百三十話 懸賞される劉備
真っ青な顔をした劉琦の目に映る出来事はは尻尾に火を付けられた耕牛が本陣目掛けての突進
具体的な数はわからないがその耕牛達がまるで津波のように押し掛けて来た
尻尾を焼かれた痛みに錯乱状態の耕牛たちが本陣の中で縦横無尽に駆け巡る
戦場に立つ経験の無い劉琦はある程度戦場の事を予測していたが目の前に広がる光景はその予想の遥かに越えた。
深く震撼された劉琦は応援を呼ぶことすら忘れてただただ放心状態になっていた。
急いで駆け寄る李厳は代わりに大きい声で兵士たちを招集した
「敵襲!敵襲!迎撃しろ!」
荊州軍たちはすぐに鎧を身に付け、百夫長の後ろについて行くと皆驚きを隠せない
敵って、イカれた耕牛?倒すの?どうやって?
耕牛が暴れ、向かって来る荊州軍の兵を標的に突っ込んで行く
よく見ると耕牛の角には鋭い刃が付けられていた。
時間が経つにつれ、数多くの荊州軍が集まって来たが暴れ牛にはなすすべも無くなぎ倒されていく。
一部の兵は慣性力を利用して槍で反撃を試みると確かに槍は耕牛の体に突き刺さるが、刺されても耕牛はすぐに動きを止める訳ではなく、暫く暴れてから倒れていく
火牛が通った跡は狼藉そのもの、辺りは死体と火事で事態は収拾つかない方向へ進んだ
「うわっ!何だこれ?!」
軍帳から頭をヒョイっと出した張飛も驚いた
「火牛陣!!きっと典黙の仕業だ、急いで公子と合流しなくては!」
劉備は本当に兵法を熟知するのかはさておき、何をされたのかくらいは知っていた。
関羽は矢を抉り出した痛みに耐え、劉備を守って劉琦と合流しようとした時に、重みのある統一された号令が聞こえて来た
「陥陣之志、有死無生!衝鋒陥陣、有敵無我」
高順が陥陣営を連れて本陣へ突入して来た!
劉備は背中から寒気を感じた、火牛が本陣を掻き乱した直後に陥陣営を投入して来るとは!息をつく暇も与えないつもりか!
陥陣営の後続には朴刀を持った歩兵部隊だった
「軍師の命により、劉備を討ち取れば金二千、校尉へ昇格!」
その歩兵部隊を率いる校尉が典黙の約束した懸賞を口にした
「耳がデカいヤツが劉備だ!」
「腕が長いヤツが劉備だ!」
「双剣使いが劉備だ!」
曹軍の士気は異常に高かった、戦いに来たと言うよりもまるで宝探しに来たかのように皆の目が輝いていた。
金二千と校尉へ昇進の誘惑は大きかった、普通なら攻城戦で先登した兵士でも金三百、そしてその金三百も一つの家族を支えるのに充分だった。
校尉への昇進も通常の兵士から一躍六七階級を飛び越える事になる、多くの兵士は百夫長どころか伍長什長すらなれずに生涯を終える
「兄者が狙いらしいぞ!速く行こう!」
張飛が劉備を厩舎の方へ引っ張る
「ダメだ!公子を置いて行けない!」
口ではそう言いながらも劉備の足は素直に厩舎の方へ向かった
関羽「兄者!俺は腕の傷で兄者を守り抜く事ができない、囲まれる前に翼徳に守ってもらいここを切り抜けよう!公子の方は漢昇と正方が居れば問題ない!」
「ダメだ!公子を置いて行けない!」
関羽と張飛の護衛で既に的盧に跨った劉備は相変わらず劉琦の事を心配していた
そして"心配"のあまりに両足で的盧の腹を足で挟み、完成される前の包囲網から脱兎の如く切り抜けた
放心状態の劉琦は両足が鉛のように動けず、目の前の曹軍歩兵が振り上げた朴刀を躱す余裕もなかった
「公子!速く馬を見つけて!」
劉琦を狙う歩兵を切り倒す黄忠が声をかけると劉琦はやっと我に返って、一匹の馬の手網を手に取り跨った。
「正方!戦いに集中するな!公子をお守りしろ!」
荊州軍の御旗である黄忠は近くの曹軍を切り倒しながら李厳に声掛けした
呼ばれた李厳は乱戦から身を抜き劉琦の元へ合流した。
李厳と黄忠が数百人を引き連れ劉琦を守りながら南へ向かった
「黄漢昇はここに!」
黄忠の声を頼りに散らばった荊州軍が少しずつ合流していた
本陣の南門に着いた時には数百人だった部隊は数千人になっていた。
その部隊は歩兵と騎兵がいり混じり火の海で南へ必死に走った。
しかしそこには既に典黙が用意していた二千名の弓弩手が待ち伏せしている
荊州軍が外へ出た途端矢の雨が降り注いだ
「盾兵!」
黄忠の一声で盾兵が盾を構えて先頭に出て来た
すぐに対応できた黄忠の隊は精鋭と呼べる、雨のように降り注ぐ矢が盾の隙間から兵を射倒しても陣形は崩れなかった
荊州軍は黄忠と李厳の奮戦で遂に包囲網を突破して血路を切り開いた
曹軍は騎兵がいないため追いかける事を止めた、状況からすればこれは正しい判断
万が一深く追えば、逃げきれない事で覚悟を決める荊州軍の騎兵が死闘するだろう、そうなれば曹軍の歩兵は不利になってしまう
黄忠たちは逃げ切ったが大半の荊州兵は包囲網に呑み込まれた
包囲された荊州兵は死ぬまで戦うか投降するかの二択に迫られ、勿論投降を選ぶ兵が多かった
一夜の激戦を経た明け方、荊州軍本陣の火も消え、曹軍は捕虜になった荊州兵を河口関へ向かった。
その捕虜の人数は曹軍の人数に近かった
河口関から南へ五十里の魯陽城外、劉備三兄弟が一本の大木の下で息を荒くしていた
「典黙め、こんな方法で奇襲を仕掛けてくるとは!あの小僧許せねぇ!」
張飛は激しく怒っていた
「このような残酷な策は予想できなかった、恐らく公子は二万の荊州兵と共に取り残されただろう」
関羽は髭を撫で下ろす途中、自慢の髭が半分しか残ってない事を思い出して悲しい気持ちになった
二人の会話を横目に劉備は虚ろな目で目の前をボーと見ていて、何も考えられないで居た。
「兄者、これからどうするよ?」
張飛の質問は劉備の心に突き刺す、彼もどうすればいいのかを知らない
劉備は首を横に振り何も答えなかった
荊州には戻れない、劉琦の生死も知らない今は劉表に問い詰められれば弁明する余地もない
劉琦が無事だとしても三万の大軍が一人も残らない責任も劉備を押し潰してしまう
生きる居場所も無く、死に場所も無くした劉備は涙すらも枯れていた
それでも劉備は立ち直ろうと臥薪嘗胆の勾践と股くぐりの韓信を思い浮かべて独りでに呟く
「孟子曰く、天が重大な任務を与えようとするには、必ずその人の精神を苦しめ、筋骨を疲労させ、肉体を飢え苦しませ、行動を空回りさせて失敗ばかりするような大苦境に陥らせるものである」
確かに劉備の仁義も涙も本物であるかどうかは知る由もないが彼の折れない精神は本物だった
劉備は再び立ち上がり虚ろだった眼光も確固たるものへと変わった
「北へ行く!冀州の袁紹だ!今の天下では曹操と渡り合えるのは彼しか居ない!我々で袁紹の助力をしよう!」
張飛「兄者、袁紹もろくな奴じゃねぇぜ?弟の袁術と同じ性根まで腐ったヤツだよ?反董卓連合の時あいつのせいで十八路諸侯の同盟が崩れたじゃねぇか」
関羽「翼徳の言う通りです、袁紹は器が小さく傲慢な人。我々三兄弟を受け入れるとは思えません…」
関羽も渋い顔で首を横に振った。
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