百三十二話 からかい上手の曹操
曹操が許昌へ戻ったあと、真っ先に笮融の褒賞を獲るため劉協が居る宮殿へ向かった。
曹操が皇宮に入っても剣を腰に差したまま靴を脱がずに大股で劉協の前まで来た
通常の臣下であれば皇宮に入る時はまず剣を外して、皇帝と会う約束をしてから靴を脱いで小股で少しずつ前へ進まなければならない
河口関では八千の新兵対三万の大軍、相手に関羽と張飛の猛将も居る、幾ら典黙でも悪戦苦闘を強いられるはず。
それに今は未だ河口関門の報せが届いて無く、戦況を知らないので剣を持ったままの方が曹操からすれば何かと便利
曹操が剣を外さないのはもう一つ大きな理由があった、それは帝を勝手に名乗った袁術を打ち倒した事で自分はこの特殊待遇に見合うはず。
未央宮内、龍椅に座る劉協は一刻(後漢では十五分間)の間に座る姿勢を四回五回ぐらい変えた。
劉協は今、いてもたってもいられない事を身体で表現していた。
今の彼は切実に河口関の情報が欲しい、劉備が典黙に勝って欲しい、そして曹操を打ち倒して欲しいと思っている。
待ち時間はいつも人を焦燥にさせる
未央宮の真ん中に立つ曹操は左肘を倚天剣の柄に掛けていた、彼の焦燥は少しも劉協のより引けを取らないが、曹操の顔は落ち着きそのものだった。
宮殿の大臣たちは相変わらずにどうでもいい報告をしている、どこどこが洪水になったとかどこどこに山賊が出たとか
「報告!!」
手に竹簡を持った伝令兵が駆け込み、曹操の前で片膝を着いた
曹操は眉間に皺を寄せて劉協へ目配りしてから伝令兵が急いで向きを劉協に変えた
「陛下、河口関より急報です!」
河口関門の報せと聞くと未央宮は静寂に包まれた、劉協は期待に満ち溢れた眼差しで竹簡を見つめた
帝党派閥の大臣たちも首を長くして竹簡の内容が気になって仕方ない
これには曹操も猫を被らずに竹簡を伝令兵の手から取り出し、じっくり読んだ
曹操は竹簡の内容を見て目を大きく開けて呼吸も荒くなった
曹操はしばらく何も言わずに竹簡も下ろさない、まるで小さな竹簡に数万文字が書いてあるかのようだった
これには劉協を始め、帝党派閥の大臣も皆固唾を呑んだ
結果はどうなんだ?何とか言え!!
もちろん声に出せない劉協は心の中で叫んだ、爪が掌に食い込むほど拳を握り締めていた。
もし劉備が勝てば自由を獲る!もし典黙が勝てば夢が再び潰える!
パタッ!
曹操のこめかみから豆粒大の汗が流れ落ちて、手の中にあった竹簡も地面に落ちた
曹操の表情を見れば欲しかった結果だろうと劉協は額の汗を拭き取った。
「丞相、軍報の内容は如何?」
我慢できずに、ニヤける顔を我慢した董承が曹操に聞いた
曹操は董承を見てから周りを見渡した。
そして伏完、王子服、劉協の顔を見てゆっくりと口を開く
「典黙が八千の歩兵を率いて河口関へ向かい、我の命令無く劉備の本陣を奇襲して……」
曹操の話の続きを待つ全員が息を呑む。
負けた、負けた!典黙が負けたのか!!!遂に自由を手にする!
董承等の帝党派閥も皆我慢できずに口角を上げたその時に
曹操「勝った!アッハッハッハッハッ!!あの小僧が劉備の三万叛乱軍を完膚なきまでに叩き潰して、逆賊の劉備と劉琦は荊州まで逃げ帰った!いや〜まさか麒麟も失敗する事があるとはな〜!劉備を取り逃がすとは予想外!アッハッハッハッハッ!」
笑顔は消える事は無い、ただ劉協ら帝党派閥から曹操へ移っただけ
劉協は信じられないという顔をした
何だと……?劉備を完膚なきまでに叩き潰したと言ったのか?聞き間違いじゃないのか?
再び曹操を見ると曹操は満面の笑みで顎を上げて、鼻の穴で劉協を見ていた。
古来より、仰向けで君主を見る事は君主を暗殺する意がある事を意味する
しかし曹操は自分の行いを気にもしなかった、劉協らの気持ちなんて気にもしなかった
董承、王子服等の帝党派閥は複雑な気持ちになっていた。
曹操にからかわれた屈辱、不甲斐ない劉備への失望で胸いっぱい。
劉備よ劉備、三万の精鋭で八千の兵にも勝てないのか?全く使い物にならない……
董承ははを食いしばり、今にも爆発しそうになっていた。
龍椅に座る劉協は両目が虚ろになり、萎んだ風船のようにぐったりしていた。
あまりに大き過ぎた心理の落差で心を砕けそうになった。
何故だ、何故だ!何故毎回毎回あと少しのところで、あとほんの少しだけ……
曹操「子寂のヤツは若いが人を失望させない、ですよね陛下?」
「あぁ、そうだな…」
劉協がぼうーとして頷いた、彼は既に何も考える余裕すらも無くなっていた。
劉備が急に北上して来たのは間違いなく帝党派閥が一枚かんでる!
前回、世間で劉備を皇叔と触れ込みした事は大目に見てやったのに
今回は危なかった、子寂が居なければ成功されただろう!いいざまぁ!
自分にからかわれて一喜一憂する帝党派閥を見て曹操はスカッとしていた
それでも足りなかったのか曹操は前へ出て拱手して発言をする
「陛下、典黙が自身の危険を顧みず陛下のために叛乱軍を退き、逆賊を挫いた。陛下は古来の名君に習い、城外で出迎えるべきかと思います!」
朕のために叛乱軍を退いた?!!
「あぁ、そうするべきだろうな」
劉協は冷笑を浮かべていた
「東観令典黙の代わりにお礼を申し上げます」
曹操は拱手して一礼をした後帝党派閥の複雑な顔を見て再び高らかに笑いながら後ろを振り向いて大股で未央宮を離れた
二日後、典黙は軍列と共に許昌へ帰還した。
歓迎の列は南門で俸禄八百石以上の文官武将が総出で左右の二列に分かれて待ち並んでいた、二列の間には天子鑾儀(てんしらんぎ)が停められていた
天子鑾儀とは天子が使う馬車、長さ一丈(約3m)横幅七尺(約2m)、千里馬六匹で牽引する
車室内至る所に金の彫刻を施し
床と椅子には厚さ三寸(10cm)のシルクを敷き夏は涼しく冬は暖かい
窓には真珠のすだれでカーテンの代わりにしている
各車輪は十八本の輻(や)つまりスポークにまで全てに龍の浮き彫りを施し金の漆を塗てある
車体の一番上には鑾鳥(伝説上の霊鳥で鳳凰が歳を取った者)の彫刻が有る故に"鑾儀"
天子が出迎えの待遇はかつての冠軍侯霍去病すらも受ける事が無かった
曹操がこのような事をしたのはただ劉協を辱めるためだけではなく、内心にある典黙への感謝感激を形にするためでもあった。
劉協が来ていると見た典黙も愕然して、急いで馬から降りて一礼をした。
連れて来られたなら仕方ない、形上でもやるべき事をやり遂げるか…
そう思った劉協は典黙を起こしに駆け寄った
典黙「まさか陛下が直々に出迎えに来て頂けると思いませんでした、恐れ入ります」
劉協は複雑な目で典黙を見て
「英雄は少年より出、まさか八千で三万に勝つとはな…」
典黙「陛下の御加護の賜物です、臣の努力は僅かばかりです」
劉協はいつも通りの冷笑を浮かべて
「朕の加護?朕の望みも知らないだろ?」
典黙は周りを見渡し、伏皇后が見当たらずにガッカリしていた
「分かりますとも、そのうちね!」
そして典黙は劉協にだけ聴こえる小声で話した
ん?朕のために動くという事か!?なら機を伺てもう一度伏寿を行かせよう……
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