百二十五話 黄忠の困惑

やはりは長男、曹昂の考える事はなかなかいい


典黙は笑って手を振り

「それは心配しなくてもいいよ子脩、笮融は口達者で陰険なヤツに思えるが頭はキレる、度が過ぎる事は絶対にしないでしょう。行き過ぎたことをしてしまえば兄さんが黙ってない事くらいはわかってるからね。だからこうして僕に泣きつくのでしょう」


曹昂はふっと思い出した、当時高順を引き入れるために典韋は曹洪らから責め立てられていた。

高順と典韋の仲は尋常ではないほどいい、笮融が嫌がらせをすれば典韋は典黙と違ってすぐ手を出すだろう


典黙「まぁでも許昌へ戻れば兄さんに言っとくよ、笮融と伯平の事には手を出すなとね!」


曹昂「はい…えっ!?どうしてですか?」

理解しかけた曹昂は混乱に陥った


典黙「うん、軍の組織としての安定を考えれば確かに手を打った方がいいかもだが、僕からすれば二人の間柄が良くないのも利用できそう」


曹昂「利用…ですか?」

典黙「今は分からなくても大丈夫だよ」

話せばまた長くなる、典黙も説明するのが面倒くさくなっていた。


曹昂「先生、それは権術ですか?」

典黙「人の使い方、部下を御する方法は丞相から学べばいい。僕は軍師だ、戦のことしか知らないよ」


曹昂は頭を掻き

「先生と一緒に居る時一番学びたいのは心術です、心術を上手く使えばどんな兵法策略よりも役立つかと思います」


典黙は笑顔を見せ

「なら、丞相の期待に応えられそうです」


河谷道口の葦茂み、黄忠は無表情に赤血刀を握りしめていた。


「漢昇もうすぐ明るくなるぞ、曹軍の敗走兵が未だ見えないのは何故だ?」

質問した人は痩せ細く、窪んだ瞳は鷹のように鋭い。

李厳である


この時李厳はまだ黄忠の副将でした、しかしこの副将は三国志演義では二十年後蜀の忠臣で劉備の遺言で重役に着いた。


李厳は武将でその武芸もなかなか強いが、蜀では文官に転職した。

諸葛亮が北伐した時に兵糧の運搬で誤ちを犯し責任を全て諸葛亮に押し付けた、事が露見して劉禅に官職を首にされた


黄忠「もう少し待とう正方、皇叔の読みでは曹軍が敗走するなら必ずここを通る!恐らく典黙が慎重で辺りを警戒している」


黄忠もこの路線を信じていた、河口関門から自本陣へは駅道を通っても敗走して騎兵の追っ手から逃げるには河谷道口の沼地を利用するはず


沼地では騎兵の突進は発動できない、それが理由で劉備は黄忠に騎兵では無く歩兵を渡した。


どのくらい待っただろうか、水平線が薄明るくなり始め、朝の風が少し冷たく感じる。


確かにこれ以上待っても収穫は無さそうだ…

黄忠はそろそろ撤退する事を考えたが口を開く前に誰かが悲鳴を上げた


「火事だ!火事だ!」


葦茂みが燃えていた、朝の心地いい風に吹かれて火の手が見る見る広がって行った


「どの間抜けが火折子を落としたんだ!速く茂みから出ろ!」

李厳の命令で五千人が茂みからゾロゾロと出て来た


シュッシュッシュッ!


五千の黄忠隊が茂みから出た直後に矢の雨が降り注ぎあっという間に二百名前後の兵士たちを射抜いた。


「どうなってるんだ!」

李厳は環首刀を持ち周りを見渡す


「密林だ!密林に伏兵あり!」

兵士たちの倒れる方向を見れば黄忠はすぐに状況を理解した


黄忠が命令を出す前に張遼、高順、曹仁、夏侯淵らが現れた

「殺れ!復讐の時が来た!着いてこい!」

曹仁が一番はしゃいでいた、ここ数日荊州軍の進軍を止めるのに受けた屈辱はこの瞬間怒りとして爆発した。


四人は武器を好き放題に振り回し、敵陣の中で血祭りを楽しんでいた。

そしてその後に続いたのは陥陣営、騎戦から歩戦へ切り替わった為陥陣営の武器も槍から朴刀と盾に変わった。


朴刀と盾を手にしても彼らは依然と五人一組の連携で荊州軍を野菜のように切り刻んでいた。


陥陣営の後に続いたのは典黙が連れて来た三千の歩兵、陥陣営の勇猛さに当てられたか皆叫びながら突進した。


先まで静寂だった河谷道口は今や叫び声と悲鳴に包まれた


黄忠は一番はしゃいでる曹仁に標的を定め赤血刀を振り下ろす

「賊将、首を差し出せ!」


曹仁は槍で攻撃を防いたが衝撃で数歩下がり両手の痛みを感じた


荊州軍にこれほどの者がいたのか…


「妙才手を貸せ!」

曹仁は一番近くに居る夏侯淵へ助けを求めた


「子孝慌てるな!夏侯妙才ここに有り!」

夏侯淵が曹仁と共に黄忠と戦い始めた


三人とも歩戦では本来の実力を発揮できない

特に黄忠は燎原烈火に乗っていなければ赤血刀の敏捷性も大きく下がり、曹仁と夏侯淵を同時に戦っても劣勢にこそならないものの、短時間で勝つのも難しい。


李厳はもう少し苦戦を強いられ、八百の陥陣営が鋭い刃のように自軍を掻き乱すのを見て声を上げた

「両翼、敵の足止めをしろ!」


言い終わると李厳は百人程度の兵で陥陣営に向かった。


関羽をも囲める陥陣営の前ではいくら李厳でも太刀打ちはできない

李厳は環首刀を陥陣営の兵目掛けて振り下ろしその兵が盾で防ぐと左右から朴刀が襲いかかって来た


李厳は急ぎ左の朴刀を防ぐと右側の朴刀を荊州兵が盾で防いだ

「将軍、ご無事で?」


「なんて練度だ!」

援護がなければ既に命がなかった李厳はヒヤヒヤしていた

再び周りを見渡すと陥陣営の朴刀の前で荊州軍はなすすべも無く一方的に殺されていた。


個人の武芸も連携攻撃も士気も力量も荊州軍とは段違い。


李厳「漢昇!撤退だ!このままでは無駄死にするだけだぞ!」


李厳の必死の叫びに黄忠は少し悔しそうに曹仁と夏侯淵と距離を置いた


「邪魔するな!」

一組の陥陣営がその前に立ちはだかると黄忠はそのうちの一名の足を払って薙ぎ倒した

その後は倒れた陥陣営兵の鎧を足場に逃げて行った


退路を切り開いて逃げる黄忠たちに曹仁は叫んだ

「劉備に会ったら伝言をよろしく!もう死んだフリするな、次戦場で会ったら本当に死んでもらうぞ」


半月の鬱憤もここで発散され、自軍も歩兵部隊で曹軍はそれ以上追撃はしなかった。


黄忠も李厳も逃げながら困惑していた、何故曹軍は本陣から来たのでは無いのか?何故死んだフリと言ったのか?

戻ったら"兵法を熟知する"劉備に聞かなければいけない……

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