百十九話 慎重な賈詡

南陽から魯陽までの距離は百里程度、荊州軍が半分も進んでいない時点で曹仁と夏侯淵が既にその情報を受けていた。


魯陽の議政庁、関係者一同が集まっていた


関羽に見下された曹仁が場を取り仕切っている

「デカ耳劉備が劉琦を誑かして三万の荊州軍を率い向かって来ている、夕方に魯陽の前線に着くだろう。相手は急行軍だ、夜はそこで野営を築いて休むだろう。ならば、明日の朝に本格的な侵攻をして来るはずだ!今夜にその野営を奇襲にかける。三万対八千、相手は必ず油断してる」


曹仁は曹操軍では修羅場を多く潜り抜けた武将、最初はあまり有名になっていなく、有名になったのは赤壁の戦いで負けた直後に包囲された牛金を助けに二回周瑜を打ち負かした後


赤壁の戦いで士気が下がりきった状況で曹仁は僅か数十名の騎兵で周瑜の包囲網を二回食い破り牛金の隊を全員救い出した


「賛成!いい案だ!今夜劉備軍の寝込みを奇襲しよう!」

夏侯淵も口角を上げて言った


同じく関羽に見下された夏侯淵の履歴は少し見るに堪えない

まずは娘の夏侯涓が張飛に攫われ女の子を二人産み落とし、その内一人は劉禅の嫁になった。

そして息子の夏侯覇は平陵で裏切り、蜀へ行き車騎将軍となったが終いには黄忠に斬られた


この時の曹仁も夏侯淵も守るより攻めに転じた方がいいと思っていた、その自信の源は典黙によって送って来られた陥陣営


張遼は俯いていた、明らかにこの提案を良く思っていない。

しかし張遼は降伏したばかりで発言しにくい、仕方ない張遼は賈詡を見て助け船を求めた。


賈詡も頷いて曹仁と夏侯淵を止めに入る

「将軍たち、今は守りに徹する事が上策かと思います」


賈詡は参謀の役職だがその責務は監督、その発言なら曹仁と夏侯淵も真剣に聞かなくてはならない。


曹仁「先生、我々の兵力は八千しかいない。守りに徹しても数日と持たない。子盛も仲康も淮南に向かっていて間に合わない。召陵には数万の兵力はあるが歩兵しかいない、ここまでは十二日の道のり、救援の伝令も併せて半月はかかってしまう」


賈詡は軽く笑ってゆっくり立ち上がって

「子孝将軍、我々の八千の兵は皆新兵、戦況が少しでも悪くなれば総崩れになってしまいます。奇襲が上手く行けばいいが万が一失敗すればここから許昌はもう劉備を止める兵がいません」


この時代での戦力区分は二通りある

その一は兵の武芸、契(陣)、歩戦能力、馬術、射術。

その二は士気の維持。兵法曰く、三割を減って陣が崩れ無ければ精鋭と呼べる。


新兵と精鋭の最も大きな違いが包囲された事に対する対応で、新兵は包囲されればすぐ混乱するか若しくはあっさり投降してしまう。


曹仁と夏侯淵も頷いて

「先生なら、何か策はありますか?」


「此度、劉備の目的は領地を得るでは無く、天子の奪還にあります。それならばその侵攻速度を落とすのが良いかと思います」

言い終わると賈詡は地図の数箇所を指さして


「西隴、虎坪、三渓、河口の四箇所は許昌へ行く時に必ず通る道、魯陽も入れれば五箇所敵の阻害する関門を作れます。劉備が来れば数日持ち堪えながら次の関門へ下がり一月以上は簡単に持ち堪えられます、その間に丞相の援軍は必ず到着します」


張遼も高順も大きく頷く、勝ち負けに拘らずに劉備の足止めをしながら援軍を待つ、上策中の上策。


「それなら先生の作戦で行こ…」

曹仁も夏侯淵も明らかにガッカリしていた、武将として八千の新兵で三万の大軍に勝てば一躍有名になる。

滅多にない機会を逃すのは二人に不満を抱かせた。


しかし二人はどう思うと賈詡は気にしない、目的さえ達成出来ればそれまでの間に何が起きようと関係ない


正直八千の新兵で三万の大軍に勝つ方法は無くも無いが、賈詡の信条は武勲を挙げるよりも誤ちをしない事。

許昌さえ無事に守り切れれば他のことはどうでも良かった。


次の朝予想通りに劉備軍は城門前に来ていた

「おいおい、一夜待ち伏せしてたのにお前ら奇襲に来ねぇとはビビってんのか!」

隣に居る張飛は怒っていた


劉備は的盧馬で前へ出て蔑む目で城楼を見て双剣を抜き出した。

双剣に映る自分の顔を見て劉備の内心は穏やかでは感慨深かった。


長い間、この時を待った…


劉備は剣で空に差し向け

「城門を開け!でなければ城攻めし、破城した暁には将兵どころか、城内の民も、その家畜も、虫一匹生かさない!一時間だ、それを期限にする!」


言い終わると劉備は振り向いて自軍に戻って行った


「どっかで聞いた事があるなこの言い回し…」

城楼に居る曹仁が頭を掻きながら思い出そうとしていた。


「子寂が失踪した時に丞相が彭城前で言った言葉ですね、それで劉備は笮融たちに責め立てられていた。同じことを言う事で失った尊厳を取り戻そうとして居るのか…?」

賈詡は城楼に立ち、劉備の言葉など差程も気にしていなかった。


劉備、あなたも黄巾の乱の時には一人の英傑だったのに今はこれしきの事で浮かれて居ようとは…笮融の言う通り、器が小さいのう…


曹仁「アホらし…」


「公子、兄者は何故この言葉を投げかけたか、分かりますか?」

城門前に居る関羽は劉琦に聞いた


「降伏勧告ですね」

劉琦は少し考えてから答えた


「ハッハッハッ、それだけではありません。窮鼠猫を噛む、兄者は城門を開くという逃げ道を用意する事でこの後の攻城戦で無駄な犠牲を出さないようにしたのです!これこそが兄者の……」

関羽は細めた目を見開き、自信満々に後の言葉を口にする

「心攻め!」


心攻めと聞けば劉琦は愕然として

「心攻め!噂によれば麒麟軍師の典黙が得意とする戦法!まさか皇叔もこのような手腕をお持ちとは、恐れ入りました!来て良かったです」


しかし、今の劉備はかつての曹操と違い、その言葉は城楼に居る曹操軍たちの心には少しも響かなかく、誰からも相手にされなかった。


そして一時間が過ぎ、劉備は再び剣を掲げ

「天子の勅令により、賊を討て!」


劉備が率いる荊州軍が命令により動き始めた。


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