュッシュッ

三本の矢のうち、二本は他の警備兵に当たり一本は体格のいい警備隊長へ飛んでいく


カキーン

警備隊長は電光石火の如く腰の剣を抜き矢を弾いた


この出来事を目の当たりにした典黙は驚いた、

僅か二十歩の距離で強弩の矢を弾けるという事は恐らく楽進や于禁くらいの実力がある。


この時に強弩の弱点が現れた、強弩は矢を一本ずつしか装填できない上、装填に時間もかかる

三人組は向かって来る警備隊に対してなすすべもなく捕らえられた。


殺傷能力を落とさずに連射できる諸葛連弩が一躍有名になったのもそれが理由だった。


装填時間の短所がある故、強弩は戦場よりも暗殺に多く使われていた。戦場では強弩の装填より弓を引いた方が遥かに速いから。


三人組は強弩を投げ捨て路地へ向かってバラバラに逃げようとしたが警備隊長は落ち着いて指示を出した

「お前ら四人は左の、お前ら四人は右の、俺が真ん中のヤツを追う!良いか、逃すなよ!」


「はい!」


警備隊が散らばってあっという間に三人組を捕らえた


「誰の指示だ?」

警備隊長の問いに三人は何の反応も無く黙り込んで居た


警備隊長が前へ出て一人の頬を掴み、力を込めて口を開かせた。


警備隊長「舌が無い!死士か!」


この時代では読み書きができる人は数少ない、舌を切り取るか焼けた炭で焼き切れば情報の漏洩を防ぐことが出来る。

暗殺用の死士に使われた人は大体お金も無い平民から選ばれる事が多い


警備隊長「フンッ、牢へ連れて行け!」


「誰ですか?なかなかの使い手ですね」

突発状況に冷静で対応出来る警備隊長を見て典黙は少し感心して曹操に聞いた


「彼の名は.......」

曹操は名前を思い出そうとしたが出て来なかった

「君たちが河口関へ行ったあと楊奉と共に来た、今の関中はめちゃくちゃだ。李傕と郭汜が長安で殺し合い、白波賊までも乱戦に入った。楊奉の部隊は乱戦で千人を下回った。それで我の配下に加わった。コヤツの武力と知略を試した事もある、なかなかの物だったが忠誠心も試さねばならない。今は警備小隊を任せてある」


典黙「楊奉と共に来た......ですか?」

曹操「何か問題でも?」

典黙「もしかしたらいい人材かもしれませんね!」


典黙は警備隊長へ手招きをして来るように指示したが警備隊長は未だ典黙の事を知らなくて相手にしたく無かったが隣の曹操を見て小走りで来た

警備隊長「丞相!お呼びですか?」


曹操は少し気まずそうに頷いて顎で典黙を指して

「我が軍の軍師祭酒、典子寂だ。用があるのは彼だ」


典黙の名前を聞けば先までの不遜な気持ちが一瞬で消え、急いで頭を下げて拱手した

「末将徐晃、字名を公明!軍師殿だと露知らず失礼致しました!麒麟手腕の名は既に天下に轟いてあります!一度は会ってみたかったので今日会えた事は運が良かったです」


徐晃、徐公明!曹操に自分の周亜夫とまで言わせた男。

やはり彼か!武芸では許褚と五十手合いの間で引き分け、謀略では樊城で関羽の包囲網を突破した男


本来の歴史なら、徐晃は劉協を長安から洛陽まで護衛したあとそこで曹操の配下に加わった。

まさか歴史が変わった今でも結果は変わらなかった


これなら五将軍が集まるまではあと張郃だけだった。


典黙「公明将軍、ひいき目ですよ。そういえばどうしてこの三人に問題があるとわかったんだ?」


徐晃「はい、見回りをしていたらこの三人の動きを見て不審に思いました。三人とも歩行速度が速く、足音も小さい事から恐らくは武を嗜む人かと思いました。声をかけたらやはりボロが出ました」


「警備隊は仕事をちゃんとしているのか?強弩を持った死士が堂々と城内をうろついてるぞ」

曹操は少し不満そうに徐晃へ問い詰めた


徐晃は急いで拱手して弁明する

「丞相、各城門では必ず検問を設けてあります故、恐らく彼らは部品を持ち込んで城内で組み立てたかと思います」


そう聞くと曹操も更に追求をしなかった


そして徐晃は更に報告を続けた

「丞相、この三人も含め城内で既に八名の死士を捕らえました。未だ潜伏している者もいると思います、警備隊は人員不足でそれらを全て探し出すのは難しいかと思います」


曹操「人員を増やしても問題を根本的に解決できない、解決する方法を考えさせてくれ」


二ヶ月で八名の死士を捕えられるのは簡単な事ではない、曹操も徐晃の増員要請を前向きに検討した。


曹操「子寂は何か良い手はないか?」


典黙は肩をすくめて

「荀府へ行ってみましょう」


曹操「そうだな、朝議では文若の姿が見えなかった、何で勤しんでるのやら......」


曹操がここから離れようとした時に典黙が口を開いた

「丞相、公明将軍は大いなる人材、警備隊では少しもったいない気がします!」


徐晃は驚いた顔で典黙を見た、一度しか会って無い自分のために口を開く事に不思議に思った


曹操は少し考え込んでから徐晃を見て

「我はもう少し様子見が必要と思ったがな、子寂が口を開いたのなら明日から軍営へ出頭せよ、官職は破虜校尉からだ」


曹操はもちろん徐晃の才能を認めていたがその忠誠心を試すつもりで居た、しかし典黙が口を開くならその顔を立ててあげることにした。


徐晃は感激して、拱手した手が震えていた

「ありがとうございます丞相!」


「礼を言うなら子寂へだ、しかし自分を証明してくれよ、で無ければ子寂の人を見る目を疑われるからな。麒麟の名に泥を塗る事は許されぬぞ!」


曹操の人を従わせる術は大したもので飴と鞭を同時に使いこなせた。


徐晃「軍師殿!末将は必ずご期待に報います」


曹操「子寂、文若の所へ行こう」

徐晃が見送りをすると典黙は手を振ってから曹操と共に荀彧の邸宅へ向かった


徐晃が嬉しかったのは校尉になったから訳ではない、楊奉の下にいた頃からそれなりの役職に着いていたが楊奉は徐晃の話にあまり耳を貸さなかった。

そして徐晃は白波賊の出身、そんな自分が許昌に来ても重要視されない事は知っていたし覚悟もしていた。


しかし今は麒麟軍師がそんな自分のために口を開いた、徐晃からすれば千里馬が伯楽に出会った気分になった。



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