百二十九話 插標売首!!

殺気溢れる竜胆亮銀槍の鋒を前に関羽は条件反射的に後ろへ仰け反り、鋒の冷たさが胸に伝わるほど距離が近かった


この一撃に観戦している人達が皆思わず息を止めた。


あっぶねぇ…あと半寸程で雲長の命が無かったぞ!


劉備と張飛の額に豆粒大の冷や汗が流れ落ちた


趙雲の武芸が関羽の上を行く事に二人は信じられなかった

彼らの中では関羽の武芸は呂布を除けば天下無敵だった。


関羽が我に返ると頭上に無数の毛髪が舞い落ちていた


あれっ?見覚えがある…


手に取ってよく見ると、関羽の吊り目が張飛の環眼よりも大きく見開いて、元々の赤い顔が充血して更に赤くなっていた。


俺の…髭!!


元々三尺の美髯が一尺切り取られた関羽は少し滑稽に見えていた


関羽は激怒した、しかし劉琦を含む荊州軍はそれを負けの証明だと受け取った。


この時代では身体毛髪は父母より授かった物として傷付けることは許されなかった、傷付けば親不孝になる


毛髪を体の一部だと思う時代だからこそ、曹操が軍紀を守るために首の代わりに断髪の刑を受けた。


髭が一尺切り落とされた事は乃ち頭の半分を削ぎ落とされたと同じ。


「漢昇将軍、俺らが一緒に行ってあの小僧を殺っちまおうぜ!」

張飛の言葉に黄忠は軽蔑な顔を隠せないでいた

「一騎打ちで無勢に多勢、そんな恥ずかしい事できるはずもない!」


一騎打ちは文字通り一対一、呂布だけは例外でした

かつて虎牢関での一言"面倒だ、二人一緒にかかって来い"により呂布は多対一をも受ける暗黙の了解になった


張飛は不服そうに丈八蛇矛を手にして前へ出ようとしたが劉備に引き留められた


劉備は関羽の性分を知っていた、関羽は呂布相手にすら一人で立ち向かおうとしていたのに今は趙雲に髭を切り取られた

張飛が手助けしようとも関羽に拒否されるだろう、関羽の傲慢さがそれを許さないからだ


怒り狂った関羽は青龍偃月刀を振り回し色んな角度から技を繰り広げたが趙雲の七探蛇盤槍の前では全てを防がれた


関羽の美髯を一尺切り取った事に対する申し訳なさからか、二百手を過ぎた疲労からか、趙雲の槍は最初の鋭さに欠けた


「皇叔、金をならそう!」

遂に劉琦は口を開いた


関門上の曹軍が手を叩いて喜んでいるのに対して背後の荊州軍はコソコソと話している。

幾ら武芸を知らない劉琦でもこの状況の悪さを黄忠と李厳の分析からは読み取れた


関羽では目の前の若将を討ち取れない、ならこの場で引き返すのは納得できる


劉備は終始無言で居た、ただ単に二人の激戦をボーと見つめ、目を濡らした


劉備は数多くの涙を流して来た、しかし今日のように悲しんだのは初めてかもしれない


たかが河口関に再び阻まれた…否、河口関ではなく典黙!


劉備もわかっていた、劉琦が恐れているのは河口関の関門ではなく、河口関門に居る八千の曹軍でもない。

劉琦が本当に恐れているのは関門に立ち、一言も言わなかった典黙だ


カンカンカンカンカン…


劉備が未だ返事を出す前に背後から金の鳴る音が響いた


それを合図にでもしたかのように荊州軍は撤退を始めた


死にたければ勝手にしろ、我々は付き合わない


恐らく荊州軍の心はこう思っているはず


どうしても趙雲を討ち取りたかったのか、関羽は金の鳴る音を聞こえないふりしていた


相手の金音を聞いた趙雲は明らかに遠慮して、関羽の攻撃を凌ぐ事だけに専念した

「雲長、一騎打ちは終わりです。残念ですが引き分けです!雲長…?」


引き下がる趙雲に対して関羽は少しも手を緩める気配は無かった


「しつこいね…」

典黙は周りを見渡し、最終的に視線を高順に定めた

「伯平!関羽へ矢を射て」


高順「はい!」


関門上にいる武将の中で高伯平の射術が一番上手い。

高順は宝雕弓を手に取り、弓が半月が満月へ変わり、光を帯びた流星が関羽目掛けて飛んだ


グサッ!!

矢は関羽の右腕に突き刺さった


関羽は右腕の激痛に耐え、関門上の高順を睨みつけてその眼光には殺意で満ち溢れていた。


「おい!弓とか卑怯だぞ!」

金が鳴ったにもかかわらずに攻撃を止めない関羽の事は棚上げして、張飛が非難する声をあげた


典黙「もう行け、殺意があれば関羽は既に死んでいる」


劉備と張飛も勿論わかっている、そのまま関羽を連れて引き返した。


「必勝!必勝!必勝!」

退却する荊州軍の姿を見た曹軍は勝鬨を上げた


「子龍将軍はこれ程強かったのか!初めて知った!」

「子龍の勇、呂布にも引けを取らない!」

「毎日子盛や仲康とつるんでる男だこのくらい当然か」


皆が趙雲を褒めちぎっている間に曹昂は典黙に質問をする

「先生、今日も含め荊州軍は既に三回くじかれたので、暫くは強行突破できないでしょうか」


「公子の言う通りです、このまま荊州へ帰るんじゃないですか?エッへへへ…」

曹昂の話に自然と媚びる笮融も自分の存在感を強めた


「うん、軍備の調整か撤退かどっちでしょうね……」

典黙は顎を摩り

「念の為に今夜は援軍を放て、もう一勝しよう!畳み掛けて一気に叩こう!」


「子寂の言う通り、今夜が良いでしょう!今まではこちらが防戦一方、相手からしたら我々は関門から出る事を予測できないはず!そのため本陣の守備は緩いでしょう!」

タヌキ賈詡の賛同も得て皆もやる気満々になった。


「いいね、いいね!やりましょう!やりましょう!」

その中でも曹仁は一番嬉々としていた


同日夜、荊州軍の本陣では皆が荷物をまとめていた


「前回公子が撤退と言ったのにアイツらが不服そうに拒んで、插標売首とか言っといてボコボコにされてるし……」

「おい、声を抑えろ。アイツらの傲慢さと来たら何するかわからないぞ」

「大丈夫、大丈夫。見て来たけど、あの三人は大人しくしていたぜ、公子も相手にしていなかったよ」


中央軍帳、皆は既に劉備へ対しての好感度が下がり切っていた

劉琦すらも劉備を慰める言葉も無く、ただ荊州へ戻った時の言い訳を考えていた。


劉琦「速く戻るべきだった、典黙が河口関に居る時点で戻るべきだった、数千の命を無駄に散らせた…」


「確かに!数日前に戻るべきでした、今日も曹軍が追って来なかったのが不幸中の幸い!でなければ更に損害が大きかった!」

隣の李厳もため息混じりに話した


劉備について、李厳は黄忠とは討論した事がある。

元々劉琦は慎重な人で、劉備の口車に載せられ無ければ軍を荊州から引っ張って来ることも無かった。

つまりこうなったのも全ては劉備の責任


今まで反論しなかったのは、同じ劉家の者でその上皇室の血筋を引く劉備に対して一応顔を立てただけ


そして全員がお通夜みたいに静かにしている時に李厳は突然異変に気づいた


李厳「公子、聞こえますか?」

劉琦「何を?」

李厳「騎兵の近づく足音が聞こえます!」


すると全員が地面の揺れを感じ取った、その揺れば微々たるものだったが集中すれば感じられない物ではない


李厳は手と耳を地面に伏せてよく聞くと確信を持った

「間違いない!騎兵です!」


「騎兵?曹軍には騎兵がないはずだっ!」

劉琦が急いで軍帳の出口へ向かい帳を開けるとあまりの衝撃に固まって動けなくなった


劉琦「なっ、何だこれは!?これは曹軍なのか!?それとも典黙の妖術なのか!?」


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