百十八話 劉備の洗脳術

荊州の南陽城、劉備は間借りした邸宅に居る

その手には劉協からの血の救援手紙が握られていたて、彼は涙を流していた。


手紙は董卓に皇帝として据えられてからの不憫、泣き言が自伝のように延々と綴られていた。


同じ漢室の親戚として皇叔の劉備は劉協の境遇に悲しんでいた。


「兄者、許昌へ行きましょう!天子を救い出そう!」

「そうだよ兄者!立ちはだかるヤツは俺らがぶっ殺す!それに今の俺らは三万の兵力がある、曹賊に一泡ふかそう!」

二人の弟はもちろん劉備の背中を押そうとした


張飛と関羽の中では三万の荊州軍は既に自分らの物になっていた


この時期の荊州軍の戦力は主に水軍で、陸軍は戦闘経験が乏しい上、劉表が黄忠と魏延に大役を任せていない事で大した戦力にならなかった。


関羽と張飛が荊州に来てから、黄忠と陳到の監督を元に三万の荊州軍を調練し直していた。


戦力が飛躍的に上がったのは自分らのおかげ、つまり俺らの物だ!

という謎な理屈が二人の中にある


「皇叔、皇叔!どうしたのですか?」

劉備の泣き声が聴こえた劉琦が駆けつけて心配そうに聞いた


「公子、これを……」

劉備は涙を拭って手紙を劉琦へ渡した

「陛下は今危険な場所に居て、曹賊の凌辱を毎日受け、不安と悲しみで食事も喉を通らずに吐血した。そしてこの救援の手紙はその龍血で書いたもので、今は親族だけを頼りに送って来た」


手紙を見た劉琦も悲しくなり、涙を流し

「曹賊め、天子を人質に勅令を私欲のために使い、天下の百姓を苦しむ残虐非道は許せない!私は自分が情けない…蔡瑁に抗うすべが無い、でなければきっと許昌へ荊州の大軍を向かわせる!」


「公子、荊州の大軍は必要ありません!ここ南陽にある三万の兵で許昌へ向かえば陛下を救い出す事ができる!」

来た!その気持ちがあればあとは簡単、公子が協力的であれば軍を動かせることができる!


「しかし、我々は三万の兵しかありません、曹賊は詭計が多く狡猾だと聞きます。上手く行きますか?」

劉琦はすごく心配そうに聞いた。


「心配要りません」

関羽は目を閉じ、長い髭に手ぐしを通しながら

「今は天の時が我々にあります。斥候の報告によれば、呂布が袁術を手にかけ、淮南軍を受け取り南へ逃げています。典韋と許褚は曹賊軍の全騎兵でそれを追っています。曹純と曹休も二万の歩兵で張勲、雷薄を追っています。今の許昌は空の城、二日もあれば陛下を救い出すことが出来ますぞ!」


劉琦「魯陽方面は確か夏侯淵と曹仁が居るはず、その軍勢も八千を下らないと聞く。準備が必要なのでは?」


関羽「ふんっ、夏侯淵と曹仁など取るに足らない。八千の軍も新兵と聞きます、我々が調練した三万の精兵には到底適うものではない」


練兵には絶対的な自信を持つ関羽は曹仁と夏侯淵を完全に舐めていた、と言うよりも呂布以外は誰も自分に及ばないと思っていた。


「公子、何か言いずらいことでもありますか?」

劉備は何かを言いたそうにしている劉琦を見て聞いた


劉琦「皇叔、先月父上から戻るように言われたが私は病に伏していると断りました。この時に兵を率いたらバレるのでは……」


張飛「それなら大丈夫だ、虎符を俺らに預けて頂ければ良いじゃん!公子は城内で寝てればその間にちゃっと終わらすからよ!」


劉琦は張飛の申し出をガン無視した、虎符は大切な物、こんな野蛮人に預けられるものか?


劉琦「やはりもう少し待ちましょう、父上に容態が回復したと言ってからにしましょう……」


関羽「公子、あなたは戦をしたことが無く、出兵する時期の大切さをわかっていません、今千載一遇の好機!失えばより難しくなりますぞ」


劉備は劉琦を見極めた、劉琦は武勲を挙げて跡取りとしての地位が欲しいものの失敗を恐れ、かと言って兵権を奪われる事も恐れていた。


劉備はため息をついて

「公子思い詰めることじゃありませんよ、天下の誰もが陛下の事を忘れようとこの劉備は助けに行きます。雲長、翼徳私たちが連れて来た隊を連れて許昌に向かおう!」


関羽「はい」

張飛「良し、来た!」


三人は出口へ振り向いて歩き出した


劉琦は急いで三人の前に回り込み両手を広げ

「皇叔、私は行かないとは言ってません!ただ準備が必要かと……」


劉備の殺気立った目がいつも通りの優しいものへと戻り

「公子、陛下が許昌で受ける屈辱を思うと私はいても立っても居られません!このまま優柔不断で居れば私達も群雄割拠している諸侯らと何も変わりません!」


「それに……」

劉備は真っ直ぐ劉琦を見つめ問いただす

「公子の身体を流れる血も高祖から受け継いだ血脈ではありませんか?そのまま陛下が弄ばれてるのを黙って見てるだけでは由緒正しい家系として恥ずかしくないですか!?」


劉備が倫理道徳の頂点に立ち劉琦を問い詰めると劉琦は恥ずかしくなり、穴があれば入りたい気持ちになっていた


洗脳されかけた劉琦は何も言い返せないが参加するとも言わない。

この作戦は劉備らにとっては失敗してもリスクは無いが、劉琦は失敗すれば荊州での立場を失ってしまうかもしれない。


劉備ももちろんただの間抜けでは無い、千人程度を連れて行っても勝ち目が無いことくらいはわかっていた。

劉備は劉琦の肩に手を乗せて

「公子、良く考えて見てください。陛下を救い出せばこれは天意に沿う事で、臣下のすべき事で、百姓にも賞賛されます!そうなれば荊州の氏族たちはこぞって公子の後押しになるでしょう!蔡瑁など取るに足りませんよ?逆にこの機を失えばどうなると思いますか?」


現代の怪しいセミナー講師のような劉備の言葉は劉琦の心をドキッとさせた。


確かに!!!

勝てば多くの氏族や百姓に支持され、跡取りになるのは間違いない!

このまま南陽に居て何もし無ければいつかは兵糧の供給を絶たされて強引に連れ戻されるだろう…


劉備からすれば千載一遇の好機、劉琦からすれば全てを賭けた一世一代の大勝負!


深呼吸して気持ちの整理をした劉琦はゆっくりと口を開く

「わかりました…一緒に行きます!」


「ガッハッハッ!いいね!いいぞ!」

張飛は髭が揺れる程笑って

「大船に乗ったつもりで居ろう!戦場を駆け巡るには俺と雲長、策略を練るには兄者が居る!負ける要素がねぇ!」


劉琦「皇叔は百戦錬磨できっと兵法に通じ謀略にたけるでしょう!私もこの戦で多くのものを学べるかと思います!」


「公子、兵法戦略を習うのは一朝一夕では足りませんが始める事に大きな意味を持ちます。良い心がけです!さぁ"善は急げ"と、すぐに全軍を招集して出発しましょう!」

劉備はもはや一秒も速く許昌へ行きたくてうずうずしていた


すぐ、陽南に居る荊州軍に出発の命令が伝わった。

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